04

「アン! 会いたかった!」


 翌朝。

 登園して馬車を降りるなり待ち構えていた殿下に抱きつかれた。


「会えなくて死にそうなくらい辛かった……」

「――おととい会いましたよね?」

「昨日は会えなかったじゃないか」

 一日くらい……と言いそうになったが、それを言ってしまうと面倒なことになりそうだと気づいて開きかけた口をつぐんだ。


 殿下との付き合いは一ヶ月ほどだが、だいぶ人となりが分かってきた。

 ゲームでは「ワンコ系」と表現されていた殿下だが、私を慕い、常に側にいたがるさまは本当に犬のようだと思う。

 まっすぐにぶつけられる好意はとても純粋で――純粋すぎるそれが少し怖く感じることもある。


 アルノーの愛情表現は穏やかで、好きといった言葉をくれることも少なくて。

 それでも、それが当然と思っていたから……殿下の、全身で好意を示されることはどうにも慣れないというか恥ずかしい。


「でん……くるし……」

 ぎゅうぎゅうと締めつけられるように抱きしめられると、恥ずかしさよりも辛さが勝る。

「殿下。その辺にしてください」

 側にいたカミーユが殿下を引き剥がしてくれた。


「――どうしてお前が一緒の馬車から降りてくるんだ」

ムッとした顔で殿下がカミーユを睨みつけた。

「昨日はバシュラール家に泊まりましたので、そのまま一緒に来ました」


「泊まっ……た……」

 呆然とした表情で殿下は呟いた。

「な……んで」


 昨日早退したカミーユは、祖父である私の兄の手伝いで王立図書館に行っていた。

 その時、ついでにマリアンヌの事を調べてくれたのでその報告に兄と共に夜、屋敷を訪れた。

 そうしてしばらく話し込んでいる内にすっかり夜も更けてしまったので、二人とも泊まっていったのだ。


「親戚の家に泊まるのはそう変なことではないでしょう」

「親戚だろうと他の男がアンの家に泊まるなんて!」

 叫んだ殿下に私は再び抱きしめられた。


「アン。今日から王宮で暮らそう」

「え?」

「僕の隣の部屋が空いているからそこに……」

「それはいけませんわ」

 隣の部屋というのはおそらく王子妃の部屋だろう。

 ――本当に結婚するかも分からないのにそんな所に住むのは……。


「殿下。婚約者とはいえ結婚前ですよ」

「お前はアンの家に泊まったのだろう」

「泊まるのと暮らすのは全く別ですよね」


「おはようございます!」

 殿下とカミーユが言い合いをしていると明るい声が響いた。



 声のした方へ顔を向けるとシャルロットが立っていた。


「――シャルロット嬢。何の用だ」

「今日はフレ……殿下ではありません」

 たたっと駆け寄ると、シャルロットは私に向けて手にしていた紙袋を差し出した。

「マリアンヌ様、持ってきました!」


「まあ、早速?」

「家を出る時にちょうど焼き上がったので」

「焼き立て!?」


 殿下の腕から抜け出ると紙袋を受け取る。

 ずっしりとした重みのある、まだほんのり温かな袋をそっと開けると甘い香りが鼻をくすぐった。

「いい匂い……」

 ああ、なんて美味しそうで幸せな匂いなんだろう。


 昨日シャルロットと会った時、思い出したことを聞いてみた。

 彼女の家はパン屋で、名物に「メロンパン」があるのだ。

 ゲームにも出てきてとても美味しそうで、その話をシャルロットにしたら持ってきてくれると約束してくれたのだ。


 前前世でも好きだったメロンパン。

 シャルロット曰く、味も食感も日本にあったそのものだという。

 あれを六十年振りに食べられるなんて!


(うう、焼き立てなんて、今すぐ食べたい……)

 でもそれはお行儀悪いわよね。

 お昼まで我慢しないとならないなんて辛すぎる。

 一口くらい……やっぱりダメかしら。


「それは何?」

 葛藤していると、殿下が袋の中を覗き込んできた。

「メロンパンです」

「メロン……パン?」

「うちの名物なんです」

 シャルロットが胸を張って答えた。


「……庶民が食べるものをアンに食べさせるのか」

 殿下は眉根を寄せた。

「私がお願いしたんです、どうしても食べたいって」

 美味しいものに庶民も平民も関係ない。

 私的には、庶民が食べるものの方が好きなくらいだ。


「しかし……」

「アルノーとは学生時代、よく庶民のお店で買って食べたりしてましたわ」

 私の言葉に殿下は黙り込んだ。

 王子様には難しいだろうけれど、アルノーだけでなくローズモンドとも放課後や休日に街に繰り出して庶民グルメを楽しんだのは楽しい思い出だ。


「いい匂いですね」

 カミーユが殿下の反対側から紙袋を覗き込んできた。


 見た目に反して、カミーユは甘いもの好きだ。

 ――そういえばゲームでもヒロインと親しくなるきっかけは、お昼に食べていたメロンパンだったのでは。


「カミーユも食べる? とっても美味しいのですって」

 もしかしたらこれがきっかけでカミーユルートが始まるかもしれない。

 そうひらめいて私はカミーユへ紙袋を差し出した。

「シャルロットのお家は甘い系のパンが充実しているそうよ」


「では昼にいただきましょう。――ところで」

 カミーユは紙袋を受け取りながら、私とシャルロットを交互に見た。

「二人はいつ親しくなったのですか?」


「……昨日お話ししたのよ」

 シャルロットと顔を見合わせて私は答えた。

「昨日? すぐに帰ったのではないのですか」

「帰りがけに会ったから少し話をしたの、ね」

「はい」

 私の言葉にシャルロットがこくりと頷く。


「何の話を?」

「記憶を無くす前のことを聞いたの。それで、シャルロットのことを聞いたらお家がパン屋だっていうから、どんなパンが有名なのか聞いたの。庶民のパン屋には私達が知らないパンがあるじゃない」

「そうなんですか」

「前はよく学園の近くのリンゴの看板があったパン屋さんに行っていたわ」

 看板にもなっていた、リンゴを使ったパンが名物で、アップルパイが絶品だったのだ。

 確か十年くらい前に閉店してしまったと聞いている。


「あ、多分その店、父が修行した店です」

シャルロットが言った。

「本当!?」

「そのパン屋にあったパンも何種類か作っていると聞きました」

「アップルパイは?」

「ありますよ」

「素敵! 今度お店に行っていい?」

 またあのアップルパイが食べられるなんて!

 私は思わずシャルロットの手を握りしめた。


「くっ、美少女の上目遣い……これが愛され妹キャラの実力……」

 シャルロットが何かに耐えるような顔でぶつぶつ言っている。

 妹キャラの実力って何? それと上目遣いなのは背が低いからよ?


 リリアンもマリアンヌも……背が低いのだ。

 ゲームでは背の低さがマリアンヌのコンプレックスとなっていた。



「アン」

 シャルロットの手を握りしめていた手を殿下に取られると、今度は私が殿下に手を握りしめられた。


「街へ行くなら僕も行く」

「え……それは」

 殿下が街へ行くとなると、警備をつけるなど大ごとになってしまう。

「お忍びで行けばいい。王子だと分からないよう変装もして」

 それはそれで大変なのでは……。


「殿下、パンが食べたいのなら買ってきますから」

「そういう事ではない」

 握る手に力がこもる。


「でも…殿下」

「アルノー殿とは行くのに僕とは行かれないのか」

 縋るような眼差しが私を見つめていた。

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