第41話 過去①

 -------石動イスルギは1994年4月11日に山口県S市で生まれた。

 海沿いには主要産業である重化学工業企業が多数立地したブルーカラーの街で、人口は10万人強とこじんまりしている。

 海と山に囲まれたのんびりした地方都市といった風情の街で、石動は両親と妹の四人家族で暮らしていた。


 父親は従業員100名程を抱える中堅の部品工場をもつ中小企業の社長だった。

 会社は小さいが独自の技術や特許を生かし、大手自動車メーカーや様々な企業に高品質なパーツを納品していた。

 母親は父と学生結婚した後に、祖父から引き継いだ会社を立て直し町工場から株式会社にするまで一緒に苦労してきた戦友でもあり、父にとってはかけがえのないパートナーで、夫婦仲は非常に良かった。

 そんな二人の間に生まれた石動は両親から愛情一杯に育てられ、2歳違いで生まれた妹ともども伸び伸びと成長したのだ。


 幼少の頃から戦隊モノにハマり、ヒーローたちの持つ剣や鉄砲の玩具を振り回して遊んでいた。

 小学校の頃からは、近くの剣道道場に通い出し中学の部活も剣道部に入るほど熱中した。

 学業の成績は良い方だったので高校は県内の進学校に進み、剣道関係からの誘いを振り切ってビームライフル主体の射撃部に入る。

 もともと銃に興味があり、中学の頃からモデルガンや電動ガンのパーツを父の工場の片隅で自作してカスタムするほどのガンマニアだった石動は、高校で射撃が出来るようになる日を指折り数えて待っていたのだ。

 その鬱憤を晴らすかのように射撃に打ち込んだ石動はメキメキと頭角を現し、1年生で出場した全国高等学校ライフル射撃協議会のビームライフル部門で個人優勝する。

 その後、日本ライフル射撃協会の三段を取得し、射撃エリート推薦を受け、エアライフル射撃に進んだ。


 思えばその頃、リーマンショックを経て3年後の東北大震災と不景気が続き日本経済の回復は遅く、父の事業にも陰りが出始めていた。

 家庭でもそんな兆候はあったはずなのだが、射撃と勉強に打ち込んでいた石動は気が付かないでいた。

 いや、気が付かない振りをしていただけなのかもしれない。


 高校を卒業した石動は、東京のT大学理Ⅲに進学する。

 理系に進んだのは、将来少しでも家業の助けになりたいという思いと、社長の息子という特権から工場の機械をこっそり使ったりして電動ガンのカスタムパーツを自作しているうちに、物作りの面白さにハマってしまったからだ。


 大学でも射撃部に入った石動は、エアライフルを経て22口径の実弾を使用するSBスモールボア射撃に進んだ。

 50メートル先の標的に向かって膝射40発、伏射40発、立射40発を撃つ50mライフル3姿勢に出場した石動は、長瀞射撃場で行われたインカレで1200点満点中1151点の記録を叩き出して、一時は日本ライフル射撃協会の種目別ランキングで8位になったこともあった。


 そんな学業と部活に明け暮れ充実した生活を送っていた日々も、石動が大学2年生の時に事態は暗転する。

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