いつかの残香7

 円と多角形を組み合わせ、文字が刻まれた魔法陣。恐らくこれが、古の時代の戦争で使われたものであり、『魂の移植』の物語でも使われていたものなのだろう。


 魔法陣のページを開いたまま、読書中のオッサンに歩み寄った。


「オッサン、これ、途中何ページか抜けてるんだけど」


「ああ、そうなんだよね。私も分からないんだ」


「ならそこはいいや。この魔法陣、魔女研究施設にあるものとは違うよね? 僕が孤児院で見たものはもっとシンプルに見えた。なんていうか……」


 僕の手から本を受け取った彼が魔法陣に目を落とす。


 魔女を生む魔法陣を見た、といってもじっくり見たことがあるわけではない。僕は眉間を押さえて記憶を追蹤ついしょうした。


 僕が僕だったあの日まで。妹と僕が繋ぎ合わされる時まで。ぼくたちの起端まで遡る。


 僕達に微笑んで手招く、孤児院の先生。誘われた部屋の中心に置かれた飾り気のないベッド。部屋には他の先生達も集まっていて、何かを囁き合いながら僕達を伺察していた。そこには嫌な空気が弥漫びまんしていた。ベッドから落ちる影の中、その床に描かれていた不思議な模様。それは。


「──円だけだった。そうだね?」


 オッサンに顔を覗き込まれて、僕はこくりと点頭する。改めて本に書かれている魔法陣を確認した。雰囲気は似ているような気がした。


「もしかして……この魔法陣から多角形だけを取り除いてるのか? どうして? この魔法陣を使って一つの肉体になった人たちは、短命だったみたいだけど……多角形を取り除くことでそれを改善出来た……?」


「多角形を取り除いたのは多分メイちゃんの言う通りだ。恐らく、この魔法陣のままだと、生み出される存在は結局『人間』なんだよ。だから魂と魔力を一つに出来たし、だから『人』である肉体がそれに耐えられず死ぬことになった」


 言うなれば、一時的に強化された『人間』を生む魔法陣。僕は自身の容貌が歪んでいくのを感じていた。つまり。成功作の魔女と呼ばれる僕は、きっと人間では、ない。


 渋面を浮かべる僕を見ることなく、オッサンが魔法陣を指でなぞって喃々と続けた。


「どの本に書いてあったかは忘れてしまったんだが……たしか、四角形も三角形も大地を表すもので、六角星は人間の英知の象徴。正方形は物質界を示していてね……たとえば絵画で正方形の光が差していたら、それは生者の証としても考えられていたそうなんだ」


「生者の証……」


「そう。つまり、『死んでいく存在』であること。これに対して、円形は世俗と断たれ、天上界を表しているらしい。魂と深く関係しているみたいなんだ。調和や統一、永遠や保護の表象ともされていて、特に腕輪や紐とか、肉体を囲うモノになってくると、『魂と肉体の結合状態を維持する安定器』の役割がある」


 僕はそっと自身の左上腕部を押さえる。服の下で腕に絡みついている、魔女の証たる紐。その感触を指先で引っ掻いた。


 忌々しいもので、いつかは取り去りたいと思っていたが、もしかするとコレが僕とシャノンを繋ぎ止めているのかもしれない。編み上げるように数回交差して腕に縫っているのも、何度も潜らせることで『輪』をつくる為だ。


 僕はオッサンの手から本を軽く引っ張って、魔法陣を嘱目する。彼の声が耳翼のそばで響いた。


「魔女という存在が、人を超えた存在になるように。繋ぎ合わせる魂が確と調和され、永遠に結合し続けるように。みたいな願いを込めて、魔法陣を円形だけで構成したんだろうね。その結果、二つの魂を入れても簡単には壊れない、人間離れした肉体を持つ『魔女』が出来た。けど人間から逸脱させるせいで、多くの魔女は自我を保てない」


「そう、か……」


「まだ調べていくかい?」


 彼の問いを聞きながら、魔法陣の絵より下方に書かれていることを唇の裏で読み上げていく。


『魔法陣は魔法を記憶させるものであり、刻んだ願いを読み上げることで、陣に記憶させられた魔法を発動できる。魔法を記憶させる際、使用する魔法の系統を同系の術者の血で記す。名を刻む必要はないが、名を刻むことで、魔法が引き起こした結果にその者だけは干渉することが出来る』。


