あの日の色彩を4

 ユニスを迎えに行ったマスターを横目に、コートを脱いで御者に預ける。遅れて停車した馬車からは薄花色のドレスを揺らしてユニスが飛び降りていた。明るい夜空を思わせる衣装に一筋の奔星が伝う。長い金糸が彼女の肩から零れ落ちた。


 マスターの手に触れず、こちらへ歩いてくるユニス。その両腕は手枷に覆われていない。代わりに袖の布地が三重になっており、段になったフリルがグラデーションを描いていた。


 小さなパンプスを動かして俺の目の前まで来ると、ユニスは呆けた顔で固まっていた。


「……ユニス、どうし──」


「エドナ、喉の調子が良くないのかな?」


 言い果つ前にマスターに背を叩かれ、口元に手を添えて喉を鳴らした。気を抜くと普通に地声で話してしまう。気を付けなければな、と思っていれば、ユニスが俺の袖を引っ張っていた。


「エドウィ……じゃなくて! あの、お母様、すごく綺麗ですね。びっくりしました」


「カレンのおかげだ。お前も、たまにはそういう格好も似合──」


 ほんの少し屈んでユニスと見合っていたら、勢いよく腰を抱かれて息が詰まった。マスターの容赦ない手が肋骨を軋ませるものだから唸り声を漏らしそうになる。俺にしか届かない耳語は、彼にしては珍しいほど低く冷たい声だった。


「君ね……声、気を付けなさい」


「悪……、いえ、すみません……」


「さ、行こう。ユニス、手を繋ごうか」


「繋ぎたくないので袖で我慢してください」


 マスターを挟んでユニスを覗き見ると、彼女はマスターの袖を摘まんで歩いていた。そんな彼女に苦笑しているマスターと並んで歩き、屋敷の敷地内に進む。そこでは招待状の確認が行われていた。


 数組の親子を眇目する。煌びやかな衣装をまとった夫婦と、質素なワンピースを着た少女。正装に身を包んだ夫婦と、まるで貧民街からそのまま連れてこられたような、傷だらけの少年。金髪の夫婦に赤毛の子供。見るからに、実子ではない子供を連れている夫婦ばかりだ。


 目映い照明を見放みさく。確認が済んだ親子は薔薇園のような庭を通って、夜であることを忘れるほど皎々きょうきょうとした屋敷の中へ、吸い込まれていた。俺達の順番になると、マスターが人好きのする笑みを浮かべて家令に招待状を見せていた。


「ウェインライト夫妻が参加できないみたいでね。代わりに参加してみたらどうかと、夫妻から招待状を譲り受けたんだが……」


「旦那様に確認してまいります。少々お待ちください」


 家令は傍に居た従僕にウェインライト夫妻宛の招待状を手渡すと、従僕を主人の元へ向かわせる。俺達は端へ避け、他の招待客を眺めながら待機した。マスターの袖を軽く引っ張って囁く。


「おい、本当に大丈夫なのか」


「大丈夫だろう。何も知らない人間を招いて、子供の悲鳴を聞かせて、子供が奪われたことで泣き崩れる夫婦を見て嗤うような、酷いパーティだ。私達みたいな飛び入り参加の親子なんてちょうどいいターゲットだろうね。きっとユニスがゲームで選ばれるように仕組まれるんじゃないかな」


「すっごく嫌ですけど、ゲームで屋敷の裏側に潜入して、魔女を殺すか、囚われてる子供を助けられれば百点満点なんですよね」


「無事な子供がいればいいけどね……もしかしたら、子供は別の場所に捕らえられているかもしれないし、ユニスが無事ならそれでいいよ」


 ユニスは子供が誘導させられる道から、俺達は主催者に接触して魔女の情報を訊き出す。作戦を回顧しながら夜風の冷たさに腕を組む。袖の中に手を滑らせて、折りたたまれたナイフの感触を確かめる。


 息を吐き出して顔を上げた。見上げた先ではちょうど、先程の従僕と、絢爛なスーツを纏った男性が立っていた。


 思いのほか若い男だ。マスターと同じか、少し上、四十代くらいの歳だろうか。偶然絡んだ視線は糸で結ばれたようにほどけない。彼の碧眼に捉われたまま、時が止まっているような状況に首を傾げる。


