第206話 規格外の化け物

 ロサは銃を抱え、森の中を滑るように移動する。


 生い茂る森の樹々や下草までもがロサの味方をして、まるで樹々が身を捩って分かれるかのようにロサが通るための道を空け、邪魔しないよう助けてくれているようだった。

 そのためなのか、ロサは走っているのに全く葉擦れの音すらしないのだ。

「森の民エルフ」の面目躍如たるものがあった。


 時折立ち止まり、敵の気配を探る。


 ちょうど今、草叢に隠れているロサの存在に全く気付かず、馬車の方へとゆっくり近づこうとする男が、ロサが居る場所からほんの10メートル先を歩いている。


 手には既に弦を引き終え、ボルトをセットして引き金を引くだけの状態にしたクロスボウを持っていた。

 男は音を立てないよう、細心の注意を払って進んでいるつもりのようだが、ロサから見れば大音響で音楽を鳴らしながら行進しているように感じられる。


 ロサは目の前の男からさらに20メートルほど離れた先に、もう一人の男がやはりクロスボウを持って馬車に向かっているのに気付いた。


 こうしてある程度の間隔をあけて、五人の男たちが馬車を包囲しようとしているのだろう。


 ロサは草叢の中で静かに、既に薬室には装弾済みのマリーンM1895を構える。

 右手の人差し指で、右側フレームの銃床近くにポツッと飛び出た丸いボタンのような安全装置クロスボルトセフティを押し込んで解除した。

 ハンマーは既に起きている。

 

 ロサは目の前の男ではなく、まずは30メートル先にいる遠い方の男にマリーンの照準を合わせると、静かに引き金を落とした。


 映画ダーティハリーでクリント・イーストウッドが使う、44マグナム弾の2.5倍ものパワーを持つ45-70弾の巨弾を胸に喰らった男は、その巨大なパワーで吹き飛ばされた。

 横の大樹に叩きつけられると、そのままズルズルと樹の幹に血の跡を残しながら崩れ落ちる。


 素早くマリーンM1895のレバーを操作し、排莢・装填を行なったロサは、10メートル先で驚愕し、狂ったようにクロスボウを辺りに振り回している男に照準を移す。


 男は銃声に驚き、近くで大音響が響いたにもかかわらず、銃撃した相手の姿をいくら探しても見つからないことに怯えていた。

 すぐ近くに潜んでいるにも拘らず、森に溶け込んだロサを見つけるどころか、その姿を男は目視すら出来ていない。

 男が慌てふためいている間に、ロサは落ち着いて銃口を男に向けると発砲する。


 至近距離で撃たれ、真正面から鳩尾に45-70弾が着弾した男は、クロスボウを放り出しながら後ろへ吹き飛ぶと草むらの中に仰向けに倒れてピクリとも動かなくなった。


 ロサは再びレバーを操作し排莢・装填すると、銃床に取り付けたクィーバーから二発、45-70弾を抜いてフレーム右側にある給弾口からチューブ弾倉に補弾する。

 それからロサはスゥッーっと草叢の中を後退ると、また森の中に溶けていった。


 ロサが「緑の悪魔」という二つ名を付けられるようになるのは、もう少し後の話。



 同様にして四発目の銃声が轟いた頃には、ただ一人残ったクロスボウの男は、完全にパニックに陥っていた。

 包囲のため近づいていた仲間の姿が、銃声が起こるたびに見えなくなり、恐らく全てやられてしまったのであろうと言うことは男も本能的に理解していた。


 もはや馬車へ近づくという選択肢はあり得ず、怯えた小動物のように大樹に背を預け蹲っている。

 辺りを見回し落ち着きなく動く眼球は、見えない敵の姿を必死になって探していたが、森の中は静まり返ったままで気配すら何も感じられなかった。


 僅かに風に草叢がそよいだだけで、男はその葉擦れの音にビクッとしてクロスボウを向ける。

 そしてその時強い風が吹き、辺りじゅうの大樹の葉が騒めいて、辺りの草叢も一斉に揺れはじめた。


 恐怖に辛抱堪らず男は立ち上がると、口から迸り出そうな悲鳴を押し殺して、馬車とは反対方向に走り出した。

 辺りを落ち着きなくキョロキョロと見渡し、たえず後ろを警戒して振り返り、無闇矢鱈にクロスボウを向けながら走ろうとする。


 そんな無理な態勢で走り出したものだから、ついには木の根に足をとられ、無様に転んでしまった。


 自分の無様さに唇を噛み締め、それでも男は辺りを見回しながら起きあがる。

 すると今、誰かが後ろに立っているような気がして、ハッとして振り返ってクロスボウを構えるが誰もいない。

 

