第209話 弓手《アーチャー》②

 皇城を秘かに出立した弓手アーチャー達一行は、街道を通らずに道なき道を走り抜け、馬車で街道を進むザミエル一行を追い越して、日が暮れる頃には森の手前にある町まで辿り着いた。


 町の手前で待っていた帝国諜報部の部員たちと落ち合い、商人としての偽装のために服装や荷物を改める。

 それから町に入って宿を取ると、そこでやっと夕食を済ませた。


 おしゃべりな宿屋の女将が何かと話しかけてきたが、弓手アーチャーが全く相手にしなかったら話しかけてこなくなり、ホッとする。


 幼少の頃から人から差別され、両親をたいした理由も無いのに惨殺された弓手アーチャーは、人間に対して熾火のように静かに燃える怒りをずっと胸に抱いていた。


 ラファエル部長にだけは命を助けてくれた恩義があり、人間を殺す機会を与えてくれるので従っている。

 しかし本音を言えば、目につく人間すべてに矢を射かけて、皆殺しにしたい気持ちが抑えがたく心の奥底にあった。

 だからコミュニケーションとしての世間話や噂話などは時間の無駄としか考えておらず、全く興味が無い。

 必要な情報には興味を示すが、その他のことには耳を貸す気も無ければ、会話すらする気がない。


 そんな弓手アーチャーなので、暗部の同僚とはいえ他の五人に対しても、全く信用もしていないし興味すらもっていなかった。

 単に目的地に案内する役目を果たしてくれて、標的を仕留めるための道具になってくれればいい、程度にしか考えていない。


 五人の男たちのリーダー格の男が、ある商人たちが狼の子育ての時期なのに森を通行するかどうかを仲間内で相談しているのを見て、酒を奢るのを口実にして同席した。


 商人たちと交渉し、五人で護衛するのを条件に同乗を頼みこんだら上手くまとまったと話していたが、弓手アーチャーには毛ほども興味がない。

リーダー格の男が、自分たちがなんとか商人たちの馬車を誘導するので、森の中で彼らを射殺してくれと言われたときも、無表情にただ頷いただけだった。


 詳しい打合せをして待ち伏せの場所を決めると、弓手アーチャーはまだ夜も明けきらぬうちからひとりで宿を抜け出すと、森の中へと入っていった。



 弓手アーチャーは、森の中に入ると、ホォーッと長いため息をつく。

 森の中に居ると本来の自分に戻るようで、気持ちが落ち着くのだ。


 幼い頃から森の中では全能の神にでもなったかのように五感が鋭くなり、空気の流れや様々な獲物の臭い、虫が飛び立つ音までもが明瞭に感じられた。

 なんなら目をつぶっていても、何処に何があるか分かるような気がしたほどだ。

 今思えば、エルフ特有のスキルが働いていたのだろう。


 愛用のロングボウに弦を張ると、森の中で大きな樹の幹に背を凭れ、目をつぶる。


 それから弓手(アーチャー)は微動だにせず、大樹の前でじっと座っていた。

 まるで樹と一体化したようで、警戒心が強いウサギでさえすぐ近くにいる弓手アーチャーの存在に気づかず、その足元で草を食んでいたほどだった。


 弓手アーチャーは森の中を馬車が走ってくる気配を感じると、眼を開く。

 身動ぎすると、突然弓手アーチャーが現れたように感じて驚いた小動物たちが、慌てて逃げ惑った。


 打ち合わせ通り、待ち伏せの場所に移動すると、待つほどもなく馬車がゆっくり進んでくるのが見えた。


 弓手アーチャーは弓に矢をつがえると、馬に狙いをつける。

 ふと、事故に見せかけろと言うヨルゲン課長の言葉を思い出すと、悪戯心が湧いて狙いを馬の耳の穴に変えて矢を放つ。


 空気を切り裂く音とともに馬の耳に矢が突き立ち、深く刺さった矢尻が馬の脳髄を破壊した。

 倒れ込む馬を見て、突然の出来事に驚いて御者台から立ち上がった二人の男に対し、弓手アーチャーは二本の矢を同時に弦につがえて素早く放った。

 動いている標的に当てるだけでも難しいのに、同時に飛んだ矢は正確に立ち上がった二人の男の耳に突き立つ。


 馬が倒れた勢いで横転する馬車から、五人の部員たちが飛び降りるのを見ていた弓手アーチャーは、そのあとに馬車から出てきた見慣れない顔の者を見て、また弓を構える。


 その男はなにやら喚きながら御者台に駆け寄ると、ふたりともの耳に矢が刺さっているのを見て、悲鳴を上げた。

 馬にも同様に矢が立っていることに気づき、不審気にキョロキョロと辺りを見回していたが、何かに気づいてハッとしたように倒れた馬車の陰に駆けこもうとする。

 そこに斜めに傾いで飛んできた矢が回り込むように軌道を変え、馬車の裏に隠れようとした男の耳に突き立った。


 その場にいた帝国諜報部員たちは、噂には聞いていたものの初めて見た弓手アーチャーの弓矢の腕前を見て、無言となり恐れをなしていた。

 暗部の人間なら弓矢の訓練は欠かさないし、並の兵士より腕は立つ者ばかりだ。

 そんな暗部の者から見ても、弓手アーチャーの腕は人間技とは思えなかったのだ。


 動物でも人間でも頭という部位は常に動いているし、しかも胴体に比べて的としては非常に小さい。

 そんな頭に当てるだけでも難しいのに、ましてや耳の穴を正確に射抜くというのは、尋常のことではない。

 