「……干渉……?」


「メイちゃん? 気になる事でもあるのかい?」


「ココ……これって、先生アテナは、魔女を操れるかもしれないのか? でも僕を操ったり、命令に従わせたりは出来なかったはずだけど」


 回顧したのは、この肉体になってからの僕が、先生と再会した時のことだ。エドウィンの妹の姿になっていた先生が、僕の肉体を求めて魂を移そうとした時。彼女は僕の意思を捻じ伏せることなどしなかった。僕が応じなかったから、彼女の思い通りにはならなかった。


 顎に手を添えて熟思していれば、オッサンも同じように悩んでいるのが目に入って、僕は人知れず苦笑を漏らし片手を下ろした。


「メイちゃんの自我が強すぎて干渉出来なかった、のかな。自我のない、赤子のように泣き叫ぶだけの魔女になら干渉出来るのかもしれないし、名前を刻まずに魔法陣を描いたという可能性もあるよね」


「そ、っか。……まあ、とりあえず、この肉体にシャノンの魂がちゃんとあることがわかっただけ良かったよ。エドウィンとユニスのところに戻ろう」


 一度全ての本に目を通した、と言っていたオッサンが、いくつか読み返していたがそれを話題にしない。となると、これ以上調べても収穫はないだろう。彼は数冊の本を持ち帰るようで、長い腕に本の束を抱えていた。


 廊下へと踏み出し、自身の胸に手を当てる。秒を刻む鼓動に息をする。安堵の色をまとったそれは僕のものでありシャノンのものでもある。


 人間ではない魔女の肉体は、きっと徒物あだもののように壊れたりはしない。シャノンがこの肉体にいるのなら、僕と一緒に生きていられるのだろう。


 いつかシャノンも目覚めるのだろうか。それともとっくに目覚めていて、だけど何も言ってくれないだけなのだろうか。


「……シャノン」


 虚空にささやいても呼応する声はない。押し開けた扉の甲高い鳴き声に掻き消される。


 ブーツが草花を踏み折って涼やかな音を鳴らした。炎のような晩霞ばんかが眩しい。樹葉が夕紅ゆうくれないに濡れて艶めく。少し離れたところで、ユニスとエドウィンが話しているのが見えた。


 墨を落としたような射干玉ぬばたまの髪が涼風に靡く。斜陽を受け止める彼の横顔がユニスに優しく綻んでいた。瑰麗かいれいたる面差しはまるで、神の抱いた幻想を現実に映し出したよう。


 視線に気付いたのか、残照を宿して鮮やいだ明眸が僕を見る。洋紅色の玲瓏玉が僕を閉じ込める。長い睫毛が瞬くまでの、短い時間の対峙。それなのに、美しい血色に沈み続けた時間は、永遠に感じられた。


 彼と視線が絡んだ瞬間を思い出す。


 あの時、どうしてか、端無はしなく心臓が跳ねていた。


     (四)


「エドウィンのお母さんは、どんな人だったんですか? 答えたくなければ無視してください」


 ユニスと村を見て回っていれば、突然問いかけられて瞠目した。足を止めて、数歩後ろにいる彼女を顧みる。手枷を嵌め直した彼女は両腕を垂下させたまま、振り子みたいに首を左右に揺らして返答を待っていた。


「答えたく……ないわけじゃない。昔のことを思い返すのが苦手なだけだ」


「あ……ごめんなさい」


「謝らなくていい。母は……」


 回視しながら眉を顰める。いくつもの民家を通り過ぎるほどユニスと共に歩いて来た。だというのに、枯骨ここつは一つも見つからない。


 考えられるのは、アテナが研究材料にするために遺体を持ち帰った、マスターが埋葬してくれた、あの日生き延びた村人がいて埋葬してくれた、のいずれかだ。生きていれば魔女の材料に出来るが、息絶えた者や斬首した躯幹をアテナが持ち去るだろうか。マスターが全ての遺骨を埋葬してくれたとも考えにくい。


 疑義に唇を歪めてから、黙り込んでしまっていることに気付いて、言葉を続けた。


「母は、優しい人だったな。静かで、少し遠くから見守ってくれてるような人だった」


「お父さんも静かそうです」


「父は、静かじゃなかったが……」


「え!? エドウィンのお父さんなのに!?」


「どういう意味だ」


「だ、だって、男の子って、性格はお父さんに似るんじゃないんですか?」


 それはいったいどこから得た知識なんだ。そんな気持ちを小息に乗せてから思い出を手繰る。


 コーデリアが泣き出すと、涙の原因が俺ではなくても『妹を泣かせるな』と殴られた記憶しかなくて苦笑してしまった。『俺は何もしてないのに殴るなよ』と言い返して、そこから言い合いになって、母が宥めてくれるのがいつものことだった。


