第4章 黒魔術

01

(フレデリク視点)



 彼女だ、と思った。


 祖母が持っていた一枚の絵姿。

 そこに描かれていた「彼女」を見た瞬間の――その衝撃をどう表現したらいいだろう。


 可愛らしい女性の絵だった。

 こちらを見つめる、青空のような明るい青い瞳から目が離せなかった。

 艶やかな黒髪に、弧を描いた赤い唇に触れたい――幼心に宿った初めての衝動に戸惑いながらも、僕は確信した。


 彼女だ。

 僕は、彼女がいい。


「どうしたの? この絵が気に入ったの?」

 絵を見つめたまま動かない僕に祖母が声をかけた。

「……このひとは誰?」

「私の親友のリリアンよ」

「リリアン……」

 そっと口にしたその可愛らしい響きが胸にくすぐったかった。


「お祖母さま。僕はこのひとと結婚したい」

 そう告げると祖母は驚いたように目を見開いた。


「フレデリク……それは無理よ」

「どうして?」

「その絵は十代の姿だけれど、実際のリリアンは私と同じ歳なのよ」

「それだとどうして結婚できないの?」

「――それにね、リリアンはもう結婚していて、あなたと同じ歳の孫もいるのよ」


 彼女が結婚している。

 それは僕にとって衝撃だった。


 祖母曰く、リリアンとその夫は幼馴染で、結婚して何十年経った今でもとても仲が良いのだという。

 彼らが別れることはないし、年齢が離れ過ぎている僕との結婚はありえないと。


 それでも諦められなくて、祖母と会った時はいつもリリアンの話をねだった。

 彼女は見た目も性格も可愛らしく、優しくて、初めて会った時から身分が低い祖母のことを厭うこともなく、王太子であった祖父との仲も積極的に応援してくれたのだという。


 祖母から話を聞くたびにリリアンへの想いは募るばかりだった。

 たとえ年齢差があろうとも関係なかった。

 彼女に会いたいと願ったけれど、社交界から引退し王都から遠く離れた領地で暮らす彼女と会うことは叶わなかった。


 そんな僕の心など知る由もない周囲から、そろそろ婚約者を決めようという声が上がりはじめた十歳のある日、リリアンの孫であるマリアンヌと会った。

 後から思えば、それは年齢も家柄も合う彼女との「お見合い」だったのだろう。

 マリアンヌは髪色こそ栗色だけれど、その顔立ちといい、空色の瞳も唇の形も絵姿のリリアンにとてもよく似ていた。


 だから僕は。

 思わず父に伝えてしまったのだ。

 ――マリアンヌを婚約者にしたいと。


 十歳の子供が決めたとはいえ――その判断は間違いだった。


 血が繋がっていて顔も良く似ていたけれど、マリアンヌの中身はリリアンとは似ても似つかなかった。

 気の強いマリアンヌは何かと僕と張り合おうとする。

 時にキツくなるその顔立ちは、リリアンとは全く違うものだった。


 それでも婚約者となった以上、友好的に接しなければならない。

 そう思い、マリアンヌと仲良くしようとし――それなりに親しくしてきたのだが。


 十四歳の時、リリアンが亡くなったという知らせが届いた。



 心にぽっかりと穴が空いたようだった。

 一目見ることも、その声を聞くこともなく永遠に会えなくなってしまったリリアン。


 どうして彼女は死んでしまったのだろう。

 同じ歳の祖母はまだまだ元気なのに。

 どうして僕は……彼女ではなく、見た目が似ているだけのマリアンヌを選んだのだろう。


 孫であるマリアンヌはリリアン危篤の報を受けて両親と共に領地へ向かい、最期を看取ったのだという。

 マリアンヌの婚約者ではあるけれど、リリアンとは何の接点もなかった僕には叶わないことだった。


 どうして。

 僕はきっと、誰よりも――リリアンのことが好きなのに。


 喪失感と虚しさと苛立ちと。

 ごちゃまぜになった感情を、それでも王子という立場上、表に出さないようにしていたけれど。

 マリアンヌは何か察したらしい。

 彼女との仲はぎこちなくなっていった。


 学園に入るとさらに関係は悪くなっていった。

 婚約を解消した方がいいだろうか。

 そう思ったが、王族の婚姻はそう簡単に変更できるものではない。

 ――本当に、幼かったとはいえどうしてマリアンヌと婚約するなどと言ってしまったのだろう。

 後悔しても取り返しがつかなかった。


「殿下は誰のことを想っているのですか」

 二年生になり、ある時久しぶりにまともに顔を合わせた彼女に尋ねられ――僕は正直に話した。


 僕の好きな人が自分の祖母であることを聞かされ、マリアンヌはきっと引くだろう、そう思っていた。

 彼女は確かに驚いたように目を見開いたが――ふと視線をそらした。

「……確かにお祖母さまはとても素敵な方ですけれど」

 そう呟いたマリアンヌの眼差しは和らいで見えた。



 僕の心を知られてからもマリアンヌとの関係は変わることなく距離を取ったままだったある日。

 マリアンヌが学園の階段から落ちて意識不明になったという知らせが届いた。

 その日は僕は公務で休んでおり、王宮で報告を聞いた。

 ――何でも彼女は誰かによって突き落とされた可能性があると。

 確かにマリアンヌは気が強く、あまり慕われるような性格ではなかったが……恨まれるほどだったろうか。


 三日ほどで意識は回復したがしばらく養生が必要だと学園は休み続けていた。

 父上からは見舞いに行くよう言われたが、僕が行っても喜ばないだろうと花を贈るだけにしておいた。


 そうして、回復してきた彼女のことで大事な話があると父親のバシュラール侯爵と共に王宮へ現れた、その彼女を見て――僕は驚いた。



 そこにいたのは「リリアン」だった。


 見た目はマリアンヌだったけれど、まとっている空気は明らかに別人で――それがずっと思い続けていた「リリアン」のものだとすぐに分かった。


 侯爵曰く、意識のないマリアンヌの身体に、二年前に亡くなった「リリアン」の魂が入ったのだという。

 原因は分からないけれどその言動からリリアン本人で間違いないと。


 これは夢だろうか。

 叶わないと思っていた願いが――彼女が、目の前で生きている。


 リリアンは祖母から聞いていた以上だった。

 本人はもうお婆ちゃんだと言っているけれど、外見だけでなく中身も可愛らしく年齢を意識することは全くない。

 ただ唯一気がかりなのは、彼女の前の夫……前バシュラール侯爵のアルノー殿のことだ。


 リリアンはまだ彼のことを好きなのだろう。

 彼女の心に僕が入る余地はない。


 けれど。

 僕は諦めない。

 一度は叶わないと思った望みを必ず手に入れるんだ。

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