異次元別居 3

「奥さんは部屋の模様替えをなさいました」

 二度目に部屋を訪れた男は、そう言った。僕が浮かない顔で妻の様子について尋ねたことへの返答だ。

「いや、その最中、といったところですかな。なにせ、家具選びには時間がかかりますからね」

 模様替えだって。僕があれだけ苦労して集めた家具を、別のものに買い替えてるっていうのか? 一瞬、むっとしたものの、僕はすぐにその感情を追い払った。部屋のレイアウトなど、別居に比べれば些細な問題だ。

「それに、仕事のほうにも精を出しておられますよ。新しい環境に戸惑うどころか、非常に順調な様子です」

「作品はどうやって売るんです?」僕はむっつりと尋ねた。「向こうの店に並べるんですか?」

「いいえ。完成した作品はこちらの世界に運んで、通常のやり方で販売します。あちらには、人がまだ少ないですからね」

「そんなことができるんですか?」幾らか興味を覚えて、僕は聞いた。「あなたがたの、その―― 輸送には、どのくらいのコストや手間がかかるんです?」

「コストはさしてかかりません。次元間の移動は、ずいぶん前に方法論が確立していましてね。今では、安定した人や物品の輸送が可能なのです」

 男は得意げに話しだした。「次元間転移装置の発明は、第二次大戦中に遡ります。当時は、アメリカとロシアのみが行っている研究でした。しかし、戦後は多くの国々によって開発が進められ、あくまで水面下でではありますが、目覚ましい発展を遂げてきたのです」

「そんなに素晴らしい発明なら、なぜ秘密にするんです」

「わたしもそう思います。しかし、まあ、そのへんは国同士の事情というやつでしょう。今や、開発の風向きは大きく変わりつつある。かつては軍事機密だったものが、産業用途になろうとしているわけです。ですから、色々と、その、兼ね合いがね」男は肩をすくめた。「ことに近年は、日本における次元間転移装置の開発が躍進を遂げておりまして。次々に新技術を打ち出しているのです」

 そう言う男の目は興奮に輝いていた。

「あなたがたが使っているのは、日本製の装置なんですか?」

「そうです」と、男は重々しく頷いた。「コストの低さに関して、日本の装置はほかに並ぶものがありません。まあ、最近は中国がポータブル機の開発に乗り出していまして、その動向を窺っているところではありますが――」

 要するに、水面下とはいえ、異次元開発はかなりの活気を見せている、ということだろう。各国、その流れに乗り遅れまいと必死なのだ。無論、日本政府も例外ではない。お陰で、『Xハウジング』は政府から手厚く援助してもらっている、というわけか。

「へえ、そうなんですか」と、僕は関心のない口調で言った。「まあ、当然でしょうね。コストが高くつくなら、わざわざ妻の作品を運んでもしょうがない」

 男は、僕の言葉に顔をしかめた。「奥さんの作品は、お金稼ぎのためだけにあるのでは――」

 僕はそれを遮った。

「そういえば、生活費はどうしているんです? 引っ越しの費用は? かなりかかったんじゃありませんか」

「もちろん、かなり高額ですが―― 奥さんの場合は、特別に引っ越し費用を無料とさせていただきました。若く、才能に溢れる彼女に、それだけの価値を見出したのです。生活費についても、当座は援助しています。全部ではありませんよ。何割かですが、今のところ奥さんの働きぶりはそれに充分見合ったものです。おそらく、すぐに援助など必要なくなることでしょう」

 僕は再び下を向いた。「そんなに順調にいくわけがない。何か困っていることがあるはずだ」

「今のところ、困ったことはないようですな」

 男はにべもなく言った。「奥さんの近況はそのようなところです。他に何かご用は?」

「妻と話し合いたい」僕は要求を述べた。「何とかなりませんか?」

 この男を再び部屋へ呼んだのは、なんとか妻と会うためだ。妻は会いたくないと言っている、とこの男は言うが、それはきっと、僕の言い分をこの男が正確に伝えてくれていないからだ。ちゃんと伝わりさえすれば、妻は僕と話し合うことをオーケーしてくれるはずだ。

