あの日の色彩を5
楽団の演奏もいつの間にか止んでいる。ホールディンは再度
「さぁ皆さん! 子供達が参加するゲームの時間だ! 今宵用意された箱は鉄製のものが四つ! 四人の子供に脱出ゲームに挑戦してもらう。さぁ子供達、トランプを一人一枚引いて」
十数人の子供が大人に促されて一列に並んでいく。俺達の傍にも従僕が来て、ユニスに並ぶよう声を掛けていた。ホールディンにトランプを渡された子供は各々保護者の方へ駆け戻っていく。ユニスもカードを引くと、すぐに帰って来た。
彼女が手にしていたのはハートのAだ。参加する子供は四人と言っていた。マスターは、初参加である俺達の子供が選ばれるよう仕組まれるはず、と言っていたが、どうなるかはまだ分からない。
腕組みをして進行状況を
「Aのカードを引いた子供達! 君達には今から箱に入ってもらう。箱の内側に鍵があるから、暗闇の中で鍵と鍵穴を探すんだ。三分以内に鍵を開けられた子には豪華なプレゼントを用意しよう。ゲーム開始から少しずつ箱の中に水を注いでいく。頑張るんだよ」
会場には棺じみた銀の箱が四つ運ばれてくる。ある程度動けるようにか、大人でも入れそうな大きさだった。蓋の上部、子供の頭が収まる辺りには穴が空いていた。きっと呼吸をする為の空気穴だ。そう惟みてから、箱の傍に水の入ったバケツが置かれて、水を注ぐ為のものだと理解する。
子供を暗い空間に閉じ込めて溺れさせることが、この場にいる半数以上の人間にとって娯楽になる。これをただの逸楽だと思っている大人を白眼視した。
子供は自分が辛い目に遭うことを分かっているのだろう。Aを引いた少年少女は箱の方へ歩き出さない。保護者や従僕によって悪趣味な舞台へ引き上げられていた。
不快な視線がこちらにも向けられている。ユニスを見下ろすと、彼女はうんざりした顔で箱を虎視していた。
「せっかくの可愛いドレスがびしょ濡れになるんですか……最悪です……」
「ユニス、無理はするな。箱の中でも限界を感じたら発砲しろ。助けに行く」
「いやいや待ってくれ、君ね、ユニスを助けに行ってゲームを台無しにしたら調査が出来なくなるんだよ」
「だとしても、ユニスの命の方が大事だろ」
囁き声での会話は双方棘を孕んでいた。マスターの方がユニスに甘いと思っていたが、事件が絡んでくるとそうではないらしい。けれども明確な言葉で彼女の命を天秤に翳せば、彼は困り顔になっていた。
「二人とも、大丈夫です。私、頑張りますから」
小さなパンプスが床を鳴らす。その声様は意外にも明るく、落ち着いていた。真っ直ぐに歩いていくユニスの相形は窺えない。しかし止まることもよろめくこともない足遣いが彼女の覚悟を物語っていた。
子供達が箱の中で仰臥する。使用人によって蓋を閉められ、鍵がかけられた。懐中時計を見つめる従僕が二十秒ごとに経過した刻限を告げる。
ゆっくりと注がれ続ける水。箱を内側から叩く音。水を飲んだのか咳き込む少女の声。出してくれと訴える少年の啼声。子供の発する戦慄は刻々と騒ぎ乱れていく。
やがて哀哭は聞こえなくなる。箱を叩く鈍い音だけが響く。音すら聞こえない箱もあった。残り三十秒。大人の嘲謔がさざめく。神に祈る親の声が、下卑た哂笑に掻き消されていく。終わりの鐘声が観客を歓喜させる。必死に子供の名を呼ぶ女性の泣き声でさえ、けたたましい拍手と歓楽に敵わなかった。
滂沱たる水の音が遠くに聞こえる。ホールディンの叫びが水声を追いやっていた。
「時間切れだ! 大丈夫、床の下で柔らかいクッションが子供達を受け止めてくれているよ。私の優秀な部下が無事を確認してから、後ほどちゃんとご両親の元へお連れしよう。っと、そろそろ、向こうの部屋で行うオークションの準備が整う。皆そのまま待っていてくれ、準備が出来たら案内しよう」
ホールディンの使用人がすぐさま箱を片付け、集まっていた客の視線も飛び交い始める。どうやら別室に移動するらしい。会場の隅にある扉を流覧したら、泣き崩れている男女が目に付いて、思わず苦り切った顔を浮かべてしまう。細めた双眼は、しかし吃驚で見張られた。
