第9章 マリアンヌ

01

(マリアンヌ視点)


「マリアンヌ様!」

 教室へ入るとバーバラ様が駆け寄ってきた。


「おはようございます、バーバラ様」

「ああマリアンヌ様、良かったですわ……!」

 私の顔を見るなり泣き顔になったバーバラ様に心がズキリと痛む。

 ――この方にも随分と心配を掛けてしまった。

 本当に……私の独りよがりで多くの人に迷惑を掛けてしまったと、改めて心が苦しくなる。


「ご心配をおかけいたしましたわ」

「いいえ、ご無事で何よりですわ。それに記憶も戻られたのでしょう」

 涙ぐみながらもバーバラ様は笑みを浮かべた。

「本当に、良かったですわ」

「ありがとうございます。でも、記憶喪失だった時のことは覚えておりませんの」

「まあ、そうなのですか」

「ええ……バーバラ様の花娘姿はとても素敵だったとか。覚えておきたかったですわ」


「まあ」

 一瞬目を見開いたあと、バーバラ様は再び笑顔になった。

「……マリアンヌ様、記憶を無くす前ともまた雰囲気が変わりましたわね」

「そうなのですか?」

 それは両親、そしてカミーユにも言われた。

 前よりも柔らかくなったと。

 ――それはきっと、心の重みが取れたことと、そしてお祖母様の存在のおかげなのだろう。



 元の身体に戻ってから約二週間経ち、私は学園へと復帰した。

 とはいっても、私はすぐに学園を辞める予定なのだけれど。

 その辺りはまだお父様たちと揉めているところなので、バーバラ様にはまだ秘密だ。


 放課後。

 学園内を歩くと幾つもの視線を感じる。

 二週間前のカーニバルで起きた、騎士団長の息子が侯爵令嬢、しかも王子の婚約者に横恋慕し誘拐した事件は社交界にあっという間に広がったという。

 そして、その時の恐怖で私が失っていた記憶を取り戻したという話も。


 私に向けられる視線は好奇、同情――そして失望だ。

 記憶がなかった私、つまりお祖母様はとても好かれていたという。

 お祖母様は優しく、いつも笑顔で、無愛想な私とは正反対だ。

 好かれるのも分かるし私もそんなお祖母様が大好きだ。

 けれど好かれすぎて良くない好意を受けることも多く、祖父や大伯父様は大変だったそうだ。


 それは正直、分からなくもない。

 お祖母様は誰にでも優しくするから……その優しさをもっと自分に向けてもらいたくて、悔しくなるのだ。



 中庭へ着くと、先にベンチに座っていた女生徒が慌てたように立ち上がった。

 シャルロットというこの平民の女生徒は、以前はフレデリク殿下の気を引こうとしていたが、やはりお祖母様の魅力にやられたらしく――あっという間にお祖母様の正体を知るほどの仲となったという。


