第5話 大学日本拳法の爽快感を台湾の警察官に感じる

ある町で、日本語を話す台湾人の友人宅へ行った時の話です。

そこへは彼の車で一度連れていってもらったことがあったのですが、その時は駅から一人で歩いて行ったのです。


この時も、やはり途中に派出所があり、更に都合のいいことに、パトカーが署の前に停まり、巡邏を終えた4人の若い警察官たち(25~28才位?)が車から降りているところでした。

  一人の警察官に(英語で)○○○へ行きたいのですがと言うと、散りじりだった若者たちがワッと集まってきます。

  彼は携帯で地図を表示してくれたのですが、土地勘のない私にはピンとこない。近くを走るバスはありませんか、と聞くと、一人の警察官(若い女性)が「タクシーで行けば ?」と提案します。

  知らない土地へ行っても「いつでも正直」を通す私ですから、即座に「お金がないんです」と正直に応えました。すると、かわいらしい婦警さんは肩をすくめ「しょうがないわね」という無言のポーズをしてから、署の中へ入って行ってしまいました。


残りの3人の男性警察官は、それぞれが私の目的地の前まで行くバスを探してくれています。そこから歩いても20分くらいの所、という見当はついているので、私は礼を言って立ち去ろうとしました。(前回お世話になった派出所でも、台湾の警察官は忙しい、ということをよく理解していましたので、これ以上時間を取らせるべきではない、と思ったのです。)

すると、派出所のビルからさっきの婦警さんが、40才くらいの課長さん?を連れて出てきました。課長さんは一目私を見ると「オッ」と笑顔、そして「よっしゃ」みたいなことを言うと署の中へ戻っていかれました。

婦警さんが3人に何か言うと、即座に一人の男性警察官が運転席に乗り込みながら、私に向かって笑顔で「パトカーに乗って」と促します。残りの2人も、すかさず後ろに乗り込む。その瞬間、パトカーは静かにスタート。

さすが台湾の警察官は鍛えられているというか、手順はジェントリー、手際のよさもスムーズ。 窓の外では、かわいい婦警さんが手を振ってくれています。


そうです、彼女は「貧乏人」のために、上司にパトカー使用の許可を貰ってくれたのです。彼女の気の利いた行為というのは、台湾人だから、なのか中国人としての彼ら・彼女たち本来の属性なのか。いずれにしても、在来種日本人(縄文人)なら誰でもが共感する「粋」という心意気。

大学日本拳法でいえば「場と間合いとタイミング」がぴったりとかみ合った一瞬であり、日本拳法における面突き(の相打ち)を思い出させてくれる爽快感がありました。

(まあ、相手が白髪の小汚いジジイということで、福祉の一貫として車(パトカー)に乗せてくれたということもあるでしょう。もし、あの時わたしが20~30才くらいであったなら、あそこまでの応対をしてくれなかったかもしれません。)


この時も、5分足らずで目的地に到着したのですが、車中、警察官たちは日本のアニメやゲーム談義で大騒ぎ。ジジイの私にはチンプンカンプンの話でしたが、彼らのピュアな心に囲まれて10年は若返ったような気になりました。


大きなマンションの前で停まり、全員がパトカーから降りて私と記念撮影なんかしていると、ビルの中から警備員やらメンテナンス要員数名が、びっくりして飛び出してきます。

私は彼ら警備員たちに何の説明もしませんでしたし、友人の台湾人にもこのことは話しませんでした。


因みに、12年前に書いた「思い出は一瞬のうちに」から始まる私の本に書かれた様々な幼・小・中・高・大、そして社会人や坊主時代のエピソードとは、すべて「本邦初公開」です。

私は人の話を聞くのは好きですが、自分自身の体験談を人に話すことはありません。

たとえ誰に読まれることがなくとも、こうして「書く」ことで、自分の思い出が真に自分のものとなる。それは人間にしかできない「存在感の自覚」という特権であり、自分が確かに人間として存在したという自覚を持てることに、私は無限の喜びを感じるのです。



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