03
私を抱きかかえたまま、モーリスは馬車から降りた。
周囲を木々に囲まれた一軒の小屋が目の前に建っている。
――山が近い。
既に王都から出たのだろうか。
モーリスは小屋の中へと入っていった。
中は小さいけれど、手入れは行き届いており、普段から使われているようだった。
「ここは狩りの時に休息する家で、裏手には景色の良い湖もあります。案内できないのが残念ですが」
私をソファに下ろしながらモーリスは言った。
もしかしてゲームで来た事がある湖?
確かモーリスがよく友人たちと狩りにいく森で、馬に乗せてもらい、湖でデートをするのだ。
日帰りで行かれる、王都からは近い場所だと思ったけれど……ゲーム内では移動距離や時間までは描かれていなかった。
あれは夏休みのイベントで、湖の景色が綺麗だったのを覚えているけれど。
――まさかこんな形でここに来るとは。
「お腹は空いていますか?」
モーリスの問いに答える前に、クゥ、とお腹が鳴った。
……いや恥ずかしいんですけれど
緊張感なさすぎ!?
でも、だって、朝から忙しくてパレードだからとお昼も控えめだったのだもの!
「倉庫に食料があるので取ってきます」
モーリスはそう言い残すと部屋から出て行った。
ガチャリ、と重たそうな鍵がかかる音が聞こえる。
(あれ、縛ったりしなくていいの?)
普通逃げないように手足を縛るものじゃないの?
(まあ。普通のご令嬢は勝手に鍵を外して脱走したりしないのか)
私も……ここが王宮や学園ならまだしも、さすがに知らない場所で脱走する勇気と体力はないわ。
「ニャア」
おとなしくソファに座っていると、どこからか猫の鳴き声が聞こえた。
「……猫?」
「ニャーア」
足元からはっきりと聞こえた声に視線を落とす。
自分の足の、その床に落ちた影の中から。
ぴょこんと二つの黒い耳が飛び出した。
そして続いて現れた、水色の瞳と赤いリボン。
「セレスト!?」
「ニャア!」
突然床から現れたセレストが私へと飛びついてきた。
「ニャア! ニャア!」
「え、どうして……どこから!?」
床からというか、まるで影が猫になったような……。
「あ……影って、まさか本当に影?」
セベリノさんは影を使うと言って黒い鳥を出現させていた。
黒いのと隠語的な意味で「影」と呼んでいたのかと思ったけど……もしかして、影に入れるから?
「ニャアー!」
何かを訴えるように、セレストは私の顔を見上げて鳴き続けた。
「どうしたの? 心配してくれてるの?」
「ニャア」
「でもどうしてここが……あ、もしかして見ていたの?」
広場で遠目に見た黒猫はやはりセレストだったのか。
そして私が馬車に乗せられるのを見ていたのだろうか。
「ニャアー」
鳴きながら頭を擦り付けてくるセレストを抱きしめる。
「ありがとう、側にいてくれたのね」
心地の良い重みと腕の中の温もりに、ふいに何か……力が抜けていくような、そして目が熱くなる感覚。
ひく、と喉が震えると、熱いものが頬を伝った。
「ニャア」
「……こわい」
心配そうな鳴き声に、思わず声がもれた。
ああ、そうだ。
怖いんだ。
冷静に状況を判断していたつもりだったけれど……ゲームでしか知らない男性に拐われて、自分の能力が発揮できない、知らない場所に連れてこられて。
この先何が起きるのか、分からなくて。
怖い。
ぽろぽろと涙が溢れてくる。
「ニャーア」
ざらっとしたものが頬を舐めた。
「……セレスト……」
滲んだ視界の先に心配そうなセレストの顔があった。
小さな身体をぎゅうっと抱きしめていると、ガチャ、と鍵が開く音が響いて身体がびくりと震えた。
次の瞬間、腕の中の重みと温もりは消えていた。
「保存食しかありませんが……」
入ってきたモーリスが私の顔を見て目を見開いた。
「マリアンヌ様」
手にしていた皿をテーブルに置くと、モーリスは私の前に膝をついた。
「泣いているのですか」
大きな手が私の頬へと伸びてくる。
「……帰してください」
モーリスに向かって私は言った。
「それはできません」
頬に残る涙を指で拭いながらモーリスは答えた。
「マリアンヌ様はもう俺のものです」
「でもこんなやり方……これは犯罪です」
令嬢、しかも王子の婚約者を誘拐するなど大罪だ。
いくらモーリスが学生であっても許されないだろう。
でも、今なら未だ……。
「あなたが重罪とならないようお願いします。だから、戻りましょう」
「――マリアンヌ様はお優しいですね」
モーリスは目を細めた。
「ですが、戻れば俺は二度と貴女と会えなくなる。それはできません」
「でも……! きっともう、私を捜索しているはずですわ。逃げ切れるとは思えません」
いくらラファラン領が王都から遠く離れていたとしても。
それに私と共にモーリスまでいなくなればきっと彼は疑われるだろう。
「お願いです、モーリス様」
「ああ、初めて俺の名前を呼んでくれましたね」
嬉しそうにモーリスは顔を綻ばせた。
「貴女が俺の傍にいて、俺の名前を呼んでくれる。俺はとても幸せです」
――怖い。
(この人……なにか怖い)
私の言葉は理解しているはずなのに、通じていないような。
背筋が寒くなる。
「確かに、今頃騎士団が必死に探しているでしょう。見つかるのも時間の問題かもしれません。――でも大丈夫です」
モーリスは肩のマントを外すとそれで私を包み込み、抱き上げた。
「そんなに心配なら行きましょう」
「どこへ……」
「誰も追いかけてこられない場所ですよ」
小屋から出ると、モーリスは馬車ではなく小屋の裏へと回っていった。
木々の中を少し歩くとふいに視界が開ける。
目の前に広がるのは、ゲームで見たのと同じ、美しい湖だった。
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