其の二  「 四天王  」        遠之 えみ作

その夜のうちにスフレは西国目指して飛び立った。

西国のサバンナは伝説の天馬、ペガサスの血を受け継ぐ騎馬軍団の聖地である。

かつて、地球ではグレートホースの名を欲しいままに、愛しまれた名馬の末裔たちである。勿論ここにもキャリア、ノンキャリアの区別は存在するが。

スフレはかつての戦争で、疲弊したマスター軍団の援護を買って出た勇敢で誇り高い猛者の智慧と力を借りる為、今は、代替わりしているであろう「四天王」と呼ばれる騎馬軍団の大将に合わなければならなかった。

齢297歳の梟スフレにとっては最後と思われる大仕事である。

スフレは老いた体に鞭打ち、力強く、目一杯翼を広げ草原目指して羽ばたき続けた。


時同じ頃、タルトは魔女とタップを背負いフラワー村目指し激走していた。

タップは、風の様に走るタルトの背の上から油断なく辺りを見回し、耳を傍立て、せわしなく鼻を動かした。タルトは若く屈強な体躯の持ち主だが、真夜中に魔女を背負っての道中はやはり危険が伴う。マスターがいなくなった数年後にアウトローが出没する様になり、大きな問題になっていた。それこそがマスターの呪文さえ届かぬ生命の神秘、突然変異である。しかし、問題とされているのはあくまでもアニマル人の立場から見た見解に過ぎない。野生のアニマルにも生きる権利と意義はあるのだ。マスターや、魔女の呪文があれば、素のアニマルをアニマル人に変容させるのは容易だが、今はもう誰もいない。たった一人残された魔女は自分の名前さえ思い出せないポンコツだ。ところが、そこは魔女である。魔女はタルトの背にしがみつきながら、腰に巻き付けた沢山の袋の中から一つだけ紐解き、全速力で駆けるタルトの背後に撒き始めた。

袋の中から黄色い粉末が風に乗って散らばっていく。この粉末を浴びた者は忽ち戦意喪失するシロモノだ。自然界に様々な猛毒が存在する中、これは強烈な悪臭で敵を攪乱し、命までは取らぬとも、二度と、近付く事を許さない。


フラワー村のゲートに括られたランプの灯を見て、タルトは心底安堵した。

ゲートの中では帰りを待ちわびていたキャリアの面々が待ち構えていた。テイラミスもシフォン手製の車椅子に乗り、タルトとタップ、魔女を迎え入れた。

テイラミスの地下室では、既にタルトたちの到着より少し前に召集された四つ仔が、テイラミス自慢のクッキーを奪い合う様に貪り食べているところだった。

ここでも、はじき出されてベソをかいているのはつくしだけである。

この有り様を見たテイラミスは「やれやれ…」と云った顔で四つ仔を呼び寄せ、裏庭の倉庫から各自一箱づつドライフルーツの箱を持ってくる様言い付けた。当然ここも首位争いである。我先にと飛び出したのが吹雪。まあ、これは順当だが、テイラミスが「おや…」と思ったのは二番手がサクラではなくつくしだった事だ。「おやおや…これは…」と、テイラミスはシフォンと顔を見合わせ満足そうに頷いた。

再び、全員揃ったところでタルトが事のいきさつを語り始めると、地下室は怒りの渦に包まれた。当然怒りの矛先は魔女である。魔女はテイラミスとタルトに挟まれる形で窮屈そうに座っている。怒り狂っても解決はしない。冷静に諭すテイラミスだったが、キャリアの性格、考え方は其々である事はテイラミス自身もよく解っている。

キャリアの中には、いっそ魔女を差し出して取引に持ち込もうと云う者まで現れた

が、テイラミスの「ナンセンス‼」と云う一言で一蹴され、地下室は一瞬にして鎮まりかえった。気まずい空気の中、「はい!質問!」静寂の中に響いたのはパンジーの甲高い声である。

アライグマドクターは、今しがた口にしたお茶を危うく吹き出すところだった。

「何です?パンジー」テイラミスの声には少しだけホッとしたニュアンスが漂っていた。

「解りません、何故メシアは第一の弟子であるスネークの家族を見捨てたのか…」

オマエ、こないだの夜の話聞いてなかったのか? と、すかさず吹雪の茶々が入る。

「ヤッパリ狸寝入りじゃない!タヌキブタ‼」「なんだよオマエこそ!チョットばかり頭がいいからって調子に乗るな!」「チョットじゃないわよ!ねえ!ドクター‼」

ドクターは三口目のお茶を喉に流し込む前に噴き出してしまった。新調したばかりの白いスーツに茶色の不規則な地図が描かれていく。

こうして三つ巴の言い争いが始まった。  暫くして、ピシャリと、言いたい放題の三人を諫めたのはやはりテイラミスである。

「しょうもない!もうやめるんだ!吹雪、口にチャックしておいで。それからドクター、なんです!あなたまで!」テイラミスに𠮟責されて、吹雪とドクターはすごすごと引き下がった。しょんぼりと引き下がった吹雪にパンジーのドヤ顔が降り注いだが、突然テイラミスがパンジーの目の前でパンパンと手を打った。これはパンジーに対する威嚇にほかならない。途端にパンジーの背中がシャキーンと伸びた。

