第4話 涙色のデート
デート前日の夜、嬉しさと不安が入り混じった気持ちを抱えたまま、2時間ほどしか眠ることができなかった。
スマホに記憶された柳さんの写真を見つめる。会える喜びと、彼を想う気持ちだけで、若いころなら迷いなく突っ走れたのに。頭でばかり考えようとする自分がはがゆかった。
いや。今日はせっかくのデート。柳さんに会える時間を楽しもう。そう思い、約束の蓮の公園に車を走らせた。
気がつけば7月も半ばにはいり、梅雨明けしたことを告げるように、セミたちの鳴き声がきこえはじめていた。日差しもヒリヒリと照りつけている。
「あっ。15分前かー。少し早かったかな」
駐車場に到着。土曜日の公園は、家族連れも多く、蓮の最盛期を楽しむ人たちで溢れかえっていた。ゆっくりと入口まで歩いていくと、こちらに向かい手を振る柳さんの姿が目にはいった。思わず口元がゆるむ。
「ごめんなさい、待たせちゃいました?」
「いえ。俺こそ、つい早く到着しちゃって」
ハンカチで汗を拭いながら、照れたように笑う柳さん。何年も通っている公園なのに、まるで初めてきたみたいに心が弾けていた。そういえば、ここに誰かと一緒にくるのは初めてだった。
「わっ。ここってヒマワリもこんなに咲いてるんですか」
一面に広がるひまわり畑を見つけて、子供みたいに写真をとる柳さん。
「ヒマワリ畑はこないだも咲いてましたよ。他にもいろいろ咲いてるんですよ。もぅ終わってしまったけど紫陽花もあるし、蓮の花だって、種類が何種類もありますし……」
得意げに話している私をよそに、柳さんの顔が急に曇っていくのがわかった。
「俺。あの日、ともかの好きな蓮を見ることしか考えてなくて。ふたりで、この公園のHPいつもみてて、あの蓮見に来ることを心待ちにしてたんです」
「あ。まだあの蓮の花咲いてるかな?」
泣きながら見つめていた蓮の場所に、彼は走っていた。
蓮の花は最盛期を迎え、園内はたくさんの花が咲き乱れていたが、最初に見たあの花は、静かに花びらをおとし枯れていた。
楽しく行きかう人達の中で、彼はひとり肩を落とし、初めて話したあの時と同じ目をしていた。
「大丈夫ですか?」
あの日と同じように話しかける。すると、彼は悲しい微笑みをたたえたまま、振り返った。さっきまでの笑顔はもぅどこにも見当たらない。
その後、1時間程度だろうか、ふたりで公園に咲くたくさんの花達を見て回った。とりあえず話をあわせてくれているけれど、彼の心がここにないことは、はっきりとわかっていた。
お昼をまわる頃、日差しはさらに強くなり、私達は駐車場のすぐ隣にある、カフェで休憩をすることにした。
ゆっくりと入り口のドアを開けると、お店の中は、コーヒーの香りで満ちていた。席に案内されると、すぐにアイスコーヒーを2つ頼み、待つことにした。
「綺麗でしたね~暑かったけど」
無理に笑う彼を見ているのが我慢できなくなった私は、彼にそっと伝えた。
「柳さん。無理しなくていいよ。彼女のこと思い出してたんでしょ?」
彼はしばらく考えていたが、ぽつりぽつりと亡くなった彼女とのことを話し始めた。話している柳さんの表情を見ているだけで、どれだけふたりが愛し合っていたのか、今でも癒えない彼女を失った悲しみの深さが、イヤでも伝わってくる。
「あの日、蓮の花を見に行けば、もう一度ともかに会える気がしたんだ。ともかにもう一度会いたかったんだ」
彼の心の中は、いつも亡くなった彼女でいっぱいたったんだ。改めてその事実を突きつけられた私は言葉を失った。
その後もしばらく彼は、愛しい彼女を思い出すように、いろんな思い出話を聞かせてくれた。その隣で私は、心の奥が少しずつ冷たくなっていくのを感じていた。
「すみません。俺、こんなことまで有村さんに話してしまって」
「大丈夫です。柳さんの隣にはいつも、彼女さんがいるってわかってたから」
そう。彼の心のどこにも私の居場所なんてなかった。あの日ちょっとした間違いが起きてしまっただけ。今日の約束から何か始まるかもって期待していた自分が恥ずかしくおもえた。
それならどうして会いたいなんて言ったの?
どうしてまた一緒に公園に行こうなんて言ったの?
私のこと、どう思ってるの?なんて言えるはずもなかった。
「この後どこ行きましょうか?こないだ言ってた映画でも見に行きますか?」
少しすっきりしたのか彼がコーヒーを飲みながら提案してくれた。
「いえ、大丈夫です。今日はこれで帰ります。また今度にしましょう」
「え?まだお昼ですよ。やっと会えたのに、もう少し一緒に……有村さん?」
「もう無理です」
私は溢れる涙をとめられなかった。私は恥ずかしくなり飲みかけのコーヒーと彼を残して、カフェを飛びだした。
いつのまに。自分で思っている以上に、私は柳さんのことを好きになっていたのだろう。行き場のない感情のまま車に乗り込んで走り出した。
助手席に置いたバックの中で、スマホの着信音が鳴り続けていた。
家に到着し、シャワーを浴び、冷蔵庫の奥にあった杏ちゃんが忘れていったビールを喉に流し込む。苦味だけが口にのこる。お酒の飲めない私にはこれだけで十分だった。頭がガンガンする。
冷静に自分の感情や現実と対する勇気がなかった私は、思考回路の届かない場所へと息をひそめ隠れることで精いっぱいだった。
何も知らない誰かに抱かれて、快楽だけを感じて、感情のいない時間を過ごしたいと思った瞬間。きっとあの時の彼は、同じ気持ちだったのかもしれないと思った。
私は、そのまま深くて暗い場所に落ちていった。
夜になり、柳さんからの着信が落ち着いたころ、今日はごめんなさいとだけメールを送った。どうしたの?体調でも悪かったの?と返信がきていたが、すべてを伝える勇気もなく、嘘をつくこともできずに、返信をひかえることしかできなかった。
それきり、柳さんとの連絡は途絶えてしまった。ただ彼の写真だけは消去できず、やきついたままだった。
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