第2話 台湾警察の問題解決能力
台湾のとある町でのことです。
台湾では「日本の運転免許証がそのまま台湾の免許証に書き換え可能」ということを知り、必要書類を持って地元の運転免許センターへ、徒歩で向かいました。
大きな通りを歩いていると、派出所(台湾では、日本の警察署規模の施設でも派出所と呼ぶことがある)を発見、道を尋ねるために3階建て建物の中へ入りました。
一階が警察官たちの職場らしく、ずらりと(50くらい)机が並んでいます。
13時頃だったのですが、驚いたことに掃除のおばちゃん以外、誰もいない。台湾の警察署では、(署長と副署長+1名以外)全警察官が自転車やバイク(50cc)・パトカーで警邏に出払っている。
もっと驚いたのは、建物に入ってすぐ右側に「署長室」の看板がかかった部屋があるのですが「撥ね扉」というでしょうか、西部劇のバーの入り口のようなバネ式の扉で、ちょっと押せば中に入れる仕組み(外から署長室の内部は丸見え)。
更に驚いたのは、署長室のとなりには「便所」と書かれた看板が・・・。
警察署一階入り口のすぐ脇にあるトイレの横が署長室、という「質実剛健の中国人気質」に、いきなり感心させられました(日本の警察でこんなことはあり得ないでしょう!)。
「ニーハオ」なんて下手くそな中国語を連発しながら中へ入ると、ガラガラの広いオフィスの中で、足の高い机の上に図面のようなものを広げ、制服を着た二人のおっさんが立ち話をしている。そして、その脇から、背中に「服務員」と大きく書かれたオレンジ色のベストを着た掃除のおばあちゃんが、一緒になって覗き込んでいる(私に絵心があれば、このシュールな風景を描くんですが)。
近くへ行くと、おっさんの一人は「署長」もう一人は「副署長」のバッジ。
そこで私は、運転免許証関係の書類やパスポートを鞄から出し、英語で「運転免許センターはどこですか ?」と聞きました。
二人は書類を見て、(中国語で)何か話し合っていますが、中国語というのは柔らかな日本語とちがい、時に口げんかしているような印象を受けることが多い。
私は、その時の署長さんたちの怒っているような口調に「危険」を感じました。「私のことを、指名手配のテロリストかなんかと間違えているんじゃないのか」と。
そこで「君子危うきに近寄らず」、早々に書類をしまい「さいなラッキョ―」とばかりに入口へ歩き始めます。すると、またもや二人が口論し始めたかのようです(実際は、単に二人の声が大きいのと、中国語の抑揚のある言い回しが「口論」に聞こえただけだったのですが)。
そして、「おい、〇〇 ・・・」と、薄暗い机の方に声をかけると、それまで気が付かなかったのですが、そこには30歳くらいの大柄の警察官がパソコンをやっていたらしく、ヌッと立ち上がりました。署長は「この男を連れていけ」なんて言っているようです。
すると、その警官は「こっちへ来い」と言って私を促しますが、その先には「取調室」の看板が・・・。
更にビビったのは、その瞬間、例の掃除のばあさんが、にっこり笑って天然水のペットボトル(500㎖)を「はい、どうぞ」と言いながら、両手で私に差し出したことです(これぞシュールといえる光景ではないでしょうか。)。
「台湾の警察では取調室に入るときに水を渡されるのか。いや、これが本当の末期の水か」なんて妄想が頭を交錯する。
ここに至って、私の恐怖感は爆発寸前。
なにしろ台湾の警察とは、数十年前「2.28事件」という市民の大虐殺を行い、台湾社会はつい10年位前まで戒厳令下にあった、というのですから(岩波新書「台湾」)、外国人の私が「行方不明」になってもおかしくない。
こうなったら、(小林多喜二のように)黙って殺されるわけにはいかない。