「…必要以上の食糧を必要以上に生産し、無駄に消費するのは人間だけだ。人間の武器は高い知能だが、今ではその高い知能に翻弄されている。無論全ての人間がそうだとは言えない。極一部の、独裁者と云われる権力の権化が今だに救いのない戦争をやめようとしない。メシアが地球人より早くこの惑星を手に入れたのはラッキーだった。何故なら、当時、一部の人間たちは既に高度な調査によって、この惑星を認知していたからだ。もし、もしもそんなタイミングで人間をテレポートしたら……野望を抱くスネークの思うつぼだ。 メシアは、スネークの能力を高く評価していたが…」

「信用していなかった!」 キッパリした吹雪の声が地下室一杯に響いた。又アンタ?と言いたげなパンジーの冷たい視線攻撃をひょいひょい交わして、吹雪はサクラの背中に廻り変顔でやり返してくる。パンジーにとって痛快だったのは、調子に乗って変顔ビームを繰り出す吹雪に拳骨をくれた者がいた事だ。タルトである。

でも、でも…スネークを産み出したのはメシアなのに…何故そんな異分子が……

「それこそが生命の神秘だよ、パンジー、我々はそれを突然変異と云っている」テイラミスの代わりに答えたのはドクターである。 「この先は…」とテイラミスが引き取り続けた。

「スフレならきっとやり遂げる。スフレが命がけで連れて来られる「四天王」に教えを請うのだ。これからお前たち四つ仔は其々「四天王」の下で修行をするのだ。

とにかくスフレの便りを待とう」 「四天王」「修行」と聞いた吹雪とサクラは頬を紅潮させて喜んだが、つくしは涙目でオロオロと周りを見渡すばかりだった。

パンジーは到底納得がいかず、魔女と共に自室に下がったテイラミスの代わりにタルトを捕まえ不満をブチ撒けた。「この私に武器を持って修行しろと?それこそナンンス‼私には惑星一の頭脳があるのよ!…今はまだ子供だから解らない事が多いけど、けど!武器を持って戦うなんて!想定外よ!有り得ない!絶対!絶対!嫌―――‼」 喚き続けるパンジーに、夜っぴて走り続け疲れているタルトの我慢も限界に達し、端正な顔立ちの美青年は徐々に本来の正体を現し始める。

危険を察知した吹雪とサクラは大急ぎでパンジーを抑え込み、喚き散らしているパンジーを両側から抱えるや引きずる様に、地下室の階段を駆け上がり外に逃げた。つくしはいち早く逃げたらしく植木の隅っこで震えながらベソをかいていた。


魔女はテイラミスの好意で一緒に暮らす事になったが、水晶玉は常に妖気を放つ為、テイラミスの家の裏側、四つ仔がドライフルーツを取りに行った倉庫で保管する事になった。キャリアたちは、二世はおろか一世さえも倉庫に近づこうとはしなかった。タルトさえも。

しかし、四つ仔は違った。特に、好奇心の塊である吹雪とサクラは両親やテイラミス、タルトの目を盗んでは倉庫に忍び込み、水晶玉に閉じ込められているドラゴンを飽く事なく眺めていた。――ドラゴンは魔王の使い、破壊者――と言われても、今、吹雪とサクラに見えているのは糸の切れっぱしである。

小さな水晶玉の中で浮遊しているだけの切れっぱしを、大人たちは何故あんなに大騒ぎするのか二人にはよく解らなかった。フラワー村以外の世界を知らない二人だから無理もない。が、パンジーだけはちょっと様子が違う。パンジーは、ドクターや、テイラミス、シフォンからスフレまで、高い知能と知識を持つ大人を片っ端から捕まえては質問攻めにする為、やや敬遠されているのだが、大人たちはこの知識欲の鬼を邪険に扱うことは許されない。だが、これがただの質問攻めではない。ドクター曰く地獄である。メシアが遣わした「救世主」であるから、大人になるまで労わり、成長を見守るのは当然としても、度が過ぎると云うのが餌食となった者の共通見解だ。 パンジーがタルトに向かって喚いた「惑星一の頭脳」もあながち間違ってはいないのだが、少々傲慢で、かつ強引である。