 母のことも、父のことも、穏やかな気持ちで思い返せる。柔らかに目を細めて歩を進めた。


「俺はあのひとに似てないと思うぞ。一日に一回は怒鳴るか殴るかしてくるような父親だった。妹のことは小動物みたいに可愛がってたけどな」


「……エドウィンは、お父さんに嫌われてたんですか?」


 慮外な問いかけに首を傾ける。考えてみれば、ユニスには両親がおらず、親代わりのマスターは殴ることも怒鳴ることもしない。彼女にとって優しい親というものは、暴力や怒号を向けてこない存在なのだろう。


 静かに、首を左右に振った。


「そんなことはない、と思う。育て方が変わってたんだ。殴って育てたら強い子になる、だの、女子供を泣かせるような男にはなるなだの……うるさい人だったな」


「子供を殴る親は絶対イヤですけど、でも、エドウィンはそのお父さんのおかげで、なんだかんだ子供に優しいんですね」


「それは……子供を見ていると、妹のことを思い出すだけだ」


「……コーデリアさんは、どんな人だったんですか?」


 睫毛を伏せると、闇の中で長い鈍色の髪があゆく。無邪気な笑顔はまだ色褪せることなく瞼に残されていた。俺を呼ぶ妹の声も、耳底に留まり続けている。けれども、繋いだ手の温度を思い出せなくて、冷たい風だけを握りしめた。


「コーデリアは、人見知りが激しくて、引っ込み思案で。外に出る時も、どこに行くにも俺と一緒にいたがっていた。俺の村は、成人しないと村の外に出られない決まりがあったんだが……だから妹はよく、成人したらしたいことを俺と約束してた」


 最期の日、花火を見たいと語った笑顔が今も忘れられない。告げられた願い事がいくつも脳裏に蘇る。村の外のお菓子を食べたい、外の服飾店に行って色々な服を着たい、演劇を見に行ってみたい、メリーゴーランドに乗ってみたい、着飾って踊ってみたい。


『だからお兄ちゃん、絶対それまで死なないでね』


 俺の腕を引っ張って、ことあるごとにそう言われたことを思い出す。死ぬわけないだろ、と微笑みを交わしたあの日も──あの日も、あの日も。


 願いを叶えてやれると、信じていた。


「何も、叶えてやれなかったな……」


 俺が生きていても、お前がいなかったら何も叶わない。


 爪先が行き場をなくしてその場にとどまる。風に乱された髪を軽く押さえてから顔を上げる。


 見据えた先にある建物は、廃頽はいたいしていても分かる。俺とコーデリアと、両親が過ごした、自分の家だ。壁の下方には幼いコーデリアが描いた花の落書きがあって、当時の彼女の後姿を瞬刻だけ幻視した。


 近付いて、地面に片膝を突いた。飴色の石壁にチョークで描かれた花弁をなぞる。過ぎ去った日の妹の背丈を想起する。ナイフを握って抱きしめたの妹を、追思する。貫いた感覚と鮮やかな紅血に、思考を止めた。


 気付けば幽閑が蔓延っている。隣に立っているユニスが言葉に詰まっているのだと解して立ち上がった。


「悪い、なんでもない。忘れてくれ」


「いえ、あの……私とも約束してくれませんか。成人したら、したいこと……! 私まだ未成年ですし!」


 朗々とした声柄が影を払う。彼女の明るさに救われた気持ちになって頬を緩めた。


「なにがしたいんだ?」


「まずはですね、エドウィンが入れてくれるお酒を飲みたいです! 一緒にオシャレなバーにも行ってみたいですね! お酒を使ったお菓子も食べたいですし、あとあと、綺麗なドレス着て、ダンスしてみたい!」


 ユニスの願いに微笑が零れる。コーデリアもそうだったが、少女は綺麗な服と踊りに憧れるものなのだろうか。喜色満面でこちらを見上げるユニスに、そうか、と頷いて見せた。


「ダンスをするのなら、人間嫌いをそれまでに治さないとな。成人まであと三年か?」


「そうですけど、きっと大丈夫ですよ。だって、その時はエドウィンが相手役をしてくれるでしょ?」


「……そうだな」


 当然のように語られて、わずかだが吃驚した。俺よりもマスターに心を許しているだろうし、メイといる方が楽しいだろうに。


 いや、だからこそ、かもしれない。前に進みたいと願う彼女は、メイやマスターよりも距離のある俺に、踏み込みたいのではないか。


 一考する俺に、ユニスは一歩近づいた。


「私、まだ、貴方に怯えるかもしれないですし、また突き飛ばしてしまうかもしれないですけど……。少しずつ、私にもメイさんみたいに、触れてください。また、撫でて欲しい、です……」