 気のせいだったかとクロスボウを下ろして前を向くと、ほんの一瞬前まで誰もいなかった男の目の前に、ロサが立っていた。


 まるで瞬間移動してきたのか、それとも湧いて出たのか。

 そんな思いであっけにとられた男が驚きのあまり固まってしまうと、ロサがマリーンM1895を振りかぶって銃尾で男の顎を殴りつける。


 顎を砕く一撃に脳を揺らされ、失神して意識を失う前に男が見た光景は、銃を油断なく構え直して自分に銃口を向け、無表情に男を見据えるロサの冷たいまでの美しい顔だった。


 

 ロサは失神した男を捕虜として樹に縛り付ける。

 もちろんこれから、石動らと共に男を尋問し、何故、何のために襲ったのかを白状させるつもりだ。

 十中八九、帝国諜報部暗部の仕業に違いないと思っているが、証拠はいくつあっても困ることは無い。

 

 男を縛り終えると、ロサは馬車の方に向かって手を振り、馬車の矢盾から顔を覗かせている石動に合図した。


 石動が手を振り返し、FG42でロサのバックアップのため狙いをつけていた構えを解いた。

 FG42をスリングで背に負うと、馬車の屋根から降りようとして、視界の隅に動きがあるのを感じて振り返る。


 石動が森の中をよく見なおすと、ロサから200メートル程離れた大樹の陰から身を乗り出し、弓を引き絞っている男の姿が目に飛び込んできた

 その男は身長程もあるロングボウを引き絞り、グレーの外套を着てフードを被っていた。


 石動がFG42を構えて狙いをつけるより早く、フードを被った男が矢を放つ。

 その放たれた矢の軌道を見た石動は、フードの男に狙いをつけるのも忘れて、あまりの不自然さに違和感を持つ。


 なぜなら放たれた矢は真っ直ぐではなく、矢尻が左を向いたまま、斜めに傾いだような形で飛んでいたからだった。

 まるで魔法のように斜めに傾いだ形のまま飛び続け、ロサが男を縛り付けた樹の右側を通過したと思うと急激に左に曲って飛び、縛られた男のこめかみに矢が突き刺さる。


「ロサ! 逃げろ!」


 石動が叫ぶと同時にロサはサッと地面に伏せて、そのままの姿勢で後ろに退くと、再び森の中に溶け込んでいく。


「なんだ、あれは・・・・・・弓矢ってあんなことが可能なのか?」


 実際に弓の名手が射ることで、矢の軌道を変化させる技は実在している。


 現代の動画サイトを覗いても、アーチェリーを使い矢の軌道をカーブさせて射ることで、障害物の後ろにある的に当てるテクニックを披露した動画はいくつも見ることが出来る。


 弓弦の中心からこぶし一つ分ほど離れたところに矢をつがえることによって、矢が曲がって飛ぶようになるとのことだが、正確に射るには相当の練習が必要なのだろう。


 ただこれらのテクニックは張力の弱い弓を使う必要があり、それに矢の軌道を大きく曲げればそれだけ矢の勢いも失われてしまう。

 そのため長い距離を飛ばすのは無理で、せいぜい数メートルくらいの距離なら軌道を曲げて的に当てるのは可能というものらしい。

 それでも十分、まるで魔法の様な技で、スゴ技だと思うが。


 しかし、例えばそう、200メートルの距離で矢の軌道を曲げ、障害物の後ろにある的に当てることが出来るかと言えば、それはまず不可能だし非現実的なのだ。

 そんなことが出来る者が居るとしたら、それは規格外の弓の名手であるか、化け物に違いない。


 フードの男はまさにその規格外であり、化け物であった。

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