三日後の眠り

西野ゆう

発症から終章へ

 死にたい。そう思うことはなくても、生きる意味を見出せない。そんな人生が長いこと続いている。

 学生時代から教師にやたら叱られていた気がする。そして今は上司から。

 私は叱られる為に、誰かを叱りたい欲求を持った人間の為に生きているのかもしれない。

 そんな日々の中、それは突然起こった。目を覚ました瞬間から異常に鼓動が速い。

「不整脈?」

 自分で脈を確認すると、脈が飛ぶなんてもんじゃない。完全に不規則だ。だが苦しさはない。通常であれば仕事を休むという発想にはならなかっただろう。

 それでも、近頃振るわない営業成績に仕事が億劫になってきていたため、とりあえず病院に寄ってみることにした。

 体調不良で病院へ寄ってから出社すると会社に電話を入れたが、心臓とは言わなかった。まだ三十歳の若さで持病もないのに「心臓の調子が悪い」なんて言ったら笑われるか、低レベルな仮病を疑われるに決まっている。

 私はスーツに着替え、車を運転して病院に向かった。

 病院に着くと、問診票に「不整脈」という文字があったのでそこに印を付けて受付に出した。


「不整脈だって?」

 診察室の丸く小さな回転椅子に腰を掛けた瞬間、老眼鏡の上から覗き込みながらそう言ったドクターの表情は、私が不整脈だということを疑っているような顔つきだった。

「今朝起きてから鼓動が早くて一定じゃないんです」

 私がそう言うとそのドクターは、まあ心音でも聞いてやるか、と言わんばかりの面倒くさそうな顔で聴診器を耳にセットした。

 ひんやりとした聴診器の感触が肌から伝わる。すると明らかにドクターの表情が変わった。

「背中」

 必要最小限の指示だけ出す。私は足で床を蹴って椅子をまわし、後ろを向いた。ナースも無言でシャツを上げるのを手伝う。

「心電図に行ってきて」

 ドクターは二枚の紙をクリアファイルに入れ、私に差し出すと、次の患者呼ぶようにナースに指示を出していた。


 私が波形の印刷された紙を片手に診察室に戻ると、ドクターはまたも無言でその紙をしばらく見つめている。

「心房細動だね」

「心房サイド?」

 ドクターは心音を聞いた時にある程度予測していたのだろう、心房細動について説明している印刷物を私に手渡した。

「心房細動。普通はもっと年取ってからなるんだけどね」

 私が印刷物に目をやると、有病率を示したグラフのエックス軸の目盛は、五十歳から刻まれていた。六十五歳辺りからそのグラフは急激に右肩上がりになっている。

「とりあえず今から処置室に行くから」

 ドクターがそう言うと、私の左腕に点滴をセットしていたナースが車椅子を用意して、私に座るように促した。ここまで自分で運転し、普通に外来患者で来たというのに。若干の恥ずかしさを胸に、指示に従い車椅子に座ってナースに押され処置室に向かった。

 そこで点滴の途中から今まで見たことない程の大きい注射器が繋げられ、二百ミリリットルほどだろうか、大量の薬が投与された。電解質の異常を改善する薬らしい。

 しかし、それでも症状の改善は見られず、ドクターから予想外の言葉が告げられた。

「四十八時間経過すると心房内に血栓ができて、それがはがれてポンプで送りだされると、十中八九脳梗塞になる。最悪死んじゃうね。だから今日は入院。明日治まってなかったら除細動かけるから。電気ショックね、全身麻酔で」

 もし仕事に追われている時で、今日そのまま仕事に行っていたら死んでしまったりしたのだろうか。怠惰に救われた命といったところだ。

 全身麻酔で眠っている間に症状が改善した私は、一泊入院の後仕事に復帰した。生きた身体に電気ショックという経験は、営業トークで病気自慢を好むお年寄りに対してのウケが良かったが、それで営業成績が上向いた訳ではない。


 あれから私の心臓はたまに狂う。数秒間というごく短い時間ではあるが。

 一度その症状について電話で聞いたが、ドクターは、一日治まらなかったら病院に来いと言った。短い時間なら問題ないし、激しい運動も構わないということだった。


 そして、最初の発症から三年が経とうとしていた頃。

 私は独り仕事から帰り、コンビニで買った弁当をつつく。相変わらず孤独で単調で叱責を受ける日々だ。

 珍しく昨日起きた時から続く心房細動の発作が止まらない。

 脈は速く、リズムを狂わせたまま、三十八時間が過ぎていた。

 寝ている間からそれが始まっていたとすれば、血栓が飛ぶタイムリミットも近いかもしれない。

 餌同然の食事を済ませた私は、部屋の掃除をし、風呂でいつもより入念に身体を洗い、普段自宅では飲まない酒をあおっていつもよりも早く床に就いた。明日は目覚ましに起こされる必要もない。


 そんな三日後の誘惑に負けた私は、起きたくとも起きれず、死にたくとも死ねない身体になった。舌を噛みちぎる程度の力さえ使えない。自分の意思で動かせるのは眼球のみ。

 安易に死を願った罰か。

 私は、私を生かし続けたいと願う人の為だけに生きる人形となった。

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三日後の眠り 西野ゆう @ukizm

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