忘れえぬ恩怨2
シャノンは、母の部屋で眠っていた。渡すつもりの花を握りしめて、母の目覚めを待っている間に寝てしまったのだろう。床に膝を突いた姿勢でベッドに凭れて眠るシャノン。彼女を起こさないよう、静かに母へ歩み寄る。
母の胸元までかかっていたはずの布団は、シャノンが引っ張ってしまったのか、
あたたかくて栄養のあるものを食べてもらって、その後薬を飲んだら少しは元気になるかもしれない。だから冷める前に母に食事をしてもらいたかった。
「お母さん、スープを分けてもらったんだ。お母さん起きて。冷めちゃうよ。お母さん」
そっと肩を揺さぶる。母は眠ったまま寝がえりすら打たない。呼びかけて、呼びかけて、呼びかけ続けて。だんだん怖くなる。
僕が声を静めると、耳鳴りみたいな
「お、かあさん」
死を知らない子供のように、母は眠っているだけだと思い込みたかった。だのに
まだ生きているのではないか、なんて希望じみた
今更薬を奪ってきても何の意味もなかった。気付け薬とされている
起きてと叫びたかった。感情に締め付けられた喉は引き攣って、上手く声を出せない。誰かに助けを求めたくて振り返り、眠る妹の姿を見て、どこにも行けなくなる。騒げば妹は起きるだろう。母が亡くなったことを知って泣くだろう。
数刻前のことを思い出す。母は死なない、僕が守ると、出来もしない
妹に何を話せばいい? 妹をどう慰めればいい?
なにも分からなくて声を殺したまま泣き続けた。
どうすればいいかなんて、分かるわけないじゃないか。誰も何も教えてくれない。助けてくれない。シャノンだけは守り抜かないと──いつまで? ずっと僕がシャノンを守り続けないといけないのか? 母さんはもう僕を褒めてくれないのに? 僕のことは誰も守ってくれないのに?
自分のことばかり考えてどうする。我欲を捨てて、
「っ、お母さん……まだ、いなくならないでよ」
──お兄ちゃんなんだから、シャノンのこと、守ってあげてね。
母の言葉が蘇る。笑い方を忘れた僕の口元が、いびつな苦笑を象っていた。声帯を震わせる
「ねえ、お母さん。僕……お兄ちゃんだけど、シャノンと同い年なんだよ。僕だって、子供なんだよ。もう、無理だよ……」
全部、やめてしまいたくなる。良い子でいるのも、優しいお兄ちゃんでいるのも。だけど、兄として生きてきた僕が、まだ兄で在りたがっていた。母に何もできなかったうえに、妹まで泣かせるなんて、僕が自分を許せそうになかった。
俯いた視野で、
母の頬を片手で包み込む。
魂だけでなく、その肉体も、綺麗な花畑に
叶うはずもない現実逃避に、乾いた自嘲があふれる。
冷静に考える。シャノンを泣かせない術を。
もう少しだけ、嘘吐きでいよう。僕は妹の手から花を抜き取り、母に握らせた。眠るシャノンを抱きかかえて母の部屋を出る。
シャノンの寝顔を見下ろす。穏やかな童顔を打ち守って、唇を噛み締める。
花は代わりに僕が渡しておいた。お母さんは花を受け取って喜んでいたよ、でも疲れているのかすぐ眠ってしまったんだ──そう、妹に嘘を吐けるように、頭の中で
「っ……ごめん……」
溢れ出したそれが、何に対するものか自分でも分からない。僕の判断が正しかったのかも、分からない。
雨は、
翌朝、晴れ空の下で、僕はぬかるんだ地面に叩き落とされた。食料と薬を強奪した僕を
親がいなくなった僕達は、無慈悲に売られることになった。
シャノンは僕を責めなかった。だけど僕が僕を責める。嘘と、暴行と、強奪と、重なりすぎた罪が、僕に
影は僕の形になって僕を責める。それは、妹とよく似た顔をしていて。僕なのか妹なのか、次第に分からなくなっていった。
シャノンは僕を、恨まなかったのだろうか。
(二)
「メイ、朝だぞ。出掛けるんだろ」
「ん……」
肩を揺さぶられるまま瞼を持ち上げる。
しかし視点を動かした先に顰め面の
上半身を起こし、僕は彼から目を背けて口ごもる。
「あの、その……ごめん……」
「それ、寝言でも言ってたな」
「え、あぁ……嫌な夢見て」
「そうか」
静かに近付いた彼の手が、僕の頭に触れる。先程と表情は変わらないが、優しく見えた。もしかすると初めから怒ってなどいなかったのかもしれない。よく考えたら、彼はあまり怒らない
魔女狩りに行くわけではないからか、エドウィンは仕事着の上に黒いトレンチコートを羽織っただけの服装だった。ボタンを留められていないコートの合間から、ワインレッドのシャツと、緩めに絞められたネクタイ、カマーベストが窺える。
僕の髪を梳いた彼の指はそっと離れていく。優しい体温が名残惜しくて上目遣いで彼を見ると、柔らかな苦笑がそこにあった。
「髪、ひどいことになってるぞ」
「ぇ……、……え!?」
「少し整えた方がいい。それと、今日はあまり気温が高くない。薄着は避けろ。まだ出発まで時間はあるから急がなくて大丈夫だ。下で待ってる」
僕が一言も返す前に、彼は涼風のように出て行ってしまう。自分で押さえた髪の毛は、確かに普段よりボサボサな気がした。そういえばシャノンも、毎朝髪が爆発していたなと想起して片笑みを浮かべる。
明るい窓に目をやった。民家の煙突から
のんびりしている場合ではない。今日はエドウィンの故郷に行くのだ。魔法の知識を唯一受け継いでいる一族の村。そこなら魔法や魂について、
寝巻のブラウスを脱ぐと、露わになった左上腕部で赤い紐が揺らめく。針と紐を肉にくぐらせ、僕と妹を
清寧な日々に落ち着いていると忘れそうになる。僕の魂が、妹の肉体に宿ってしまったことを。置き去りにされた僕の肉体が、冷たい孤児院で朽ちていっていることを。
鏡と向かい合って今一度誓いを
僕は
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