吹雪とサクラの秘密の行動はすぐにパンジーにバレた。

倉庫に差し込む月のあかりの下で、吹雪とパンジーは作業台を挟んで睨み合った。

作業台の真ん中に、深紅のビロード袋を敷いた水晶玉があった。つまり、水晶玉は袋から出された状態にある。吹雪とパンジーの言い合いは激しくとも長くは続かない。大抵はパンジーに言い負かされるからだ。

こんな光景など見慣れているサクラとつくしは広い倉庫内を物色し始めた。

ドライフルーツの箱がうず高く積み上げられている。その横には大きな樽が並べられ、ラベルを見ると干し魚である事が分かった。他にも、麦、乾燥コーン等。サクラはふと、テイラミスは何のためにこんなに備蓄しているのかと疑問を抱いた。

吹雪とパンジーの言い争いは、どうやら今日もパンジーに軍配が上がったらしく、吹雪は不貞腐れてパンジーに背を向け作業台に座っている。

そろそろ帰らないとマズい、吹雪にそう言おうとしたサクラが「あっっっ‼」と叫んだので、つくしは慌てて吹雪に縋りついた。叫んだのがサクラだったので、勝ち誇って喋り続けていたパンジーも口を噤んだ。

「なんだ?」と振り向いた吹雪の視界に水晶玉が飛び込んでくる。

水晶玉の中でナニかが蠢いているのが見えた。「オマエ、アントキのヤツだろ?」吹雪が言うと、切れっぱしが動き出した。祭りの日と同じく、一周する毎に大きくなり形がハッキリ見えてくる。あの日は六周目でスフレが取り上げた。

六周目で止まるかと思った切れっぱしが八周めに差し掛かった時、吹雪とサクラは水晶玉の中に囚われている正体をハッキリ認識した。

図鑑で見た事がある伝説の生き物、龍にソックリだ。喋れるのかな?と吹雪が呟いた途端、水晶玉がグルグル回転し出し浮き上がった。よく見ると直径10センチ足らずだった水晶玉がひと回りもふた回りも成長して、直径20センチ程になっている。

「魔女とテイラミスさんに知らせてくる!」パンジーが出口に向かって走り出すと、つくしも続いた。だが、二人は出口の所で襲ってきた水晶玉に行く手を阻まれてしまった。パンジーが戸を開けようと閂に手を掛けた時、水晶玉が矢の様に飛んできてパンジーに体当りを食らわせた。倉庫の奥から走ってきた吹雪が「パンジー!危ない!」と叫んだので振り向いてしまった。水晶玉はパンジーの顔のど真ん中に命中し、パンジーは鼻血を吹き出しながらひっくり返った。つくしは逃げようと必死になっていたが、パンジーの血塗れの顔を見て足を止めた。吹雪とサクラも出口に走り寄って来る。吹雪が再び閂に手を掛けると、水晶玉は、今度は吹雪目掛けて襲ってくる。だが、吹雪はパンジーとは段違いの俊敏な動きをする。たまたま手の届く所に立て掛けてあった丸太棒を握るや無茶苦茶に振り回した。これにサクラとつくしが加勢して、徐々に水晶玉を作業台の、元いた位置に押し戻していった。

水晶玉を魔よけの呪文がかかっているビロードの袋に戻す時には、玉のサイズも元通りになっていた。「…おかしい、、、誰が水晶玉を袋から?」そう言われて吹雪も気付いた。吹雪とサクラが倉庫に入ってきた時点で、水晶玉は袋の外だった事を。

「…ボクらだよ…」と、つくしが小さな声で言った。この一言で、吹雪とサクラは全ての事情を飲み込んだ。つくしはパンジーの言いなりで協力したに過ぎない事も。

「ゴメンよパンジー、でも、ボクもうこんな事やだよ」つくしにしてはよく言ったと感心した吹雪だが、それにしてもパンジーのヤツ…と主犯のパンジーに目を転じると血塗れで、これはこれで気の毒だった。

水晶玉が独自に動いた事を魔女とテイラミスに言うべきかどうか…四つ仔は小さな鼻を突き合わせて相談したが、テイラミスとタルトを怒らせたらとても恐い事を知っている四つ仔はビビった。結局、四つ仔の中でテイラミスの一番のお気に入りである吹雪がその役目を担うことになったのだが……


21日間スフレは西国目指して飛び続けた。

途中 激しい雨や風に前進を阻まれ、挫けそうになりながらも、傷んだ翼を繕い休み休み前進し続けた。とにかく時間がないのだ、と云う強迫観念が孤軍奮闘のスフレを支えた。

やがて、峰々に幾筋もの光が放出し始めた。朝日の出現である。

この峰を越えれば騎馬軍団の基地だ。問題は、事前の許可なく「四天王」の謁見が叶うのか…と云う事だが、魔女は――アウトクラトウル――の遣いと言えば叶うはずだと言った。スフレは正直半信半疑だったが、今は信じるしかないと腹を括っている。

