凋落3

 店員に空いている席まで案内され、僕達は腰を下ろす。どこに座るか悩んだが、ユニスは人と接触するのが嫌いだから、隣は空席の方が気楽だろうと思い、僕はエドウィンの隣へ着座した。


 店員に渡されたメニューを開くなり、ユニスが欣懐きんかいと叫び出す。


「見てくださいケーキの種類! 沢山ありますよ! 全部頼みましょう!」


「マスターの金だぞ、少しは遠慮を……」


「マスターのお金なんですから無くならないでしょ? あの人お金持ちですもん」


「せめて食べ切れる量にしてくれ。……メイは何を食べたい?」


 エドウィンの顔が優しく笑み曲がる。婉麗えんれい玉顔ぎょくがんを見つめて、あることに着意した。エドウィンは知らない人に対して冷厳れいげんな態度で応じる。マスターやユニスに対しても冷ややかなことが多いが、赤の他人に対するものよりは温雅おんがな雰囲気を纏っている。


 そして僕に対して。彼は、唇を緩めてふっと一粲いっさんしてくれることが、多いような気がした。


 それに気付いて嬉笑きしょうしてしまった。


「……メイ、いきなり笑い出してどうしたんだ。俺は何を食べたいのか聞いたんだが」


「あぁ、ちゃんと聞いてたよ。でもエドウィンが笑ってくれるのが嬉しいなぁって思って」


 杲々こうこうとした朝日に照らされるメニューへ視点を落とす。一言も返されないためエドウィンを窺ったら、彼の姿色ししょくからは不満が滲んでいた。視界の隅ではユニスが窓を開けており、晨風しんぷうが舞い込んだ。


 列車は木々の間を進み始め、暗らかに落ちる清陰せいいんが心地よい空気を漂わせる。揺動ようどうする車内にも慣れてきたせいで眠気が込み上げ、小さくあくびをしてからメニューをめくる。


「僕は……スイーツも気になるけど、しょっぱいのも食べたいな。うーん……フィッシュアンドチップスといちごタルトにする」


「私はですね! チーズケーキとモンブランとチョコケーキと苺のムースケーキとフルーツタルトと」


「そのくらいしろ」


 ケーキの種類の多さに大悦たいえつしている声をエドウィンが断ち切る。ユニスがむっとしたような上目遣いでエドウィンを瞻仰せんごうしていたが、彼はそれに一瞥もくれず店員を呼んでいた。彼と店員のやり取りを聴視ちょうししながらメニューを閉じる。


 移り変わる風景を打ち守っていたら、縹渺ひょうびょうと広がる海に声を上げそうになった。感動を飲み込んで窓に顔を近付ける。滄溟そうめいの果ては見えないほど青一色の窓硝子。波打つたびに水面みなも瀲灔れんえんと煌めくものだから、宝石箱を覗き込んでいるみたいだった。耳を澄ませば漣漪れんいの音が、ざぁっと聞こえてくる。こんなに近くで海を見るのは初めてで、端から端まで流覧りゅうらんしてしまう。


 琅琅ろうろうとした鳥の鳴き声。朝暾ちょうとんの光がキラキラと閃爍せんしゃくする眺め。綺麗だな、と思いながら僕も窓を開けて身を乗り出す。水の中で揺らめく列車の倒影とうえいを凝望していると、背後から襟を引っ張られた。耳元に触れた口前くちまえには困惑と呆れがほだてられていて、一つのため息を象っていた。


「危ないだろ、顔を出すな」


「え、大丈夫だよ」


「大丈夫じゃない。柱にぶつけて腕を持っていかれたとかいう話もあるくらいだ。お前が何かとぶつかっても列車は止まらない。気を付けろ」


 僕をじっとまばるエドウィンに頷いてから、窓を閉める。僕と同じく風光を見つめていたユニスが、前に向き直った。藤色の瞳はエドウィンを眼差まなざす。彼もそれに気付いたようでほんの少し首を傾けていた。