 そこでようやく、自身が挨拶をすべきなのではと今更思い至った。こういった場での作法を知らず、遅れて動こうとしたが、踏み出したのはマスターが先だった。


「ホールディンさん、初めまして。私、リアム・ブライトマンと申します」


「ああ。モーリス・ホールディンだ。ウェインライト夫妻の代わりに来てくれたんだって? ようこそ、歓迎するよ」


「ということは……私達も参加してよろしいのでしょうか? すみません、突然押しかけたものですから、やはり駄目だろうかと不安も抱えていましてね。親子で参加するように、とウェインライト氏から伺っていたので、娘も連れてきましたが」


「ああ。我がパーティでは珍しいゲームもしていてね。初めて参加する人達の新鮮な反応を見られるのは、こちらとしても嬉しいんだ。それに、こんな美女を追い返せないだろう?」


 マスターと話していた相貌がこちらに向き直る。ホールディンは枯草色の髪を靡かせ、俺に一歩歩み寄ると和やかに笑んでいた。


「ブライトマン夫人、お名前を伺ってもいいかな?」


「エドナ・ブライトマンです。突然お伺いしたにも拘わらず、寛大なご対応をいただきありがとうございます」


「エドナさん、会えて嬉しいよ。今宵のパーティを楽しんでくれ。困ったことがあったらいつでも私のところに来なさい」


 彼の手が持ち上がる。握手を交わそうとしたが、彼は俺の指を掬い上げて腰を屈めた。手袋越しに伝わってくる吐息に眉を顰める。手の甲に口付けを落とした彼が離れていく。慣れない挨拶に渋面を浮かべかけたがどうにか堪え、彼に微笑み返した。


 ホールディンはユニスとマスターにも笑いかけてから屋敷へ戻っていった。従僕に促され、俺達も薔薇の庭を潜っていく。


 屋敷内は赫々たる光に満ちていた。楽団が奏でる音楽に、人々の閑談が重なり合っている。ゆったりと踊る男女や、ワイングラスを傾ける人々が多く見受けられた。点々と置かれたテーブルには様々な食べ物が置かれており、子供はデザートを、大人は酒を楽しんでいる様子だった。


「二人とも! 美味しそうな匂いがしますよ!」


 ユニスが嬉々として狙いを定めているのは苺のケーキが置かれているテーブルだろう。今にも駆け出して行きそうだったため、彼女の首根っこを軽く引っ張ってから、保護者たるマスターを瞥視する。彼はウェルカムドリンクを受け取ってグラスに口付けていた。


「うん、美味しいね! エドナも飲むかい?」


「……いえ、私は酒なんて要りません」


「そうだと思って、君の分は下げていいって既に言っておいたんだ」


「なら何故聞いたんですか」


「飲みたい気分だったらどうしようかと、断ってから思ったんだが、やっぱり飲まないみたいで安心したよ」


 そもそも後々戦闘になるというのに、酔うわけにはいかないだろう。他の客のようにパーティを満喫する気満々の彼に長息が溢れた。彼に目を側めてから、先陣を切っていくユニスを端雅な足付きで追いかけた。


 テーブルには数種類のケーキが用意されていた。苺タルトの載った皿を手に取って頬張るユニス。顔いっぱいに幸を湛えている彼女から目を逸らし、フルーツケーキの皿を持ち上げているマスターに身を寄せた。喧噪の中で、彼にだけ聞こえるように低声を落とす。


「マスター、メイに任せた仕事はなんなんだ? 今回の事件と関係があるのか?」


「いや、ただの健康診断だよ。メイちゃん、注射嫌いだから嫌がると思って。仕事って言えば素直に行くだろう?」


「……嫌な大人だな。まあ、そういうことなら、メイは心配ないんだな」


「事件や戦いとは無関係だから、今頃メイちゃんも美味しいフルコースを楽しんでるんじゃないかな」


 言い終えるなりケーキを頬張る彼。手元のフルーツケーキがまだ半分残っているというのに、チョコレートケーキを自分の傍に引き寄せていた。ユニスも彼と同じように夢中になっているのだろう。そう思って彼女を見遣れば、ちょうどこちらを見上げていた彼女と目が合った。