朝靄を潜り抜けると突然パノラマに広がる草原に出た。

スフレは全身にアンテナを張り巡らせた。事情が事情とは云え、れっきとした不法侵入である。「四天王」まで辿り着く前に殺される可能性もある。

先ずは、検問所を探すべく、スフレが低空飛行に切り替えた途端、右方向から蔓で編んだ網が幾筋も投げかけられた。間一髪潜り抜けたスフレが空高く舞い上がると、今度は左方向から石礫の嵐がスフレを襲った。堪らず、もっと上空にと試みたが間に合わず、やむなく下降したスフレに大きな物体が体当りしてきた。数十メートル突き飛ばされたスフレが、態勢を立て直す間もなくスフレの羽を、硬く大きな蹄で押さえたのは猛者の軍勢。スフレは騎馬軍団の猛者の円陣に囲まれていた。

スフレは覚悟を決めて、メシアから与えられたアニマル人の姿を現し跪いて、先ずは、無断で侵入した事を詫びた。次に身分を明かし、「アウトクラトウル」の遣いである事を告げた。すると、馬群の中から一頭スフレの前に現れた。漆黒の騎士である。長い睫毛に覆われた大きな瞳の中にスフレのくたびれた姿が投影されている。

「事情は解った。「四天王」」に報告する。ここで待て」 騎士の合図で二頭の馬が素早く駆け出し、スフレを囲んでいた軍団も一斉に七歩下がった。スフレを囲む軍団は、ほぼ全てノンキャリアと見て取れるが、この統率力は流石だとスフレを唸らせた。フラワー村はじめ、他の国には見られない西国ならではの軍事システムである。


「四天王」との謁見は速やかに行われた。

「四天王」の一人、青鹿毛軍団の大将ビッグデイパーは、漆黒の隆々たる見事な馬体の持ち主。アニマル人としても、2メートル超えの長身に思慮深い瞳を持った賢者の風格溢れる立派な大将である。「四天王」のリーダー的存在でもある。

全身、黄金に輝くしなやかな馬体に青みがかった瞳を持つ 栗毛軍団の大将はムーン。知性と美貌と勇気を兼ね備えた女戦士である。

黒鹿毛軍団の大将ジュピターも、ビッグデイパーに負けず劣らずの風格とパワーを誇る騎士だが、「四天王」の中では唯一の三世で実戦を知らない。

白毛軍団の大将はムーン同様、女戦士マーキュリーである。

マーキュリー家は代々学者、研究者の家系で、戦士としてはレアなケースだが、参謀として存在感を発揮している。


スフレは居並ぶ「四天王」の前に額ずき、これまでの経緯を説明した。

「四天王」はスフレの話に終始耳を傾け、疑う素振りもなく熱心そのものである。

「アウトクラトウル」の威光である事は明白だが、黒歴史の戦争で亡くなった一世が命を懸けて守った惑星を、二世たちがその精神を引き継いでいるのである。

かつて、――スネーク――と呼ばれていた魔女がドラゴンとなり、再びこの惑星に厄災を振り撒こうとしている。先の戦争で騎馬軍団は数多の血を流した。兵士は皆忠実で、一世のリーダーたちの後に続いて果敢に戦ったが、手強い魔女が操る魔法で、次々虫けらに変えられ踏み潰された。それでも戦ってくれるだろうか……と、スフレは思った。今度の敵は魔王に魂を売ったドラゴンである。

勝算は、、、ない。今のところは。


草原が疾走する騎馬軍団で埋め尽くされていた。大地を揺るがす大軍勢が目指すのはフラワー村。スフレが「四天王」に謁見した十日後の事である。


スフレが騎馬軍団を伴ってフラワー村に戻ったのは、スフレが西国に到着して一ヶ月後の事。

四つ仔は初めて見る軍団の猛々しい姿に、村人たち同様 只々圧倒され、呆然と立ち尽くすばかりだった。

いつもなら好奇心丸出しで、誰よりも一歩前にシャシャり出る吹雪もサクラも、この日ばかりは軍団の姿に、畏れに近い感情を抱き、二人揃って後退りしていた。

騎馬軍団の偉大さは両親はじめ、村の年長者、最近仲良くなった魔女から聞いてはいたが、想像を遥かに上回るものだった。吹雪は身体の内側から波動してくる抗いようのない振動に歯を食いしばって耐えたが、振動は止む事なく容赦なく吹雪の全身を震わせた。

