第一章

凋落1

     (一)


「好きって言ったら怒る?」


 列車の窓から藹藹あいあいたる木々を眺めていた時、メイが突然そんなことを言い出すものだから錯愕さくがくして目を丸めた。脈理みゃくりのない第一声は謎掛けみたいだった。


 朝影あさかげの眩しさに交睫こうしょうして落ち着いていく。絡んだ睫毛をほどいて冷眼れいがんを向けた先で、噤口きんこうしているメイの頬が赤らいていた。


 彼女の胸膈きょうかくしている気持ちがなんであるのか、その文色あいろから見て取ることは出来ない。桃顔とうがんを染める色差いろざしを見つめていても答えには辿り着けない。互いに沈黙していた時間は思いのほか長かったのか、窓外の空は天霧あまぎり、眩しかった天光てんこうも届かなくなっていた。


「メイ、好きって、何の話だ」


「え、好きは、好きだよ。えっと、ほら、エドウィンも好きなものとかあるでしょ」


「……そうだな」


 言いかすむ口吻に、何が言いたいのか掴めないまま、彼女が自然と話してくれるよう迎合あどを打つ。それでも会話が先へ進まない為、隣席の鞄を手に取った。その座席には先刻までユニスがいたからだろう、聖水の遺薫いくんが漂い、食堂車へ向かった彼女とマスターはどうしているだろうか、と思いなだらむ。安閑あんかんにもたれかかっていると、ようやくメイが声を上げた。


「さっきの、好きっていうのは」


「なんだ」


「エドウィンのことが、好きだよ、って、そういう、話なんだけど……」


「そうか」


 彼女に愛楽あいぎょうを抱かれていることは知っている。俺が彼女を妹のように思っているのと同様、彼女も俺を兄のように見ているのだろう。けれども俺の返答が気に食わなかったのか、一花いっかの緘黙を挟んでから刺々しい眼勢がんせいを向けられた。


「……それだけ? そうか、って……僕の話聞いてた?」


「お前が俺に懐いてくれてるのは言われなくても知ってる。それほど鈍くない」


「……懐いてるって、僕は小動物じゃないんだけどな……」


 ため息混じりの色音いろねは彼女が呆れているのを鮮鮮あざあざと伝えてくる。眉根を寄せて少し思案したのち、首を傾げた。


「それで、好きと言われて、どうして俺が怒ると思ったんだ」


「ああ、それは……エドウィン、お客さんに恋文を渡されたりした後、いつも怖い顔してるから……」


 メイが心思うらおもっていたものは思いがけないもので、唖然と息嘯おきそを漏らしてしまう。客に渡される手紙は閉店後に目を通しているが、メイに見られていたとは思わなかった。


 彼女の見当違いな僻思ひがおもいを正さねばと開口するも、言葉に迷う。誤解を生まない言いざまを考えながら唇を動かし始めた。


「客は、店員としての俺しか知らないんだ。それなのに交際したいと言われても困る。魔女や魔法の存在も、俺がどれだけの人を殺してきているかも、知らないから言える愛なんて迷惑なだけだろ。どう断ればいいか考えるのが……いや、そもそもメイと客じゃ好意の種類が違うんじゃないか?」


 問いかけたつもりだったが、音骨おとぼねはなかなか返ってこない。玄黙げんもくして目を泳がせていたメイは、俺と顔を合わせるなり困り眉を形作って、うそんだ。ほんの少し引き上げられた桜唇おうしんは笑い声を吹き零す。


「そ、そうだね……! うん、違う好きだったかも!」


 彼女の明朗さのおかげで、靄然あいぜんたる穏やかな空気が流れる。陰晦いんかいな空も晴れていき、雨下うかを心配する必要はなさそうだった。


 窓枠に肩を預ける。青々とあざやぐ雲霄うんしょうを遠くまで凝望した。見霽みはるかす景色は街の喧噪を忘れるほど木々ばかりだった。


 不規則に揺れる列車内で、眠りにつけそうなほど恬静てんせいとした気持ちになっていくのは、目的地である故郷が近付いているからかもしれない。


 思い出の場所に帰ることが出来ると考えたとき、溢れてくる思いは欣悦きんえつではなかった。はっきりと形容出来るような感情ではない。強いて言うならば侘しさや愁嘆の類だ。


 思い返す既往きおうの中で、膏血こうけつと灰が舞っていた。生まれ育った地を踏みしめたのは、あの日が最後だった。村人の遺体はどうなっているだろう。あらぼねが転がる様を想像して渋面を浮かべてしまう。出来ることなら骨を埋葬したい。遺体の見つからない知人には、空葬からとむらいでもいいから哀悼を捧げたかった。心憂こころうがる姿をメイ達には見られたくないな、という意想いそうが過って自嘲した。