 恥ずかしげな赭面しゃめんが、だんだんと俯いていく。その頭にそっと手を伸ばす。帽子の形が崩れない程度に、彼女の頭に触れた。


「お前に突き飛ばされて倒れるほど弱くない。だから、嫌な時は振り払って大丈夫だ」


 手を離すと、俯いていた桃顔が持ち上がる。嬉しそうに名花が綻ぶ。それにつられて、俺も緩頰かんきょうした。


 視線を感じて首を動かす。晩景を背負って、メイとマスターが立っていた。マスターは片腕で本を抱えたまま空いている方の手を振ってくる。メイはというと、こちらを見つめたままぼうっとしていた。


 ユニスと見交わしてから、草葉を蹴って二人の方へ歩き出す。


「メイ、どうした?」


「え、っと、なんでもないよ。エドウィン、体は大丈夫?」


 なんのことか分からず瞼を持ち上げてから、休んでいろと言われていたことを思い出した。結局出歩いていることを咎められるかと思ったが、メイの面様からは心配しか伝わってこなかった。


「もう大丈夫って言っただろ。調べ物はどうなった。知りたいことは知れたのか?」


「あ、うん。少しだけ……シャノンが、僕の中で生きてるんじゃないかって強く思えるようになったから。よかった」


「そうか」


 温和な嬉笑を目にして安心した。晩暉ばんきでほのかに赤く染まった白髪が緩やかに揺れる。メイは俺の後ろにいるユニスを覗き込んで、それからまた俺を見上げた。


「それで、ユニスとエドウィンは付き合ったの?」


「メイちゃん良い質問だね! 私も気になって仕方がなかったんだが!」


 俺とメイの間に割り込んできたマスターが目を輝かせて見つめてくるものだから、反射的に冷眼を向けてしまった。そもそも質されている内容が掴めず、なんの話だ、と聞き返そうとしたが、そうする前に素っ頓狂な叫びが上がった。


「はぁぁ!? 何言ってるんですか二人して! 私とエドウィンはちょっと話してただけです!」


「そ、そっか?」


「調べ物が終わったのならご飯にしましょ! もう変なこと言わないでくださいね!?」


 頬を膨らませながら後ろを向いたユニスにメイが慌てて謝り始める。姉妹みたいに笑い合いながら遠ざかる二人は微笑ましい。苦笑してから、マスターと顔を見合わせた。「行こうか」と紡いだ彼に頷いた。


「マスター。一つ聞きたいんだが……以前この村に来た時、骨や死体、切断された人体などは転がってなかったか?」


 どうしても、死の証が一つも見つからなかったことに疑問が残る。魔女によって切り離された四肢や頭部が転がっていたのを、よく覚えている。腕や足の骨すら見つからないものだろうか。単に見逃しているだけかもしれないが、彼にも確認しておきたかった。


「なかった、と思うけど、言われてみれば不自然だね」


「ああ……」


「まあ、今日は休もう。考えたって答えは出ないよ。食料は買ってきたからそれを食べて、村で休んで、明日には酒場に戻ろうか!」


 朗色を湛えた彼に思い切り肩を叩かれ、揺らいだ体がそのまま首肯を返す。有無を言わさぬ彼に渋々従い、懊悩を振り払うことにした。


 数時間前まで俺とユニスが休んでいた民家が、今晩の宿代わりになるらしい。そこへ入っていく彼らの背中を見送って、一人、村を見回した。


 目を瞑り、ここで過ごした人々を想う。空葬からとむらいが彼らに届くことを願い、彼らが安らかに眠れるよう祈る。


 母の最期は眼に焼き付いている。妹は救えなかった。父は、どうなったのだろう。


 もし生き残った村人がいたのなら、どうか安全なところで生きていて欲しいと、切に思った。


「エドウィンー? ご飯食べなきゃダメですよ?」


「ああ……今行く」


 扉を開けたまま俺を待っているユニスに頷いて、風景に背を向けた。


 ふと、コーデリアに会いたくなった。葬儀も献花もしたばかりだ。それでも今一度、花を贈りたい。


 懐かしいふるさとの話を、少しだけ、彼女に語り聞かせたかった。

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