「エドウィンの故郷って、どんなところなんですか?」


「……木々に囲まれている田舎だ。煌びやかな街とはかけ離れている。もう誰もいないから、廃れてるだろうしな。ただの森をイメージしてくれればいい」


「あぁ……私も田舎出身なので分かります」


「僕のいた村もそんな感じだったかも。エドウィンは子供の頃どんな感じだったの?」


 他愛ない雑談のつもりだったのだが、エドウィンは険しい顔をして沈黙する。僕の問いかけの遺響いきょうだけが列車の揺れる音に打たれていく。身にならない空談くうだんをするつもりはないと言外に告げられているようで、申し訳なさで俯いたら彼の声がようやく紡がれた。


「そんなことを話して何になる。必要のない情報に意識を向けるな」


「う、ん……ごめん……」


「メイさんは、エドウィンのことが知りたいだけだと思いますよ。今よりもっと仲良くなりたいんじゃないですか? 昔話って、仲良くなるのに必要な情報でしょ」


 僕が落ち込んでいるのを見て庇おうとしてくれたのか、刺々しいユニスの槍声やりごえがエドウィンに向けられる。彼が怒っているわけではなく困っているだけなのはその姿情しじょうを見れば分かる。三人揃って黙り込んでしまい、び返った場には周囲の食器の音が五月蝿いくらい届いてきていた。


 返答に疾苦しっくしていたエドウィンが疲れたように頬杖を突いてそっぽを向いた。


「…………俺よりも、お前らで仲良くしてたらいい。せっかく歳が近いんだから二人で話してろ」


 エドウィンの気持ちが分からなくて寸考すんこうしてしまう。僕達に優しくしてくれるから、仲良くしたくないわけではないと思う。けれど隔たりを感じるのはどうしてだろう。彼はいつも、僕とユニスが笑い合って敦睦とんぼくとしているのを優しい顔で見守ってくれる。子供をり見る親のような面像めんぞうを思い出して、僅かに答えへと近付いたような気がした。


 親子が友達になれないように、彼は、僕達とは友達になれない歳の差だと認識しているのかもしれない。


 しかし僕達とエドウィンの歳はそれほど離れていないのではないか、と考え込んでいたら、僕の風懐ふうかいを読んだかのようにユニスが言った。

 

「歳が近いって、エドウィンも近いんじゃないですか? まぁ、メイさんの歳もエドウィンの歳も知らないですけど。お二人ともいくつなんです? ちなみに私は十五です」


 ユニスの言葉に目を見開く。彼女の形貌けいぼうはどう見ても十代前半くらいだ。突飛とっぴな真実に目を白黒させたまま、テーブルから身を乗り出した。


「ユニス、僕と同い年だったんだ!? もっと下だと思ってた!」


「は、ぇえ!? メイさん同い年だったんですか!?」


「エドウィンは十八くらい?」


「十七とかじゃないですか?」


「……二十だ。十七って未成年だぞ。俺はそんなに子供に見えるのか」


 歳上だとは思っていたが、存外ぞんがい歳が離れていて瞠若してしまう。エドウィンの瑰麗かいれいな目鼻立ちを寓目ぐうもくした。造り物みたいに整った瓊姿けいしは、二十と言われれば確かにそのくらいの年頃に見えた。観察するように彼の状貌じょうぼう細視さいししていたら目が合ってしまって、思わず顔を逸らす。


「エドウィン、すごく大人っぽく見える時と、ちょっと歳上かなぁくらいに見える時があって……というか、お兄さんに見える時と、お姉さんに見える時もある……」


「分かります、なんか色々分かりにくいんですよね、謎な人です」


「はぁ……?」


 不服を吐き出した彼をさりげなく覗き見る。どこか恐ろしさを感じるほど端正な姸姿けんし。その魁傑かいけつさは人ではないもののようで、だからこそ人目を惹き付ける。僕は彼を見る度、不思議な魔力に吸い寄せられるような感覚を味わっているというのに、彼は自身の外見など一切気にしていないのだろう。