マスターに袖を引かれるまま振り向くと、同時にこちらへ歩いてきているホールディンも目界に入る。色を正して唇で繊月を描き、マスターと共に彼を迎えた。
「ブライトマンさん、楽しんでもらえているかな?」
「ええ、ええ、勿論です! お酒もスイーツも美味しかったですし、なにより……うちの子も初めてのゲームに、ドキドキしながら楽しんだことでしょう。早くあの子から感想を聞きたいものです」
「ははっ、再会はもう少し待っておくれ。この後すぐオークションも始まる。ゲームと同じようにオークションも、日常で味わえないものを提供しているから楽しんで欲しいな。エドナさんも、気に入ってくれると嬉しいんだが」
「楽しみです。いったいどんな品物が出てくるのか」
どうせ嫌忌するようなものしか出てこないのだろう。貴婦人の仮面を貼り付けて応じていれば、使用人が彼を呼びに来た。どうやらオークションの準備が整ったらしい。彼はまた手鈴を鳴らして注目を集めると、オークションの会場への移動を促した。
赫然としたパーティ会場とは異なり、そこは蒼茫な部屋だった。夜色ほど暗くはない。夕刻の日陰を思わせる仄暗さだ。部屋の奥にあるのは
幕が上がる。スポットライトに照らされた舞台に、檻が運ばれてきた。地響きのような唸り声が鼓膜を震わせる。檻の中で、手足に枷を嵌められた少女が猿轡を噛み締めて、鉄格子に側頭部を打ち付けていた。
何度もそうしているのだろう、ぶつけた体から流血しているというのに、彼女は暴れることをやめない。注視してみれば鉄の棒は僅かに歪んでいた。その血走った眼に、理性は見つけられなかった。
司会の男が朗々と騒めきを奪う。
「本日最初の商品はこちら! 少女オリヴィアです! この子は鼻がとても敏感で、近付く人間にすぐ噛み付こうとするのですが、こちらの薬を投与して手懐ければ、番犬としてとても優秀ですよ!」
「っオリヴィア! うちの子よ! いくらでも払うわ!」
「金なら沢山持ってきた! 娘を返してくれ!」
少女の両親と思しき男女の号叫と、少女を求める者達の歓声で会場は盛り上がる。司会者が柵の内へ手を伸ばし、ナイフで猿轡を切った。瞬間。
「ぁああああああ!!」
表皮が痺れるほどの咆号が鳴り満ちた。少女の悲鳴は止まない。彼女が檻に体を打ち付け、金属音が鳴き声に追随する。大口を開けて鉄格子に喰いつく様は獣の所行。
司会者は少女の腕を掴み、その腕に注射器を突き立てていた。数秒もすると
赤く閃いたのは、彼女の腕に縫いつけられた紐だ。隣に立つマスターにつつめく。
「あれは……魔女だな?」
「だろうね」
奪った子供を魔女にして売るだけでなく、どうやら魔女を大人しくさせる薬も共に売っているようだ。列車で対峙した男性を回視する。『薬を打てば大人しくなる』と、彼が言っていた。それがどういうことか今になって把捉した。
諒解を飲み下していれば、少女の両親がどうやら落札したみたいだ。娘を取り戻し、歔欷の声を上げている両親。だが、
檻が舞台袖に捌け、次に運ばれてきた台車には白磁の腕が立っていた。司会者がそれを持ち上げ、切断面や細部が見えるように角度を変えていく。
「さぁ、次の商品です! こちらは華奢な少年の腕! 止血はされているのでインテリアとしていかがでしょう! 入札額は五十万から始めます!」
素敵だと口にして
「マスター、あの魔女はどうするんだ。一般人があんなものを連れて帰っていいわけがない。列車の件と同じことになるぞ」
「分かっているよ。連れて帰られる前に始末したいんだが……タイミングが……」
拍手が
彼の眼差す方を追いかけると、豪奢なドレスを着た女が従僕に導かれて扉を潜っていた。
「商品を買ったら別室に案内してもらえるみたいだね。エドナ、私は適当に何か買って、別室で魔女と接触出来たら魔女を仕留めてくる。君はホールディンと二人きりになれるよう彼に接触して、ゲームで奪われた子供の居場所や、どこで魔女が造られているかをそれとなく探ってくれないか? ただ、私が魔女を仕留めたらすぐに追いかけるから、私と合流するまでは決して戦わないように」
