第6話 揺れる蕾
「先輩~こっちこっち」
ここは会社から車で20分ほど走ったところにある、ホテルのロビー。広いエントランスに入り、周りを見渡している私に杏ちゃんが両手を振っている。その左手の薬指には、キラキラと指輪が光っている。
「今日は忙しいのに付き合ってくれて、ホントありがとう先輩。急にまこちゃん仕事でこれなくなっちゃって。頼れるの先輩しかいないんだもん」
「可愛いお姫様のドレス姿が見れるなんて光栄ですわ~」
今日は来月に行われる杏ちゃんの結婚式のドレスの最終チェックの日だったのだ。どうしてもひとりでは不安だという杏ちゃんのお願いで、一緒に同行することになった。
純白のウェディングドレスを着た杏ちゃんが、カーテンの奥から少し恥ずかしそうに着替えをしてあらわれた。
「先輩、杏、変じゃない?」
思わず言葉を失う程、可愛らしい杏ちゃんのドレス姿に見とれてしまった。それと同時に杏ちゃんが結婚してしまう現実に、つい寂しい感情がよこぎる。
「ん?先輩?」
「変なわけないでしょ。すっごく可愛いからびっくりしちゃったよ。すっかり大人になったな~と思ってさ。旦那様もますます惚れ込んじゃうね」
とうとうこの天使ちゃんも翼を休める場所を見つけたようだ。
突然杏ちゃんから結婚する報告をうけた時は、ふたりで泣きながら抱き合ったのを覚えている。年下のくせに、ここぞって時に頼りがいのある杏ちゃん。柳さんとのことがあった時も、優しく見守ってくれていた。
すると、こちらに向かって走ってくる足音がして、すごい勢いで部屋に飛び込んできた男性。
「ごめんね、杏。本当にごめんね。ドレスどうだった?」
振り返り私の顔をみるなり、顔が固まっている。
「あれ?杏じゃない。あれ?申し訳ありません。大変失礼しました!」
「いえいえ。杏ちゃんならカーテンの奥で着替え中ですよ。ご安心ください。私は、同じ職場の有村と申します」
「あ〜。いつもお世話になってる先輩っすよね。今日はありがとうございます」
カーテンの向こうから、杏ちゃんも着替えを終えて飛び出してきた。
「来てくれたのまこちゃん。もぅ着替えちゃったから、ドレス姿は結婚式までおあずけだねぇ〜」
「ま、まじか」
残念そうに肩を落とす彼を横目に不敵な笑みを浮かべる杏ちゃん。やはり小悪魔杏ちゃんは健在だ。
「写真撮ってもらったから、あとでね」
こんな幸せを絵に書いたようなふたりを見てると、自然に笑顔になってしまう私がいた。
「もう旦那様もきたことだし、心細くないでしょ。私はそろそろ帰るね」
「先輩、本当にありがとう。このお礼は今度ごはんでもご馳走させていただきます」
ふたりに見送られ、広いホテルのロビーを抜け、車に乗り込む。なんだか、夏祭りの後みたいな寂しい感情が流れ込んでくる。
3月の風は、まだ肌寒く。桜の開花には、まだまだ時間がかかりそうだった。
西洋のことわざで「3月に冷たい風が吹き、4月にたくさんの雨が降って、ようやく5月に綺麗な花が咲く」というのを聞いたことがある。
このことわざにはもう一つの意味がある「冷たい風やたくさんの雨、そういった厳しい時期を乗り越えてこそ、美しい花という幸せが待っている」
私もそろそろ歩きださなきゃ。美しい花は咲かせられなくても、何もせずに蕾のまま枯れてしまうのは悲しすぎる。そんなことを考えていたら、自然と私はあの公園に車を走らせていた。
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