 村人と妹を殺した寇讐こうしゅうをこの手で絶命させてから約一週間が経つ。メイは『魔女』を生む人体実験により『妹の肉体に魂が宿ってしまった現状』をどうにかしたがっており、彼女の妹を救う術を探すため、俺の故郷に連れて行くこととなった。公に知られていない魔法の知識を代々受け継いできた一族の村だ。魔法について、その種類や使い方なども委悉いしつされている──つまり細かく記述されている──書物も多くあるだろう。


「っねえ、エドウィンが作ってくれたサンドイッチ、一個つまんでもいい? 早く食べたい!」


 メイの求めるものが故郷にあればいいが、と静慮せいりょしていた意識はピクニック気分丸出しの緩声かんじょうに引き付けられる。こちらが真剣に熟思じゅくししているというのに、当人がこれかと睇視ていししてしまう。


 メイは膝の上にサンドイッチの入った籠を置き、蓋を開けて中を覗いていた。ビスクドールに似た殊色しゅしょくは普段大人びて見えるが、これだけ嬉しそうにしていると幼子に見えてくる。小息こいきを吐いた自身の唇はそのまま疲れ切った声を打ちすがった。


「それは昼食だ。昼には村に着くからもう少し我慢しろ」


「い、一個だけ……」


「そもそも朝ごはんを食べたばかりだろ。そんなに空腹ならマスターやユニスと一緒に食堂車へ行けば良かったんじゃないか?」


「そうしたらエドウィンと二人で話せる時間がとれなかっ──……いや、えっと……」


 しまった、とでも言いたげにメイが目を泳がせる。言いたいことがある様子だというのに、あかき心を晒すつもりはないようで、彼女は黙り込んでしまう。


 彼女とは雑談を交わすことも増えたが、まだ心解うらとくことは出来ていないらしく、見えない壁を感じて対応に困る。彼女がこうなると質しても答えてくれない時の方が多い。


 お互い徒口ただくちになっているせいで車内コンパートメントは静寂に包まれていた。気まずさに堪えかねたのは俺の方だ。


「なにか話したいことでもあったのか」


「……エドウィンと、なんでもいいから話がしたかっただけだよ」


「言いたいことがあるなら言えばいい。アテナの時もそうだったが」


 アテナがコーデリアの肉体を使っていることを、まだ知らなかった時。メイは俺の風柄ふうがらとアテナの姿を重ねていた。アテナが俺の妹かもしれない、と思った時点で相談してくれれば、とも思うが、それは当人ではないから言えることだ。俺に話すべきか話さぬべきかという薫灼くんしゃくで、メイはずっと頭を抱えていたのだろう。


 開口と閉口を繰り返すメイの然無顔しかながおをじっと諦視ていしする。言ってくれ、とごとを重ねるよりも、彼女がおのずと喋ってくれるのを待つ。


 列車の振動のせいか、上風うわかぜによるものか、窓硝子が一際さざめいた。その大きな淅瀝せきれきはメイの鼓膜にも届いたみたいだ。精慮せいりょに沈みこんでいた彼女の肩が、我に返った様子で飛び跳ねていた。


 互いの視点が結ばれるなり、彼女はにがり笑う。


「ビックリしたね。列車って乗るの初めてでワクワクしてたけど、結構揺れるし驚くことばかりだ」


「話を逸らすな。……言いにくいことなら、無理には聞かないが」


 左右へ動くオッドアイのはざめに、はぁ、と肺の底から咨嘆したんが込み上げてくる。叱りつける音容おんようで本音を吐き出させるのは気が進まない。半ば諦めた気持ちで外を眺めった。


 碧霄へきしょう靄然あいぜんと漂う白い雲を意味もなく追いかける。列車はすぐさま雲を置き去りにしていった。木々の立ち並ぶ道へ進むと、昼光ちゅうこうの眩しさも翠影すいえいに呑まれていく。木暗こくらがりは微かに涼しく思えた。


 しん、とい澄んでいたところに、硬い声差こわざしが落とされる。


「エドウィンは、人に好意を向けられるの嫌い?」


「別にそんなことはない。恋愛感情はよく分からないが」


「もし、男に好きって言われて懐かれたらどう思う?」


 人形じみた小さな玉唇ぎょくしんは不思議なことばかり言う。回りくどい婉語えんごでは本当に聞きたいことが何であるのか分からない。しかしあれほど思いまわしていたのだから、この質問はきっと考え無しの漫言まんげんではないのだ。彼女の心中にある気褄きづまを、きか、、味解みかいしたい。真剣な眼子げんしで彼女と向かい合った。