「……上手く誘導出来るか? 何を言えばいい」
「簡単だよ。『貴方の二面性にときめいてしまったの、ベッドに連れて行って』でオーケーだ」
「あんたに聞いたのが馬鹿だった。自分でどうにかする」
「真剣に答えたつもりなんだが!? ほんとに大丈夫かい?」
ほぼ吐息だけで叫ぶ彼に、呆れて眉間を押さえた。眉根から力を緩め、瞑色が蔓延る会場を見めぐらす。部屋の隅でオークションの盛り上がりを眺めるホールディンを見つけ、マスターの肩に手を置いた。
「あんたの店で数年、
言い捨てて彼を軽く押し退ける。舞台に注目する客を縫って歩きつつ、喉を押さえた。声帯に魔法を掛けて女声の溜息を微かに零す。仏頂面を
「ホールディンさん」
金額を吊り上げていく声がうるさい。それでも彼は真っ直ぐに俺を見た。この場で話しかけられるのは予想だにしていなかったようで瞠若していた。怪しまれぬように、自然に微笑みかける。彼は相好を崩してこちらに向き直った。
「やぁ、エドナさん。オークションの品物はどうだい? 女性はやはり、ああいうものは苦手かな?」
「いいえ。穏やかなホールディンさんが先程のようなゲームをして、今度は人体を売っているなんて、驚きました。人は見かけによらないものですね」
「私が恐ろしいかい?」
試すような目色。肯定と否定、どちらを求められているのか千慮する。息をするように、台本のない科白を紡いだ。
「ええ。だから、貴方のことをもっと知りたくなりました。ホールディンさんのお部屋にもインテリアとして置かれているんですか? 残酷なものが」
「ああ……」
酒場に来る女性客や、パーティ会場で見た淑女を想見する。俺は艶やかに笑いながら距離を縮め、こちらを見下ろす彼に手を伸ばした。緩められている頬に触れて、かすかな、それでいて彼に届くほどの音吐を落とす。
「優しいお顔に、良い意味で騙された気分です。恐ろしいコレクションを、温和な貴方がどんな顔で日毎見つめているのか……教えてくれませんか?」
頬から離した手は、彼に握られる。動揺を示しかけた指先から魔力を解いて、彼に片手を委ねた。無言のまま穏やかな寓目に囚われる。まだ言葉が足りないのか、なにか付け加えるべきか。思惟していれば腕を持ち上げられた。
広い袖が前腕部から僅かに滑り落ちる。落札の拍手を拍動と錯覚するほど、焦慮が滲んだ。袖に収めているナイフを、見られたら終わりだ。
彼の親指が俺の手袋を押し上げて素肌をなぞった。額に冷汗が伝う中、彼が手首に口付けを落としていた。
「エドナさん、君は良い女だ。君なら私が隠している趣味も理解してくれるかもしれない」
「え、ええ。とても、興味深いです。ホールディンさんのお話を、もっと聞かせていただけたら嬉しいのですが……」
腕を解放され、淑やかに自身の両手を胴の前で重ねる。彼の唇が触れた手首をさりげなく拭いながら、ナイフに気付かれなかったことに胸を撫で下ろした。彼は一度会場を見回してから、囁いた。
「ご主人はいいのかい?」
「彼は今頃商品に夢中になっていますよ。それに、夫婦間にも刺激は必要でしょう?」
不敵な笑みを彼に突き付ける。一連の猿芝居はどうやら彼のお眼鏡に敵ったようだ。彼の腕が宛転と腰に回された。滲出してしまいそうになった怫然を
「君みたいな子は好きだよ、エドナ。良いものを見せてあげよう」
照明で生み出されていた夕景を後にする。誘われた扉の先には廊下があり、静謐な夜が降っていた。月明に解離させられた窓枠が床の模様と化している。格子の影を通り抜け、突き当たりの暗がりまで行くと、彼の腕が離れていった。
銀燭が、地下へ続く階段を照らしていた。彼がこちらを顧みる。覚悟を問うような片笑みに、口元で莞爾を象った。
血も臓腑もとっくに見慣れてしまった。だから何を見ようが、笑い顔の仮面は剥がれない。それでも、偽りの笑みだとしても、下衆共と同じ顔を作り続けるのは苦痛で仕方がなかった。
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