 森の中から亡霊のように現れると矢を遺体から抜き、矢を回収したら、また森に消えていく姿を五人の部員たちは一言も発さずに見送る。

 そして弓手アーチャーの姿が完全に見えなくなってから、馬車の荷物や遺体の配置を変える工作を始めた。

 偽装工作を終えるとそれぞれ荷物の中からクロスボウを取りだし、五人で短く手順を確認すると、それぞれが森の中に散っていく。



 その後、しばらくしてザミエル一行が偽装工作した現場に到着する。

 うまい具合にすでに仔狼を連れた狼の群れがやってきていて、馬や遺体に群がっていたのでザミエルたちを誘き寄せるのに成功していた。


 しかし、程なくして五人の接近を感知したのか、エルフの女が森の中に消え、ザミエルが馬車の天井に登り、矢盾を起こすのを見て弓手アーチャーは舌打ちする。

「チッ、気付かれたか、馬鹿どもが。まったく使えねぇ・・・・・」


 それから弓手アーチャーは、エルフの女が暗部の男たちに発砲し、倒していくのを興味深く観察していた。

 馬車の上からザミエルも索敵のスキルを辺りに張り巡らせているのを感じていたので、暗部の男たちが襲われても助けるようなことはしていない。


「なるほど、エルフの女も弓ではなくジュウを使うのか・・・・・。なかなか堂に入っているな。ジュウの威力もたいしたものだ」


 エルフの女が暗部の男たちを全て倒すのを見ていた弓手アーチャーは、興味深く銃を扱う様子を見ていた。

 しかし、最後にリーダー格の男が射殺されずに捕まると、再び舌打ちする。

「チッ! 撃ち殺してくれれば良かったのに・・・・・。面倒な」


 ジュウを使った戦い方も充分見たと思った弓手アーチャーは、口封じをせねばと弓に矢をつがえ、樹の陰に縛られたリーダー格の男に向けて矢を放つ。


 男の頭に矢が突き立った瞬間、ザミエルが何かを叫び、エルフの女の気配が消えた。

 次いで、ザミエルから猛烈な銃撃の火蓋が切られた。


 エルフの女のように一発ずつではなく、間断なく銃弾が襲ってくる。

 たちまち弓手アーチャーが盾にした樹の幹は銃弾に削られ、細い部分だと貫通してきた。


 たまらず弓手アーチャーは太い樹の方に逃げ込みながら、木の枝の間を縫って山なりの軌道で矢がとどくよう、空に向けて素早く二本の矢を速射する。


 ザミエルが屋根を転がって矢を避け、馬車の中に避難するのが見えた。


「勘のいいヤツだな。でもこっちの奴らはどうだ?」


 まずザミエルに発砲させないよう、馬車のドアに向けて二本の矢を同時に射る。

 続けて馬車から少し離れたところにいる近衛騎士達に向けて、まず三本の矢を同時につがえて放った。


 そのまま間髪を入れず三人の近衛騎士を狙い、空に向けて三本の矢を速射し、放物線を描いて飛ぶ矢を見つめる。


 最初に放った三本の矢は防がれたが、上空から近衛騎士らを襲った矢は一本外れたものの、ふたりに矢傷を負わせられたようだ。


 再びザミエルから猛烈な銃撃を受ける。

 盾にしている樹の樹皮や木の破片が銃弾に削られて飛び散り、眼も開けていられないほどだ。


 その間に近衛騎士らは馬車に逃げ込んだようだ。

 そのかわりにザミエルが森の中に入ってきたのを見て、弓手アーチャーはニヤリと嗤う。

「ふん、森の中で俺と張り合えるとでも思っているのか? お手並み拝見といこう」


 ザミエルがジグザクに藪の中を進んでくるのを見て、脅しで一発、矢を射ると静かになった。

 すでにエルフの女と合流して、こちらを窺っているようだ。


 そのうち、ザミエルと別れてエルフの女がひとり、こちらに向かってくるのが感じられた。


「フム、面倒だから、エルフの女から片づけるとするか・・・・・」


 弓手アーチャーは静かに樹の陰で弓に矢をつがえ、エルフの女が近づいてくるのを待った。

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