「……それは人として好きという意味で解釈していいんだな?」


「そう、かもしれないし、特別な好きかもしれない」


「慕って貰えるのは、性別なんて関係なく……嬉しいが」


「たとえば同性にハグされるのは?」


「男女問わず、過度な接触はできれば遠慮したいな。……これはなんの質問なんだ……」


 慣れない内容の相言あいごとに、彼女の相談を聞きしたくなってくる。相談する相手を間違えていないか、と思いつつも、聞き出してしまった手前、突き放すわけにもいかない。


 何故彼女がこんなことを俺に聞いているのか、彼女の襟懐きんかいにどんな感情が漂っているのか、細思さいししてみる。


 晨光しんこうに照らされたメイの雪膚せっぷは赤らんで見えた。恥ずかしさが伝わってくる赭面しゃめんから顔を背ける。思いがおを前にして見解みといたのは愛染あいぜんで、彼女の心葉こころばをようやく掴めたような気がした。


「ユニスを特別な意味で好きになったのかもしれない、という相談か」


「え!? あ、いや」


「どう感じるかなんて相手次第だ。ユニスなら、男に触れられるよりは同性に触れられる方がまだ大丈夫だと思うぞ。それも嫌かもしれないが、メイなら他人より大丈夫だろ」


「まぁ、そう、だね」


 歯切れの悪い声様こえざまは、俺が想到そうとうした回答を不正解だと告げてくる。


 確かに、これまでのメイとユニスのやりとりを顧眄こべんしてみると、メイがユニスに対しこがれている様子などは見覚えがなかった。


「もし僕が男だったら、ユニスに避けられていたのかな。エドウィンは僕にこんなに優しくしなかった?」


 侘声わびごえから哀感あいかんを滲ませる彼女は、消え入るようなあだなさ、、、、を纏っている。俺の返事を待ち花顔かがんが不安げな鬱悒うつゆうに染まっていた。煩懊はんおうで暗い顔気色かおげしきの彼女を楽にしてやりたくて語りす。


「ユニスは男性にトラウマがあるからそうかもな。俺は相手の性別で態度を変えているつもりはないが、仮にメイが少年だったとしても無理はさせない。まだ子供なんだ。普通なら……あんな風に列車内を走り回って怒られているような」


 折柄おりから話している時に、コンパートメントの外で子供の笑い声と大人の叱責がおとなわれた為、片笑みを浮かべてしまった。そんな俺とは反対に、メイは怏怏おうおうとして眉を吊り上げていた。


「ちょっと、僕はあの子達ほど子供じゃないし、マナーもなく走り回る歳じゃないよ」


「わかってる。けど未成年だろ」


「そりゃそうだけどさ」


 勃然ぼつぜんと怒りを発する声影せいえいは微笑ましい。俺よりも歳下とはいえ、子供扱いをされるのは嫌なのだろう。だが昼食のサンドイッチを食べたがって、今もなお籠を膝の上に乗せている貌形ぼうぎょうも幼児のようだった。とはいえ怒らせたい訳では無いため、大人気のない徒口あだぐちを叩くのはやめておいた。


 思い詰めて陰暗いんあんとしていたメイも気分は晴れたようで、緩んだ解顔かいがんを向け合えるほどの晏如あんじょな時間が訪れる。


「エドウィンだって──」と、なにか他愛のない閑言かんげんを交わそうとしたメイの鶯舌おうぜつは、開扉の音差ねざしに潰された。


 人音ひとおとに追従して舞い込んだ一炷いっしゅの香は、苦々しい相思草あいおもいぐさによるもの。列車内のどこで煙草を吸ってきたんだ、とマスターを白眼視はくがんしした。


「マスター、ユニスと食堂車に行ったんじゃないのか。どうしてそんなに煙草臭いんだ」


「え、そんなに臭うかい? ちょっと吸っただけだよ」


「そうなんですよエドウィン聞いてください! この人、私がフルーツサンド食べてる目の前で煙草吸い始めるんですよ!?」


 乱暴に閉められた扉の音さえ掻き消すほど、大口を開けてうたくユニスに目を細める。その面容めんようは、今にも牙を剥きそうなほどの慍色うんしょく塗抹とまつされている。彼女を取りしずめるべく、とりあえず座るよう促した。