幸い、相手は爺2人と若造一人ですから、暴れて表に出れば何とか助かるだろう、なんて考えが頭をよぎる。いや、待てよ、ここを逃げたとしても「下駄をはいた日本人」なんて、すぐに身元が割れて御用か?なんて、独りで煩悶する。
ところが、爺さん2人は何事もなかったかのように談義を再開しているし、若い警察官は「自分が先になって」歩き出す(普通、容疑者を先に歩かせるはず。)
しかも、彼は取調室ではなく、その横にポッカリ空いた洞穴(ほらあな)の入口のような所へ入っていく。
後に続いて入ると、内装もしていない、コンクリートの壁をぶち抜いたようなトンネルが数メートル続いていて、私はまるで、ウサギちゃんに導かれた「不思議の国のアリス」か、歌舞伎町でパンチパーマのお兄さんに連れられて入ったぼったくりバーの趣です。
ところが、出口のところにはパトカーが1台停車している。
若い警官に「乗れ」と言われ、逆に私は安心しました。
「そうか、ここでは英語も日本語も話す人がいないので、本庁というかもっと大きな警察署で日本語の通訳を介して取り調べをするんだな」と。
で、私が後ろのドアを開けようとすると、「違う、違う、こっちだ」と助手席を指す。 台湾では容疑者を助手席に乗せるのか、なんて感心していると、パトカーはゆっくりと道に出て、大きな通りを走り始める。
と、警察官は刺さっていたCDをちょいと押し込む。
と、いきなり「しーらかばー、あおぞーら、みーなーみーかーぜー」なんて、どこかで聞いたような声と音楽が・・・。
思わずのけぞり「え、これは !」と私が叫ぶと、「俺は千昌夫が好きで、台北でコンサートがあった時には新幹線で行ったんだ。」なんてニッコリ笑い、流ちょうな英語で話す。
「え、あんた英語を話すの ?」「あの二人は話さなかったよ」というと、「ああ、あの人たちは全然駄目。台湾の警察官で40代50代は英語を話せない。30代で話せたり話せなかったり。そして、俺たち20代は全員話せる。」
「いやー、退屈で眠かったので、あんたが来てくれて助かったよ。」なんて言っているうちに、パトカーは運転免許センターの中へ入っていく(車で5分くらいのところだったんですね)。
売店・軽食の店の前に車を停めて降りると、警官は店の前で麻雀をやっている男の一人を呼びつける。
サングラスをかけた(ガラの悪そうな)40代の男が、もみ手でペコペコしながら走り寄ってくる(後で知ったのですが、このオッサン「その筋の方」だったのです)。
すると警官は「この人は日本人だ。日本の免許を台湾の免許証に書き換える手続きで来た。面倒を見てやってくれ」なんてことを中国語で言っている。
するとオッサンは「へぇー、これが日本人ですか。初めて本物を見た。」なんて言いながら、上から下まで物珍し気に私を見ている。警察官は「じゃ、俺はこれで」なんて行こうとするので、パトカーの横に立ってもらい写真を撮らせてもらいました。
この警察官も、頭はパンチパーマ、色付きのメガネなんですが、この写真を見るたびに「千昌夫ファンの台湾警察官(の制服を着た○○○ ?)」と、懐かしさが湧いてきます。
ここまでが「台湾警察の問題解決能力」なのですが、この後に私が見た「台湾ヤクザの問題解決能力」もまた、いかにも当時の(客家ではない)台湾人の、中国的というか、カッコウや形式にとらわれない、自由で骨太な彼らの人間性を感じさせてくれました。
そして、2023年の現在感じることは、日本警察の「陰気で・後ろめたくて・陰湿な体質」と異なり、台湾警察の「後ろめたさのない・自然でオープンで明るい体質」が、ヤクザを含む台湾社会全体に、自由で伸び伸びとした影響を及ぼしていたのではないかという気がします。(政治が警察に影響し、そこから民衆に感染、ということなのかもしれませんが)
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