ところが、歯をガチガチいわせている吹雪の隣で、つくしの様子だけはいつもと違っていたのである。

軍団を見つめるつくしの頬が吹雪やサクラ同様紅潮し、別人の様に引き締まっている。いつものつくしなら、大抵真っ先に兄弟の後ろに隠れるのがお約束だ。泣き虫で臆病者のつくしの変貌を、隣で一部始終見ていたサクラは、つくしの視線の先を追って納得した。

つくしの視線の先には、軍団の中で一際輝きを放つムーンの姿が。

サクラは、つくしがムーンの魔法にかかった瞬間を目撃したのである。

ムーンのしなやかな曲線美と深みのある碧い瞳は、サクラにとっても衝撃だったので「ムリもない」と、素直に思えた。パンジーさえ見惚れている。寧ろ、ムーンの艶やかな姿を見ても、うんともすんとも動じない吹雪に驚きつつも、これ又「さもありなん」と納得できるサクラだった。


それから二年の月日が流れた。魔女はタンゴやスフレの手厚い看護の下、何とか生き延びてはいたが、目をつむっている日の方が多い。テイラミスも然りで一日中車椅子の中で眠りこけている。その点、シフォンはまだ元気に動きまわっているし、騎馬軍団からの武器の注文があれば、二世のカスタード、他国から応援に駆け付けた大工や鍛冶屋と力を合わせ、寝る間も惜しんで武器を作り続けた。幸いスフレも健在である。騎馬軍団がフラワー村に到着した当時のスフレの役目は、各国から応援に駆け付けてくれた多種多様なアニマル人の交通整理だったが、、、実は、騎馬軍団がフラワー村に駐屯する間、各国から志願兵を募り、集まることは集まった。しかし、いざ訓練が始まると、その過酷さに堪えられない者が続出し、殆どが逃げ帰ってしまった。地球では百獣の王と恐れられたライオンも、密林の王者の異名を持つタイガーも… スフレは悲嘆に暮れたが「四天王」は意に介さなかった。折込済みだと言って笑い飛ばしている。


四つ仔は、其々「四天王」預かりとなった。スフレから四つ仔の出自を聞いた「四天王」がどの軍団で鍛えるか相談して、所属の決定が下ったのは軍団が到着して三日後の事である。

目を輝かせて大将との面会を待ちわびる四つ仔の中で、唯ひとりパンジーだけは激しく抵抗していたが、所属する軍団の大将が科学者のマーキュリーと知って態度を一変させた。しかも、パンジーに課せられたミッションは呪文の解析である。北の大地、魔女の聖地と云われる洞窟から運び込まれる古文書を紐解き、まだ微かに記憶が残っているであろう魔女と力を合わせて、ペガサスを呼び寄せる呪文を探し出し解析する事。するとパンジーは小鼻を膨らませて居並ぶ「四天王」に言い放った。「流石お目が高い!」 吹雪とサクラは扱けそうになったが、まあしかし、これがパンジーである。

「四天王」を前に、よくもまあ…とスフレとドクターは赤くなったり青くなったり……

吹雪はビッグデイパー率いる青鹿毛軍団に所属が決まった。猛者の中の猛者が拮抗している最もパワーのある集団である。大将のビッグデイパーは、武者震いでわなわな云っている吹雪の肩に手を置いて目だけで薄く笑いかけた。

サクラは、まだ年若いジュピターが率いる黒鹿毛軍団。「子供だからといって遠慮はしない。黙ってついて来るんだ。出来るか?」腰まで伸びる長い黒髪を見事に編み込んでいるジュピターは、小腰を屈めて目線をサクラに合わせると、もう一度「出来るか?」と問うた。サクラは間髪入れず「出来ます‼」とキッパリ答えていた。

さて、つくしは…と云えばムーンだが、つくしの変貌に一番驚いたのはパンジーである。今、目の前に立っているのは、あの泣き虫で臆病者のつくしではない。

つくしに何が起こったのか知る由もないパンジーは、引き締まった表情でムーンと握手を交わすつくしを訝しく見つめていた。

それにしても、と、パンジーは思う。 ――ムーンの美しさといったら…――


訓練が始まった当初こそ、ジュピターの言った「子供だから…」遠慮はしない、と云うのは流石になかったが、目覚ましい成長を遂げる兄弟たちは、あっという間に兵士たちから「大目」「遠慮」と云う暗黙の了解を取っ払った。