 マスターは俺の隣、ユニスはメイの隣席に腰を下ろした。メイはようやくサンドイッチの籠を膝からどけて、ユニスに咲笑えわらった。


「ユニス、おかえり」


「メイさんただいまです! エドウィンと何してたんですか? 恋バナ?」


「そっっ、そんなわけないだろ!? ユニスってば何言ってるの!?」


「メイちゃん、私にはおかえりって言ってくれないのかい?」


「オッサンはお帰りください。これで満足?」


「意味が違うんじゃないかな!?」


 先程まで、窓の向こうの風籟ふうらいさえ聞こえてきそうなほど閑道かんどうとしていた室内は、彼らが帰ってきて乃刻ないこくかしがましさに呑まれていく。メイとユニスが怡楽いらくしているものだから咎めるわけにもいかず、かからめく彼らに大息だけを吐き捨てた。


 ふと、メイがサンドイッチを食べたがっていたことを反想はんそうする。彼女の側顔そばかおめ見ると、視線に気付いた婉容えんようが振り向く。


「エドウィン? どうかした?」


「食堂車に行ってみるか? お腹空いてるんだろ」


「! 行ってみたいな……!」


「では、荷物番は交代ですね。私とマスターはココにいるのでお二人は楽しんできてください」


 慶色けいしょくを満面に広げたメイはすっくと立ち上がる。彼女の準備が万端であることを伺察しさつしてから廊下に繋がる扉を開けた。食堂車へ向かおうとしたが、左右を顧望こぼうして足を止める。仲の良さそうな親子が手を繋いで歩いており、列車内の狭い隘路あいろでは、二人が通り過ぎるのを待たなければならなかった。


「お母さん、そろそろケーキメニュー頼めるの?」


「ええと、そうね! 十時過ぎているから頼めるはずよ。よかったわね」


「やったぁ!」


 怡然いぜんと笑う少女と、彼女に恩顔おんがんを向ける母親の姿は微笑ましい。不意に母親と目が合い、お辞儀をされたため僅かに頭を下げる。通り過ぎた二人から視線を外し、コンパートメントの入口を踏み通ろうとしたら甲高い大喚たいかん耳竅じきょうを貫いた。


「私も! 私も行きます!」


「なんだいきなり……お前はさっき食べてきたんだろ」


「ケーキは食べてないですもん。十時過ぎたらケーキが食べられるなんて聞いてないです! ケーキ食べたいから連れてって!」


 我慢という言葉を知らなさそうなユニスの気随きずいな態度に、唇から咨嗟しさが漏れる。喧然けんぜんと駄々を捏ねられても困るため、仕方なくマスターに確認をとることにした。


「マスター、ユニスも付いて行きたいみたいなんだが、構わないか?」


「ああ、いいよ。──っそうだ、私の財布を持っていくといい。好きなものを好きなだけ頼んでいいからね」


「あんまり甘やかすな」


「エドウィンもいっぱい食べなさいって意味だよ。君、また痩せたんじゃないか? もっと肉を付けた方がいい」


「……そんなに食べられないんだから仕方ないだろ」


 彼の気扱きあつかいに鬱陶しさを覚えてくちひそむ。お節介な親みたいに振る舞われても困る。それほど食欲は湧かないし、胃袋に入る量も多くない。


 昔はもう少し食べられたはずだが、五年前、アテナに四肢を貫かれた時に胴もりなされていたようで、内臓も毀傷きしょうしているのかもしれない。少食になった程度で日常生活に大した支障はないため、俺自身は痛痒つうようを感じていなかった。


「けどねぇ」とうだつく彼に眉根を寄せていたら、ユニスが呷然こうぜんと呼声を響かせた。


「エドウィンはやくはやく! ケーキなくなっちゃいます!」


「今行く、待ってろ」


 マスターから預かった財布を懐に収め、コンパートメントを出る。先に廊下で待っていたユニスの面色めんしょくは喜びで満ちていた。今にも踊躍ゆやくし始めそうな彼女の足遣あしづかいを追いかける。メイと並んで歩く後姿は姉妹のようだ。相和あいわして微笑む二人を見守りながら、秒を刻むくらいの舒緩じょかん足付あしつきで食堂車を目指した。






──────────

※あとがきというか補足的な。

 メイの唐突な謎セリフから始まっているのは(元々短いSSのつもりだったので)診断メーカーで出た、

『エドウィンとメイのお話は「好きって言ったら怒る?」という台詞で始まり「静かで優しい夜だった」で終わります』

 に従って書くつもりだった名残りです……短くならなかったので以降は好きに書いてます……。

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