その後の彼ら

「オーナー、いかがでしょう」

「ええ、完璧だわ。みんなありがとう」

 シャルロットは居並んだ従業員たちを見回すと大きく頷いた。


 清潔感のある、白を基調とした家具もガラス窓も丹念に磨き上げられている。

 カーテンやテーブルクロスは柔らかな色彩を纏い、窓辺に並べられた鉢植えの緑がいいアクセントになっている。

 入り口から入ると最初に目につくガラスケースの中はまだ空っぽだが、脇にある棚には色とりどりのアイシングで模様が施されたクッキーが並べられている。

 この「パティスリー・フルール」を代表する商品だ。


「シャルロット、こっちも終わったよ」

 外観のチェックをしていたディオンが中へ入ってきた。

「ありがとう」

 シャルロットは改めて店内を見回した。

「いよいよ明日ね……。やっとだわ」



 学園を卒業して十年が経っていた。

 卒業後、本格的に菓子職人の道を歩き始めたシャルロットは、実家のパン屋の一部で自作のケーキや焼き菓子を売り始めた。

 この世界の菓子は素朴なものが多かったが、前世の経験をもとに色や見た目にこだわったシャルロットの菓子はあっという間に女性客を中心に人気が出て、三年目には自分の店を持つことができた。

 まだ二十歳の、しかも女性が自分の店を持てたのは、商会の息子で幼馴染から夫となったディオン、そして後援となってくれたバシュラール侯爵家のおかげだとシャルロットは思っている。


 店は順調に成長し、そうしていよいよ明日。

 念願のミジャン王国支店が開店するのだ。



「オーナー。お迎えが到着しました」

「それじゃディオン、行きましょう。皆も明日に備えて今日はしっかり休んでね」

 従業員たちと別れ、店の前に停められた豪華な馬車に乗ると、馬車は貴族街へと向かって走り出した。


 人々の服装も街並みもエナン王国とは異なるこの国で上手く行くか不安だが……現地で雇った従業員たちにも味は好評なのだ。

 商品と、彼らの腕を信じるしかない。

 やがて馬車は王宮の近くにある屋敷の前で停まった。


「久しぶりですね」

 屋敷の主人がシャルロットとディオンを出迎えた。

「お久しぶりです、セベリノ様」

「忙しい中、家まで来てもらって悪いですね」

「いえ。セベリノ様たちにはとてもお世話になりましたから」

 シャルロットは深く頭を下げた。

「本当にありがとうございます」


 店をミジャン王国に出すにあたり、場所の選定や手続きなど、セベリノが大きく協力してくれた。

 閉鎖的なミジャン王国で他国の者が店を出すのはとても難しいらしいが、去年即位したアドリアン新国王の元、積極的に外国の文化を取り入れようという政策も後押ししてくれたのだろう。