特に吹雪の跳躍力は群を抜いていた。長い時間呼吸を止めて気配を消す事も、足音を完全に盗む事も。

想像を絶する厳しい訓練で、志願して来た者の殆どが屈辱のUターンを余儀なくされる中、四つ仔だけは生き残ったのである。「正に救世主、か…」「四天王」が集まるフロアで呟いたのは4軍団のリーダー、ビッグデイパーである。他の3人からの異論は一切なく、窓から見える3兄弟の訓練に目を細めているばかりだ。

スフレは、又ここから忙しくなっていった。

一つは、「四天王」の指図で、やむを得ずUターンした志願兵に新たな任務を与える事である。新たな任務とは、決戦に備え武器と食糧の準備と、誰一人、余す事なく身を隠せるシェルターの増築である。

二つ目は魔女の聖地に赴き、できるだけ多くの古文書を持ち帰る事だ。

供はタルト、タンゴ、タップ、医者のリス、パンである。パンも二世でまだ若い。

パンは村人たちはじめ、テイラミスの主治医だったが、危険を伴う一行に加わった。パンジーはテイラミスの屋敷で一番大きな一部屋を与えられ、魔女と、時間は短いが毎日訪れるマーキュリーと共に呪文の解析に励んでいた。

しかし、魔女が持っていた古文書は僅か一冊で「ペガサス」の記述はない。今はスフレの帰りを待つしかなかった。それでも、パンジーにとってはすこぶる有意義な時間であった。マーキュリーから、スクールでは課題にも上らないこの惑星に纏わる秘密や、地球の歴史が伝授される喜びがあったから。


つくしは、ここ数か月の間にある名誉に与した。

栗毛軍団の大将ムーンの背に乗る事を許されたのは、ムーンが二世として誕生後268年ぶりである。栗毛軍団の総勢は一万。内、キャリアは13人。ムーンの背に乗れるのは変身できるキャリアだけだが、過去一人もいなかった。正に快挙である。

つくしは、ムーンとの出会いを運命と信じ、ムーンの為なら死をも辞さずの決心で、日々地獄の訓練にも堪え、並み居る猛者を蹴散らし遂に名誉を勝ち取った。

ムーンの背に跨り、森の中を疾走するつくしの誇らしげな姿は否が応にも吹雪とサクラの闘争心に火をつけた。  それから程なくして、今度はサクラがジュピターの背に乗れる名誉を勝ち取る。ジュピター率いる黒鹿毛軍団は青鹿毛軍団に勝るとも劣らずの強豪軍団である。サクラは跳躍力こそ吹雪の二の次だが、スピードと剣の使いは黒鹿毛軍団一である。サクラのスピードについて来られる兵士はいない。

吹雪は、勿論、吹雪の事だから、、、と、考えるのが一般だが、そうではない。

吹雪の並外れた能力は誰もが認める所だったが、1年半を過ぎた現在もビッグデイパーの背に乗る事を許されていない。

実は、吹雪はある悪戯が原因で、ビッグデイパーは云うに及ばず一般の兵士、ノンキャリアからも睨まれ、憎まれた時期があったのである。

騎馬軍団は交代で休息日を設けている。ある夜、吹雪は訓練の疲れで爆睡している兵士たちと同じく宿舎に居たのだが、兵士たちの、訓練中とは別人を思わせる緊張感のない寝顔をみているうちに、持ち前の悪戯心が湧き上がってきた。

実に他愛もない悪戯だったが、タイミングが悪すぎた。

吹雪は、入れ込み状態の宿舎で行儀よく並んで眠っている、ある兵士の尻尾を半分掴むと右隣で眠っている兵士の尻尾に絡ませ、簡単に解けない様丁寧に編み込んでいった。更に簡単に解けない様にと、丁寧に糊付けした。あと半分の尻尾は左隣の兵士の尻尾と結ぶ。ここも丁寧に糊付けする。これを繰り返して20人のアニマル人全ての尻尾を結び終えたのは明け方近くだった。