「残念ですが、わたしではお役に立てません。弁護士を通すなりして――」

「弁護士なんて、ただの役立たずですよ」

 僕は力強く言い切った。「いいですか、僕はただ、直接会って話がしたいだけなんです。置いてけぼりにされた夫として、そのくらいは希望しても構わないはずでしょう?」

 男はやや眉を寄せ、困った表情を作った。

「そんなことを言われましても。我々はただ、奥さんによりよい環境を―― ああ、そうだ」ふと何か思いついた様子を見せ、「それなら、ビデオ・メッセージを作られてはいかがです? この前、わたしがお見せしたようなのを」

 あの動画か。ほとんど最初しか見ずにタブレットを放り投げてしまったので、僕はその内容をまったく知らないままだった。

「ビデオ・メッセージ、ねえ」披露宴じゃあるまいし、と小声で呟く。

 僕の呟きを、男は勝手に同意と捉えたらしい。善は急げとばかりに傍らの鞄からタブレット端末を取り出した。

「ええ。では早速、撮ることにしましょう。準備はよろしいですか?」

 組織から支給されたらしい、真新しいタブレットを睨んでいた僕は、少し慌てた。「待ってください。何を話せばいいんです?」

「そうですね。用件を伝える前に、軽く雑談などいかがです?」

 そう言いながら、男はすでにタブレットを顔の前に構えている。僕は戸惑いながら、こちらを見つめるレンズに向かって座り直した。

 何を言えばいいんだ? 僕はぎこちなく手を振った。「富美加ちゃーん。僕です、浩次でーす。ちゃんと映ってるかなー? 今日は、富美加ちゃんにお話ししたいことがあって、この動画を撮ることにしました。ちゃんと言いたいことが伝わるといいな、と考えてます」僕はちらっと、タブレットを構える男のほうを見た。「その前に、何か軽く話したほうがいい、と言われてるんだけど、一体何を話せばいいか――」

「二人の馴れ初めなどは?」と、男が声をひそめて言った。

「馴れ初め?」

 馬鹿野郎。それじゃ、ますます披露宴のお祝いメッセージじゃないか。

「ええと、僕らが出会ったのは、大学生の時でしたね。富美加ちゃんは覚えていないと思うけど、僕はすれ違ったりした時のことをなんとなく覚えています。きちんと会ったのは、卒業後、同じ大学にいた友人を通してでした。居酒屋のテーブルで紹介されたあなたのことを、僕は今でもはっきりと覚えています。あの日の服やコーディネート、髪型やメイクに至るまで。そのくらい、あなたが可愛くて、理想的だったからです。けれど、あなたは少し元気がなくて、落ち込んでいるようでしたね。後で聞いたところでは、あなたは会社勤めから工芸家に転身したばかりで、色々と不安を感じていたということでした。僕は、そんなこと気にしなくていいよ、と言ったのに、あなたは気に病み続けていたようでした。僕は、仕事なんて僕と結婚すればいつでも辞められるんだから、悩む必要はない、という意味で言ったんだけど、それが伝わってなかったのかな? とにかく、僕は落ち込んでいるあなたに猛プッシュして、デートを繰り返し、ついには結婚に至ったのです」

 タブレットの向こうでそれを聞く男の顔がやけに曇っていたが、僕は気にしなかった。

「そんな僕たちの愛の巣を、あなたは勝手に模様替えしているそうですね。一体なぜなんですか? いや、そんなことより、なぜ急に出て行ったんですか? 僕に何も告げず。確かに、それまでにあなたは何度も、僕に注意をしてくれていましたね。ええと、何だったかな―― 話を聞いてくれだの、勝手にあれこれ決めるなだの、そういったことを。でも、あれは文句というより、愛ある注意だったと僕は思ってます。僕がよりよい人間になれるよう、アドバイスをしてくれてたんだよね? そうだよね?」僕はレンズに向かってにっこりと微笑んだ。「だから、急に出て行った理由について、ちゃんと聞く必要があると思うのです。大人として、ここは直接会って話をするのが筋だと思います。富美加ちゃんの我が儘はいつも聞いてきたけど、これだけは譲れません。そういうわけだから、話し合おう。ね」

 話し終えると、これでどうだと言わんばかりに僕は男のほうを見た。

 男はなぜか、微妙な表情を浮かべてこっちを見ていたが、やがてそそくさとタブレットを片づけ、出て行った。

 後日、男から、妻に例の動画を見せたが、やはり気持ちは変わらないようだ、と連絡があった。

 僕は窓を開けて、なぜなんだ、と大声で喚いた。

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