 魔力、と考えて、彼の美しさは魔法の類なのではないかと、空想じみた予想が情懐じょうかいを満たしていく。そんな魔法はないだろうが、彼が高い魔力を保持しているのは確かだ。


 魔法を使わなければ動かないらしい彼の手足。それを普通の人のように動かして、日常を平然と過ごしている彼。一日中自分に魔法をかけ続けるなんて、僕の魔力では出来ない。すぐに衰弊すいへいしてしまう。ユニスも戦闘時に何発か銃を撃った後に喀血していた。


 魔法を使うことによって引き起こされる耳鳴りや吐血や貧血。戦闘時にしか魔法を使わない僕達よりもエドウィンの方がそれらに苛まれているはずだ。だからこそ彼は無理をしていないだろうかという積憂せきゆうが、いつでも僕の心奥しんおうにあった。


 僕達の言談げんだんが途切れたところに、店員の丁寧な好音こういんが割って入る。


「お待たせ致しました」


 机上にいくつもの皿を並べていく店員へ、エドウィンが温然おんぜんとした辞色じしょくで「ありがとうございます」と言いながら手助けを始める。いつも酒場で接客をしているからか、エドウィンの手つきも、営業スマイルみたいな令色れいしょくも、慣れたものだった。


 店員は客であるエドウィンに手伝わせてしまったことで、申し訳なさそうに眉尻を下げる。エドウィンも同様に困り顔で応じていた。


「お客様、大丈夫ですよ……! お客様のお手を煩わせる訳にはいきません!」


「いえ、頼みすぎてしまったので、大変でしょうから。後はそれだけですよね、頂戴します。お手数をお掛けして申し訳ありません」


「と、とんでもない……! ありがとうございます! ごゆっくりお過ごしください……!」


 店員に色深いろぶかしい笑みを向けたエドウィンが、遠ざかった足音にまばたきをしてから、ユニスへ打ち放ちに低声をぶつける。


「自分がどれほど迷惑な注文をしたか理解できたか? ユニス。置き場に困るほどの量だぞ」


「で、でも頼んでくれたのはエドウィンじゃないですか! 適当に減らして頼めばよかったでしょ!」


「……俺も失敗したなと思った。次からは甘やかさない。せめて二品までだ」


「せめて三品……」


「二、だ。いいな。分かったら早く食べろ」


 嘆嗟たんさして落ち込んだ様子だったユニスが、食べろと言われた途端に愉色ゆしょくいっぱいの顔でフォークを手に取った。彼女の前に並べられているのはチーズケーキとモンブランと、チョコレートケーキと苺のムースケーキ、それにフルーツタルトだ。まずフルーツタルトに手を付けた彼女が幸祐こうゆうをあらわに声を上げていた。


 時間帯のせいか食堂車には子供の姿が増えてきており、歴落れきらくと話し声が止まない。そんな諠鬧けんとうの中でもユニスの声はひときわ高く耳翼じよくを打つ。


「すっっっごく美味しいです! しあわせ~……!」


 微笑ましい姿に僕まで幸せが伝わってきて、家にいるような気持ちで恬然てんぜんと和む。僕もフィッシュアンドチップスに手を伸ばし、口に放り込んだ。美味しいな、と思いながら咀嚼をしていたら飄忽ひょうこつと目の前にケーキを置かれた。僕が頼んだいちごタルトは手元にある。視線で疑問を示したらエドウィンがかすかに表情を緩めていた。


「半分食べていい。要らなければユニスにやるが」


「えっ、でも、エドウィンはそれだけしか頼んでないのに、半分ももらうのは悪いよ」


「気にするな。そんなに食べられないから、半分もらってくれると助かる」


 もしかすると彼は、ユニスがたくさん頼んだから僕が遠慮してあまり頼まなかったのではないか、と思ったのかもしれない。エドウィンの芳心ほうしんに感謝してケーキにフォークを差し込んだ。柔らかいスポンジを切ると中から赤いジャムが零れ出す。半分こにしたものをいちごタルトの皿に載せてから、残りをエドウィンに返した。