満足した吹雪は、不意に襲ってきた睡魔に、いつもそうしている様に突っ伏し、お尻を立てて眠りこけた。

吹雪が、――騒がしいな――と目を覚ましたのは朝日が完全に昇ってからだった。

起き上がろうとしたが体が動かない。手足が動かないのだ。

勿論、原因はすぐに判明した。吹雪の身体は椅子に固定されていたのである。

そしてその場所は宿舎の外、森への入り口。いつも激しい訓練で血反吐を吐く場所だった。吹雪はこの瞬間「やっちまった」自分を呪ったが、遅すぎた様である。

「四天王」を先頭に、背後に控える5万の騎士たちの厳しい顔。顔、顔。

ビッグデイパーが剣を手に近づいて来た時、吹雪は厳しい罰を受ける覚悟を決めて歯を食いしばった。

大柄のビッグデイパーが造る影が椅子に固定された吹雪を覆った。吹雪は目の前に立ったビッグデイパーを正視出来なかった。青鹿毛軍団の大将が右手に握っているのは真剣だ。「覚悟はできているんだな?」吹雪は目を逸らしたまま首を横に振った。どんな罰でも受け入れるつもりだったが、まさか命を取られる事までは想像出来なかった。正直ムチャクチャだと思っている。「救世主であるお前の首を刈ると云う事が、どんな事か…解るか?」首を?刈る?やっぱりだ…吹雪は助けを求める様に、兄弟の姿を探した。一番近くにいたのはサクラである。サクラは明らかに動揺している。吹雪とジュピターを交互に見やりながら、ジュピターに何事か訴えかけているが相手にされない。つくしは、驚く程厳しい眼差しで吹雪を見据えていた。吹雪が生まれてこの方、初めて見る成長したつくしの姿である。


「オレは…」吹雪は言いさして黙り込んだ。「何だ?言ってみろ」吹雪は暫く唇を噛んでいたが、「オレは、、救世主なんかじゃない」と言った。

「何故そう思う?」ビッグデイパーの問いに吹雪が答えたのは意外な理由だった。

頭脳はパンジーに及ばない。スピードはオレやサクラよりつくしの方が、実はある。

サクラは剣の扱いが天才的だ。「お前は?お前の一番は何だと思う?」ビッグデイパーの問いに吹雪は暫く考え込んで弱々しく首を横に振った。「何もないのか?」吹雪の目から涙が溢れた。必死に押し殺していた声が堰を切った様に漏れて、最早止めようがない。

激しく泣きじゃくる吹雪にビッグデイパーは言った。「お前たちはまだ発展途上の子供だ。この先の訓練次第でどう変わるか分からない。それより、救世主はお前一人ではない。4人の力が結束してはじめて救世主となりえるのだ。自惚れるのもいい加減にしろ‼」

言い終わると同時にビッグデイパーの剣が振り下ろされた。訓練場から、大地を揺るがすどよめきの声が上がった。剣は地面を真っ二つにしていたが、椅子に縛り付けられていた筈の吹雪の姿が消えていたからである。

吹雪は椅子に縛り付けられたまま跳躍し、その姿勢のままビッグデイパーの正面に降り立った。すかさず、そこへ駆け付けたのがジュピターとサクラ、ムーンとつくしである。少し遅れてマーキュリーが加わった。幸か不幸かパンジーはいなかった。

「見事だ吹雪、お前の一番は今の跳躍で決まりじゃないか!」こう言ってくれたのはジュピターである。ジュピターは、苦虫を嚙み潰したような顔で憮然としているビッグデイパーに、今回だけは許してやってくれ、と、単刀直入に訴え掛けている。サクラもつくしを促し膝をついて必死に吹雪の助命を嘆願した。暫く考え込んでいたビッグデイパーにトドメを刺したのは、「救世主は4人、一人でも欠けたら、最早救世主ではない。先程あなたが仰った通りかと。」ムーンのこの一言である。


その後、吹雪は兵士たちから睨まれ蔑まれる日々が長く続いた。騎士たちは皆、真っ直ぐな気性を持っていたので、陰に隠れて陰険な制裁を加える愚行はなかった。

だが、厳しい訓練の激しさは倍増した。吹雪は何度も騎馬隊に蹴散らされ窮地に追い込まれたが、いつも間一髪の所で潜り抜けていたのである。窮地の吹雪を助けたのはジュピターも認めた驚異的な跳躍だった。事件の前は何かと声をかけてくれていた仲間も今は、目すら合わせ様としなくなって、吹雪は青鹿毛軍団の中で孤立していた。吹雪はへこたれそうになった時、ムーンの𠮟咤激励を思い出す。

「吹雪、あなたの悪戯は面白かったけど、それをヤルのは今じゃない。私たちが何故ここに集結して、何故、日々激しい訓練に明け暮れているか知らない筈はない。アレが解き放たれるのは今日かも知れない、明日かも、吹雪が悪戯した夜だった可能性もあった。厳しい戦いになるのは目に見えている。それでも、騎士たちは一歩も引かない、命を懸けて最後まで戦う。勿論、我々「四天王」も。吹雪が少しでも役に立ちたいと思うなら自分の力で現状の壁を越えなさい」 終始一貫穏やかな声音で吹雪を諭すムーンの貫禄に、吹雪は唯唯深く首を垂れて頷くのがやっとだった。

吹雪は自分に誓っていた。

磨くのは技だけではない。メンタルだ。精神力を磨かなければ「四天王」を超える事など不可能なのだ。今はまだ近づく事さえ出来ないが、いつか、必ず…超えてみせる。越えなければならない、と。