「マリアンヌ様。あの……」

 今の私がどちらなのか計りかねているのだろう、おずおずとシャルロットが口を開いた、その時。

「シャルロット!」

 私の足元から黒い影が飛び出した。


「え、うわっ!?」

 突然のことに後ずさったシャルロットの腕の中に黒い影――もとい、黒猫が飛び込んだ。

「シャルロット! 私よ私!」

 ……突然黒猫に人間の言葉で言われて分かるものだろうか。


「え……もしかして、リリアン様?」

 けれどシャルロットには分かったようだ。

「そう、マリアンヌと入れ替わったの」

「入れ替わるって、この猫あの時のセレストですよね……って、まさか!?」

「そうよ、マリアンヌはずっと黒猫として生活していたのよ」

 したり顔風に黒猫、いやお祖母様は言った。



 私たちは黒猫を挟んでベンチに並んで座った。

 最初シャルロットは私と同じ席につくことを躊躇ったが、お祖母様が強引に座らせたのだ。


「――それで、セベリノ様の提案って何なのですか?」

 カーニバルの日に攫われてからの経緯をお祖母様が語り、一息ついたところでシャルロットが尋ねた。

「まずマリアンヌが元の身体に戻るでしょう。そうしてミジャン王国に留学するの」

「留学、ですか」

「――王子と婚約解消して何度も事件を起こしたもの。ここには居辛いわ」

 こちらを見たシャルロットに、私はそう言った。


 あの小屋で元の身体に戻ったあと、家に帰った私はまず両親に謝ろうとしたのだけれど――それよりも早く、私の無事を聞きつけたフレデリク殿下が駆け込んできた。

 私を見た瞬間、殿下は中身がお祖母様ではないことに気づいたのだろう。

 あの時の絶望に染まったような顔は、未だに心に焼きついている。


「アンは……?」

 初めて聞く低い声でそう言うと、殿下は私へと詰め寄った。

「アンはどこだ! アンを返せ!」

「……何のことでしょう」

 表情を消すのが得意で良かったと、この時ほど思ったことはない。


 私は階段から落ちて記憶喪失になったのではなく、あれは黒魔術によるということ、そしてお祖母様の魂は私の影の中にいることは、決して誰にも知られないようにとあの黒魔術師に言われた。

 恐らくそれを殿下に知られてしまうと、きっと殿下はどんな手段を使ってもお祖母様の魂を手に入れようとするからと。

 そう言われたお祖母様がかなり怯えていたので、殿下のお祖母様への執着は相当なものだと察することができた。


 殿下のお祖母様への想い、それは嫌というほど身に染みていた。

 絵姿でしか知らないお祖母様をあれだけ想えるのだ、本物に会ってしまえばもう、止まらなくなるのだろう。

 ――この身体が無事で良かったと後で部屋で呟いたらそっと黒猫のお祖母様に目を逸らされた。

 その仕草に嫌な予感を覚え、問い詰めたら殿下に首に痕をつけられたと言っていた。

 ……それだけで済んで良かった。



「アンは……!」

 私に掴みかかろうとした殿下は護衛の者たちに制され、王宮へと連れ戻されていった。

 その後、ようやく私は両親に謝罪することができた。

 あの日は一人思い詰め、いっそこの身体なんかいらないと思っている時に足を踏み外して階段から落ちてしまったのという、嘘の説明をすることに罪悪感を覚えるが、かといって本当のことを告げる訳にもいかなかった。


 話し終えた私を両親は抱きしめてくれた。

 そうして、逆に済まなかったと謝られてしまった。

 私が悩んでいたことには気づいていたけれど、私から言うまでは見守ろうと思っていたそうだ。

 けれどそうではなく、もっと私に寄り添うべきだったと。

 親子三人、その夜は泣きながら色々と話をした。


  *****


 三日後、私と両親は王宮へと上がった。

 家族で話し合い、殿下との婚約解消を願うためだ。

 その場に殿下は現れなかった。

 お祖母様が消えてしまったことにひどく落ち込んでおり、学園にも行っていないのだと。


 殿下との婚約はあっさり解消された。

 ――殿下のお祖母様への執着がひどく、このままでは良くないと陛下たちは危惧していたのだという。

 そうして私に戻ったことに、むしろ安堵していると。


「あの子がごめんなさいね。ずっと辛かったでしょう」

 お祖母様の友人である王太后様が私の手を取り謝罪してくれた。

 殿下はしばらく療養させ、心が落ち着くのを待つのだそうだ。



 婚約は円満に解消できたとはいえ、それで良かったとはならない。

 例えこちらに非がなかったとしても、婚約解消した令嬢は傷もの扱いされてしまうのが貴族社会だ。

 まして私は階段から落ちて記憶喪失になったり、誘拐されたりと色々問題を起こしている。

 学園でも社交界でも腫れ物扱いとなってしまうだろう。


 だからしばらく、遠い異国に留学したいと両親に告げたら反対された。

 一人で異国になど行かせられない、心配だというのがその理由だ。

 親としては当然なのだろうが、私にだって……望むものがある。


 話し合いは未だ平行線だが、頃合いを見てアドリアン殿下の口添えでミジャン王国へ留学できることになったと伝える予定だ。

 王子の口添えとなれば、両親もそう強く反対はできないだろう。

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