05
「リリアン様は話に聞いていた通りの方ですね」
マリアンヌが落ち着いた頃、カインが口を開いた。
「え?」
「よくマリアンヌ様から話を聞いていました。優しくて自分を守ってくれる存在だと」
「……そうでしたの」
「リリアン様の魂をマリアンヌ様の身体に入れたのは何故です?」
「それは、俺は知りません」
セベリノさんの問いにカインは首を横に振った。
「俺がやったのはマリアンヌ様の魂を使い魔に移しただけ。――マリアンヌ様が学園に復帰したと聞いた時は驚きましたよ」
まあ。私の魂が蘇ったのは黒魔術のせいではなかったの。
「では階段から落ちたのは?」
「魂の抜けた後の身体をどうするのかという話になって。マリアンヌ様が、どうせいらない身体なのだし、階段から落とせば死因も転落死になるだろうからと」
「マリアンヌ!?」
私は思わず大きな声をあげてしまった。
「自分の身体をいらないだなんて。転落死……なんて、そのまま本当に死んでしまったら、取り返しがつかないのよ?」
「ニャア……」
黒い二つの耳がしゅんとしたように垂れ下がる。
「……そんなに私に似ているのが嫌だったの?」
確かに、フレデリク殿下の私への態度を見ていると嫌になってしまう気持ちは分からなくもないけれど。
それでも……まるで自殺するような考えだけは、して欲しくなかった。
「ニャア!」
マリアンヌは首を大きく横に振った。
「ニャア! ニャア!」
大きな声で鳴くのは、多分否定しようとしているのだろうけれど。
「……あなたの言葉が分からないのが残念ね」
「ああ、それならば」
セベリノさんが手を伸ばすと、マリアンヌの頭に触れた。
ほんのりと、黒い身体が光を帯びたように見えた。
「これで言葉を伝えられるようになると思います」
マリアンヌは水色の瞳をぱちくりとさせると小さな口が開いた。
「――おばあ、さま」
「まあ!」
高くて可愛らしい声はマリアンヌのものではないけれど、それは明らかに彼女が発した言葉だった。
「……お祖母様……お祖母様っ」
私へと押し付けてきた頭をそっと撫でる。
「ごめんなさい……嫌じゃないの、お祖母様に似ているのは嬉しいの。でも私……私……ごめんなさい……」
「分かったわ。……あなたが無事で良かったわ」
それだけ追い詰められて、いや、自分を追い詰めてしまっていたのだろう。
気が強くて、人に頼ることのできない不器用な子だから。
マリアンヌの魂も、身体も。
死ななくて……本当に良かった。
「言葉を……どうやって」
「念話術の応用ですね」
呆然とした様子で呟いたカインにセベリノさんが言った。
「応用……ああ、そうか」
納得したようにカインは何か呟きながら頷いた。
「そうよ、貴方!」
突然マリアンヌが顔を上げるとセベリノさんを睨みつけた。
「貴方何なの!? お祖母様に馴れ馴れしくして」
馴れ馴れしい? ああ、さっき抱きしめられたこと?
「マリアンヌ、あのね……」
「私はミジャン王国のアドリアン殿下の従者兼護衛としてこの国に滞在しております」
胸に手を当てて、セベリノさんは猫のマリアンヌに挨拶をした。
「そしてリリアン様の将来の夫となる予定の者です」
「夫!?」
マリアンヌは叫ぶような声を上げた。
「どういうことです、お祖母様!?」
「え、ええと……そういう可能性もあるという話よ。でも、あなたが無事だと分かったならこの身体はあなたに返さないとならないわね」
「え……」
「先生、マリアンヌの魂は元に戻せるんですよね」
私はカインを見た。
「それは、できますが……」
「私は戻りたくありません」
マリアンヌは首を振った。
「その身体はお祖母様に差し上げますわ」
「でも、一度両親と話をした方がいいと思うの。それにちゃんと謝りましょう、勝手に身体を捨てるなんて親不孝なのよ」
「……それは」
「殿下との婚約も、解消してくれるようお願いしましょう。あなたの気持ちをちゃんと伝えられればダニエルだって動いてくれるはずよ」
娘が自ら身体を捨ててまで拒絶した婚約なのだ。
それに殿下だって、中身が私ではなくなれば……。
「でも、そうしたらお祖母様はどうなるのです?」
「それは……分からないけれど」
「それに、戻ったら……」
マリアンヌはちらとカインへ視線を送った。
――そういえばシャルロットが言っていたわ、カインはマリアンヌのことを好きだって。
「マリアンヌ。そういえばあなた、猫の姿とはいえカイン先生の家にいるのよね」
「あ……」
「それに先生とは親しくしているようだったと皆が言っていたけれど」
「……先生には悩みを聞いていただいていたの」
「それだけ?」
「リリアン様」
カインが私のすぐ側までくると、マリアンヌに向かって手を差し出し、私からマリアンヌを受け取った。
「俺たちは、マリアンヌ様の魂をこの使い魔の中へ移した後、この国から出て行く予定でした」
「え?」
「司書の後任が見つからなくて、まだ実行できていませんが」
そう言ってマリアンヌを見たカインの眼差しは、とても優しかった。
「この国を離れて、マリアンヌ様の新しい身体を見つけて……人間に戻れたら、結婚しようと」
「まあ!」
結婚!?
「あ、あの。お祖母様……カイン先生とは……図書館で知り合って……その、私の話を聞いてくださって、楽しくて、それで……私……」
カインの腕の中でもぞもぞとしながらマリアンヌが、最後の方は聞き取れないくらい小さな声で言っている。
「それで、好きになったの?」
そう尋ねると、一瞬その動きが固まり――やがて小さな頭がこくん、と縦に揺れた。
「そうなのね。良かったわ、あなたに好きな人がいて」
マリアンヌは顔を上げた。
「あなたが殿下と婚約したのは私と顔が似ているからだったのでしょう。そのせいで辛い思いをし続けて、階段から落ちて魂が抜けてしまうなんて悲し過ぎると思っていたけれど。でもちゃんと好きな人がいて、良かったわ」
「お祖母様……」
貴族に恋愛は必要ない。
結婚は政略的なものだと、昔からそう決められている。
けれどそれは、建前で。
人として、誰かを好きになる気持ちが芽生えるのは自然なことだ。
私のように互いに好意を持つ相手と結婚できるならばいいけれど……マリアンヌは、婚約者のフレデリク殿下の心は最初から別の所にあったのだ。
それは思春期の少女にとって、なんと辛いことなのだろう。
それでも、そんな中でもマリアンヌが恋をする相手と出会えて良かった。
――殿下の婚約者であり侯爵令嬢のマリアンヌと、伯爵家の息子とはいえ爵位を持っていないカインが結ばれることは、まずあり得なくても。
「カイン先生は」
私は視線をマリアンヌからカインへと移した。
「仕事や家を捨ててもマリアンヌと共にいてくれる覚悟を持っておられるということでよろしいのでしょうか」
「はい、勿論です」
「ちなみに国を出て行くあてはあるのですか」
セベリノさんが尋ねた。
「いえ。まあ男一人と猫一匹ですから、どうにかなるかと」
確かに、カインは黒魔術も使えるし、マリアンヌも私の影に入っていたように普通の猫ではないのだろう。
それでも心配だし、それに……やっぱりマリアンヌには元の身体に戻って欲しい。
「では、私に提案があるのですが」
セベリノさんは一同を見渡した。
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