一方、この間スフレ、タルト、タップ、タンゴ、パンの5人は北の国の荒涼とした洞窟に辿り着いていた。記憶が分裂している魔女の話では、この洞窟にこそ魔法界のルーツがあると言う。後に魔女たちからマスターと呼ばれるようになった ――アニマル人にとってのメシア――が生まれたのは地球だが、多くの魔女が生み出され鍛えられたのはこの洞窟である。

洞穴は数多あった。一筋縄ではいかない事を示唆する様に複雑に絡み合っている。

目指すは、かつて、マスターが教義を行なった洞穴である。魔女によると、その洞穴は、洞窟のほぼ中央にありステージと云うそうだ。

一口に中央と云ってもフラワー村の10倍はあると思われる広さで、しかも迷路だ。

集合場所は洞窟の入り口。入り口は一ヶ所だけで、唯一洞窟の住人であるソフールと呼ばれる、タンポポの綿毛の様な生き物が目印になる。ソフールは洞窟の隙間から僅かに差し込む光で活動している。迷ったらソフールについて行けば入り口迄案内してくれる。5人は其々呼び笛を首に下げて四方に散った。

数多ある洞穴は実際に入ってみなければ分からない。タップが本来の姿に戻り、ギリギリ通り抜けてみると、いきなりだだっ広い広場に繋がっていたりする。何に使っていた広場なのか横穴が無数に開いている。タップは思わず溜息をつきそうになったが、そうも言っていられない。一つ一つ潰していく他手だてがないのだ。

それは他の4人とて事情は同じである。水を湛えた洞穴。何キロも真っ直ぐに延びる洞穴。かと思えばうっかり通り過ぎてしまいそうな天井の通路。気短なタルトはスピードにモノを云わせて動き廻るので、何度か天井の通路を見過ごしては、戻るを繰り返し地団太を踏む羽目に。

タンゴはソフールを肩に、慎重に歩みを続けた。歌いながら。

近くに遠くに聞こえてくるタンゴの歌を聴きながら、スフレも又、目を凝らし慎重に探り歩いた。パンは持ってきた聴診器を壁に当てながら進んだ。

洞窟は、5人が考えていたよりも遥かに、想像を超える難所であると、誰もが、一日目にして突きつけられた現実である。


半年経っても、5人はステージを見つけることが出来ないでいた。洞穴は全てクリアできた筈なのに肝心のステージが見つからない事に皆焦っていた。タルトは苛立ちを隠そうとせず、入り口に立っては遠吠えを繰り返した。

「今夜はひとまず喉を潤して休もう…」と言うスフレに従い、皆、重い足取りで湖がある洞穴へ。持ってきた食糧も殆ど無くなっていた。これまでか…と口には出さないが誰しも諦めているのは明白だった。

タンゴが、汚れた体を洗いたいと言って、いつもより遠く深く沈んでいった。

タンゴは泣き喚きたい感情を必死に堪え、足の届かぬ深さ迄進むと大きく息を吸込み水中へ。水中で、タンゴは今日まで溜め込んでいた焦燥やイライラを一気に爆発させた。何度も何度も叫んだ。一気に吐き出された酸素は細かな気泡となり消えていく。

そして、空っぽになった肺は新たな酸素を要求してくる。が、タンゴにはもう吐き出す酸素がない。浮き上がればいいのは解っていたが、タンゴは、「このまま…このままで…」と腕をクロスに組んで湖底に横たわった。水中なのに涙が溢れ出る不思議な感覚を意識しながら。しかし、タンゴの肺が限界に達したその時、薄れゆく視界の端によぎったものが。咄嗟にそれが何か確信したタンゴは渾身の力を込めて湖底を蹴った。

間一髪溺れる寸前である。水中から顔を出し激しく咳込んでいるタンゴの近くまで泳いできたのはタルト。スフレも空中でホバリングしている。湖畔ではタップとパンが心配顔で佇んでいた。

タンゴは激しく波打つ鼓動が鎮まるのを待ってから、タルトを伴い再び水中へ。

見間違いではなかった。縦長のそれは紛れもない洞穴である。

迷いなく入っていくと途端に水が引いて、いや、消えて無くなっていた。それどころか、身体も濡れていない。タルトは残りの3人を呼びに戻り、タンゴは前に進んだ。

程なく大きなテーブルを設えた部屋に辿り着いたタンゴは、テーブルの長さに驚いた。少し辿って走ってみたが、延々と続いている。時間を惜しんで戻ってみると、他の4人が興奮した面持ちで待ち構えていた。其々手にしているのは、魔女が言っていたペガサスを呼び寄せる呪文が、その中の一冊に、どこかに記述されている古文書で間違いなかった。ここがステージだったのだ。


























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