「セベリノ様もお忙しいのではないですか」

 アドリアンが即位すると共にセベリノもメラス家当主となった。

 黒魔術師をまとめ、王を支える立場として、きっと多忙なのだろう。

「妻も楽しみにしていますし。それに王妃に『パティスリー・フルール』の菓子を献上するのと引き換えに今日の休みをもぎ取りましたから」

「まあ、そうですか」

「妻からさんざんあなたの作る菓子は美味しいと聞かされているので、王妃も明日の開店をとても楽しみにしているんですよ」

「それは……光栄、です」

 ――果たして庶民向けのお菓子が王妃の口に合うのだろうか。

 シャルロットとディオンは不安そうに顔を見合わせた。


「リリー。二人が来たよ」

「まあ、シャルロット!」

 案内された部屋の奥、ソファに座った女性が顔を輝かせた。

 ダークブロンドの髪に黒い瞳。

 以前の外見とは異なる、けれどその笑顔だけは変わらなかった。


「リリアン様。お久しぶりです」

「ごめんなさいね、明日開店なのに。忙しいでしょう」

「いえ。皆が優秀なので私のやるべきことはもう終わりました」

 他にも幾つもの支店を抱えているため、シャルロットは滅多にこの国には来られない。

 だからミジャン支店を出すにあたり、経営に関しては基本店長をはじめ現地の者たちに任せる予定だ。

 店に並ぶ商品の品質と、イメージさえ守ってくれればいい。


「本当はお店へ行きたいのだけれど……このお腹でしょう」

 そう言って、リリアンははち切れそうなくらい大きなお腹をそっと撫でた。

「出産を終えて落ち着けばいつでも、好きな時にお店に行かれるから」

 リリアンの手に自分の手を重ねるセベリノの、妻を見つめる瞳はとても優しい。



 マリアンヌと共にミジャン王国へやってきたリリアンは、新たな身体を手に入れリリアンではない、別の人間として生きることとなった。

 身体の元の持ち主はとある子爵令嬢で、家族や婚約者と折り合いが合わず心を病んでいたのだという。

 そうして自ら命を投げだそうと、教会から身を投げたのだと。

 一命は取り留めたものの、心は既に死んでしまったらしい。

 リリアンの魂をその身体に移し、傷を治して元の家族とは一切関わりのない、身寄りのない者という立場を与えてセベリノは彼女を妻に迎えた。


 メラス家では良い魔術師を産むために、配偶者の素性には全くこだわらないらしい。

 現にリリアンが産んだ長男は既に歴代最高ではないかと言われるほど魔力量も高く、まだ五歳になっていないけれど既に黒魔術師としての技も身につけ始めているのだという。


「双子でしたっけ」

「ええ。マルロが教えてくれたの、男の子と女の子ですって。娘が欲しかったから嬉しいわ」

 マルロというのが長男で、彼には赤子が宿っているのが分かり、母親の妊娠に気づいたのも彼が最初だと、リリアンから届いた手紙にあった。


(子供か……)


 幸せそうなリリアンとセベリノの顔を見て、シャルロットは心の中でそっとため息をついた。

 自分も結婚して八年。

 夫婦仲は良好で、仕事も順調。

 幸福だけれど……ただ子供が出来ないことだけが悩みだった。

 大人になれば結婚して子供を設けるのが当然という価値観が主流のこの国で、未だ子供がいないというのは世間的に冷たい目で見られる。

 仕事を抑えて子作りを優先するよう、両方の親から小言を言われることもある。

 シャルロットとて努力はしているが、こればかりは努力だけで叶うものでもない。


「シャルロットたちはいつまでここにいられるの?」

 悶々としていたシャルロットにリリアンが尋ねた。

「あ、ええと一週間ほどです」

「マリアンヌたちは来週帰ってくるのですって。間に合うといいのだけれど」

「そうですか……マリアンヌ様たちもお忙しそうですね」


 アドリアンが王太子となるために暗躍する使命を無事果たしたカインは、メラス家が持つ子爵位を与えられ、カイン・オルベラ子爵となり実父と同じ、外交官の仕事を任されるようになった。

 王子妃教育で複数の外国語や外交を学んでいたマリアンヌも、外交官夫人として夫とともにあちこちを回る日々を過ごしていた。



「おとうさま、おかあさま」

 しばし互いの近況などを話していると、扉が開かれ小さな頭が顔をのぞかせた。

「マルロ、お勉強は終わったの?」

「はい」

「それじゃあお客様にご挨拶をなさい」

 リリアンとセベリノの息子、マルロはセベリノによく似ていた。

 大きく異なるのはその瞳の色で、水色のその色彩は、マリアンヌと同じものだった。

 マルロは部屋へ入るとシャルロットを見、その顔を輝かせた。


「はじめまして、マルロです」

 シャルロットとディオンに向かい、しっかりとした口調でそう挨拶をして頭を下げるとマルロは笑顔をシャルロットのお腹へと向けた。


「はじめまして、ぼくのおよめさん」

 少年の言葉に、周囲の大人たちが固まった。



「まあ! シャルロット、あなたもおめでただったの!?」

 最初に声を上げたのはリリアンだった。

「え……え?」

 とっさにお腹に手をやり、シャルロットは呆然としているディオンと顔を見合わせた。

「……赤ちゃん……?」


「そうか、その子がマルロのお嫁さんになるのかい?」

 苦笑しながらセベリノは息子の頭を撫でた。

「うん」

「まだ生まれてもいないのに決めたのか?」

「ぼく、わかるんだ」

「……そうか」

 セベリノは妊娠が発覚すると同時に嫁ぎ先を宣言されてしまった夫婦に視線を送ると、くしゃりともう一度息子の頭を撫でた。

 リリアンと結婚すれば優秀な子が生まれると確信していたが、予想以上にこの息子は色々な力を秘めているようだ。


「まあ、シャルロットの子とマルロがなんて、素敵だわ」

 ただリリアンだけが楽しげに笑顔を浮かべていた。



 シャルロットの娘を巡り、高位貴族の子息たちが争いを繰り広げるものの、一番先に目をつけていたマルロが奪い、「まるで乙女ゲームかロマンス小説みたいね」とリリアンが笑顔で語るのは、それから十七年後の話。



おわり

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元お助けキャラ、三度目の人生は自由を望みます! ー悪役令嬢に憑依したら婚約者が私に執着しますー 冬野月子 @fuyuno-tsukiko

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