「ありがとうエドウィン。これ、なんて名前のケーキなの?」


「ヴィクトリアケーキだ」


 その名称に手が止まる。頭の中で記憶の留記るきを捲って、どこで聞いた名前だったか思い出していく。想起したと同時に「あ!!」と溢れた僕の声は、笑いさざめいていた客達さえ驚かせたらしい。水を打ったように沈黙が訪れていた。天彦あまびこみたいな自分の余声よせいに恥ずかしくなりながら、打ちらすように他人のことを意識の外へと追いやる。エドウィンだけに焦点を合わせて、輪郭を持っていた客や店員の姿がぼやけ始めた頃、ようやく言葉を続けられた。


「ヴィクトリアケーキって、オッサンが言ってたエドウィンの好物だよね? もらってよかったの……!?」


 その質問は羞恥心で上嗄うわがれていたが、どうにか気にしないようにする。顔を動かさず瞳だけで見回みめぐらわしてみると、もう誰も僕のことなど気にしていない様子でそれぞれ閑談していた。


「思いのほか大きかったからな」


「普通サイズですよ。貴方ってすごい少食ですよね」


 モンブランを食べ終えたユニスが端雅たんがな仕草で口元を拭う。僕とエドウィンが話している間で皿を二枚も空にしていた彼女に眼伸まのししてから、僕も銀器を鳴らす。一口大に切り分けたヴィクトリアケーキを舌の上にのせた。


 ふんわりとした生地と、ラズベリージャムの芳甘ほうかんな味わいに頬が落ちそうになる。生クリームが使われていないから甘すぎず、スポンジや粉砂糖の甘味とラズベリーの酸味がほどよくて、いくらでも食べられそうだった。


「美味しい……僕もコレ、好きだな……」


「そうか、口に合ったなら良かった」


 ヴィクトリアケーキを直ぐに食べ終えてしまって、また食べたいなと思いながら皿に目を落とす。ケーキがのっていた時は気にしていなかったが、よく見ると豪華な食器だ。心細うらぐわしい装飾が施されていて見入ってしまう。婉々えんえんと滑らかな曲線を描く金色の蔓。嬋媛せんえんとして連なる植物が円を象っており、花冠を思わせる。暫く皿と見つめ合っていたら、エドウィンの怪訝かいがな声柄が降ってきた。


「メイ、どうした? 食べきれそうになかったらユニスにあげればいいからな」


「私を残飯処理担当みたいに扱うのやめてくれます?」


「食べ切れるから大丈夫だよ。お皿が綺麗だったからつい」


「お皿……??」


 ユニスとエドウィンの疑問符が重なる。二人が同時に、手元にある食器を覗き込んだのを見て笑声を吹き零しそうになった。皿とにらめっこをしていたユニスが、僕の言っていたことをしたようで、なるほどと頷いてくれた。


「確かに、凝った造りですね」


「列車は金持ちも利用するからな。それなりの食器やそれなりの食事を用意しないと文句を言う輩もいるんだろう」


「食器なんてちゃんと洗われていればなんでも良くないですか? スイーツが美味しければ他はなんでもいいです」


 食い気しかないのか、と思うような、自分を貫く敦樸とんぼくな口ぶりがユニスらしくて、唇を弓なりにわぐむ。靄靄あいあいたる長閑のどかさに片笑みを浮かべたまま、僕はフィッシュアンドチップスを食べ進める。視野の端では、ユニスがスイーツを一口食べる度に感悦かんえつとしており、他の客席でも子供達が笑顔で食事をしていて、食堂車には幸福があまねく広がっていた。


 寸閑すんかんの間だけ僕達の会話は途切れ、各々静かに食べ物と向き合う。そうしているといつの間にか僕とユニスの食器が合奏をしているような状態になっていた。エドウィンは空いた皿を丁寧に重ねて机の端に片付け、蕭寥しょうりょうとした様相で車窓を眺めていた。はらめく葉音はおとを硝子越しに傾聴しているみたいだった。

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