「エド……お母様、このケーキ美味しいです」


「そうか。良かったな」


「そうじゃなくて、お母様も食べてみて。ほら、あーん」


 一口大に切り分けたシフォンケーキがこちらに伸ばされる。俺と彼女の身長差のせいで腕が辛そうだったため、フォークを受け取って口に含んだ。柔らかなケーキは仄かにラズベリーの味がした。程よい酸味に口端を緩めて、フォークをユニスに返す。


「美味しいな」


「でしょ! エドウィ……ナお母様、絶対この味好きだと思ったんです! もっと食べます?」


「いや、そんなに空腹じゃない。それと、普通に呼べ。こんなに騒がしいんだ。誰も俺達の会話なんて聞いてない」


「お父様に怒られますよ」


 童顔が目を細めて俺を咎める。当のマスターはカップケーキに手を付けており、絶対俺達の会話なんて聞いていなかった。丸テーブルを挟んで向かい側に立つ彼に目を眇めていたら、ユニスに袖を引かれた。


「ねぇ、エドナお母様は……カレンさんのこと、好きなんですか?」


「なんだ、いきなり。別に嫌いではないが」


「好きでも、ない?」


「……まぁ、そうだな。そもそもカレンとの関係はマスターに言われたことだし、一ヶ月だけって話だ」


「え?」


 俯いていたユニスが驚駭して俺を見上げてくる。丸い瞳はそのまま転がり落ちそうだった。


 ユニスは、俺やマスターが思っているよりもまだ、他人に苦手意識があるのだろうか。


 思えば、彼女とカレンが話している姿自体、あまり見かけたことがなかった。彼女がメイと出会った時は、体への接触を許さなかったものの、ちゃんと会話をしていたはずだ。


「カレンのこと、苦手なのか?」


「だ、だって、エドウィンがあの人といると、私のこと、見てくれないじゃないですか」


 空き皿を卓子に叩きつけ、ユニスは不満を露わにして桜唇を歪めていく。けれども口にされた気持ちは晦渋なものだった。ユニスの言葉を脳内で繰り返し、それでも上手い解釈が出来ず、どういうことかと首を傾げる。見下ろした先ではユニスが、失言したとばかりに両手で口を覆っていた。


「っ今のは、ちが……、ううん、違わない、です。私、あの人に…………嫉妬、して。貴方が、離れて行っちゃうみたいで、嫌だったんです……っ」


 背の低い彼女が俯いたことで、表情が窺えなくなる。朗らかな彼女に慣れていて、彼女の繊弱さを忘れていた。


 人嫌いの彼女が俺に踏み出して、近付けたと思ったところで背を向けられた、という風に感じてしまったのかもしれない。共に歩いていた雑踏の中で、突然一人にされたような不安と寂しさを覚えたのだろう。


 しゃがんでユニスと目線を合わせる。藤色の瞳は狼狽えて揺らいだ。彼女に見える位置まで片手を持ち上げる。虹彩がそれを捉えたのを確認してから、小さな頭を撫でてやった。


「ユニス、俺はいなくなったりしない。ちゃんとお前との約束だって覚えてるからな」


「ほ、んとに……?」


「あぁ。せっかくのパーティだ。少し、踊ってみるか?」


「えっ……だ、だめです! 成人してからのお楽しみなんです! それまでにちゃんと、踊れるように練習するから……待ってて欲しいです……」


 一回頷いたユニスが、必死に首を左右に振り始めて苦笑した。激しく振るわれたことで乱れた髪を軽く整えてやってから、立ち上がった。


「分かった。俺も練習しておく」


 ビスクドールのような少女の顔ばせが穏やかに笑みを形作る。安心したようで、曇りのない眼はシャンデリアの光華を反射して輝いていた。ふと、真後ろで革靴の音が響いて、動揺した指先が微かに跳ねる。


 女声で話すのを忘れていた。他人に聞かれていたらまずい。おずおずと振り返ってみると、そこにいたのはマスターだ。彼は俺の肩に触れようとしていた腕を下ろして疑問符を浮かべていた。


「ユニスもエドナも、何の話をしているんだい?」


「お父様が、エドナお母様とカレンさんに余計なことをしたって教えてもらってただけです」


「え!? 余計なことなんてしてな──」


 彼の動顛は高らかな鈴の音に払われる。広い会場の奥、音の出所を誰もが顧望していた。拓けた空間には主催者であるホールディンと、彼の使用人が集まっていた。

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