ホテル・ビアンカ

「待つんだ君たち」

 ヘンゲリー達が部屋を出たところで先程の白髪の彼女に呼び止められた。

「なぜあなたがここに!?」

 黒髪の青年は呼び止めてきた人物が自身の予想を遥かに上回ったかのような反応を見せた。

 ただ、ヘンゲリーは平八郎がこれ程にも驚いている理由が分からない。彼だけが驚いているのであれば個人の事情があるのだろうが、リーナも顔に驚きと少しばかり焦りの交じった表情を隠しきれていなかった。

「居て悪いか?」

「いえ、そのようなことは別に……」

「そう構えるな。私だって傷付くときがあるんだぞ?」

 彼女は平八郎の肩を軽く叩きながらそう微笑んだ。

「今から外で話すんだろ?なら私も混ぜてくれ」

 彼女はそう言いながらヘンゲリー達の先を歩いた。

 リーナと平八郎は意味が分からないような素振りをみせ、お互い顔を見合せた。

 しばらくしてヘンゲリー達は彼女が先程訪れていた繁華街に来ていた。

「何故繁華街に?」

 平八郎は白髪の彼女に問いかけた。

「何故かって?お前達、腹が減ってるだろ?だから飯を食いに来た」

「俺たちは話し合いがまだ残ってるんですよ!?そんな悠長なことしてられませんよ。なあ、リーナ」

「あたしはお腹すいた」

 平八郎はあっさりとパートナーに裏切られていた。

「おい嘘だろ……?」

「だって今日は朝早くからあんたに振り回されて朝ごはんも食べてないんだがらね!」

 リーナは彼に噛み付くように怒鳴った。

 これが世にゆう痴話喧嘩というものなのだろうか?

 ただ一つ言えることは、今ヘンゲリーはとてつもなくお腹がすいているということだ。

 しかし、彼女にはそのようなお金がない。

「あの……、私は……」

 次の瞬間、ヘンゲリーの腹部から低く鈍い音が響き渡った。

 当然隠し通せるような音量ではなかった為、全員に聞かれてしまっている。

 これを聞き、銀髪の彼女が高らかに笑った。

「これは決まりだな!」

「でも私お金が……!」

「金?何言ってるんだ。今日は私の奢りだ」

「え?しかし、迷惑をかける訳には……!」

「構わないさ、貰えるものは貰っておけ」

 そう言って彼女はヘンゲリーにウインクをした。

「ということで平八君、君は腹の減ったレディを放っておくなんてことはないよな?」

 彼女は得意げな顔をして平八郎に目をやった。

「あー、もう分かりましたよ!行けばいいんでしょ!行けば!」

「よし、なら行こうか」

 ヘンゲリー達は再び歩き出した。

 しばらくすると繁華街では一際目立つ、大きく立派なゴシック様式の建物の前まで来た。これは五階建てで、中央部分だけ八階まであるようだ。建物の周囲を巡るように一階部分の外側は部屋一個分の屋根と柱が備え付けられ、その上にはバルコニーが設けられ、少なくともここが格式高い場所という事が見て取れた。

「マジかよ……」

 平八郎は呆気に取られており、口が半開きだ。

「ここに来るのは初めてか?」

「初めても何も、俺みたいな一般人がこんな所にはとても来れないですよ」

 平八郎はその圧倒的な建物から目を離さず答えた。

「ここはその格式の高さから誤解されがちだが、このホテルは客を選ばない。だから平八君、君でも問題ないわけだ。ただ、強いて一つ言うとするならば、今回店に入る時は一番最後に入ることだね」

「流石にレディファーストくらいは理解してますよ!」

「そうか、ならいい」

 ヘンゲリーたちは''BIANCAビアンカ''の文字が刻まれたエントランスポーチに入った。

「いらっしゃいませ、アリシア様。お席はご用意出来ております。あと、異国の御二方も既にお揃いです」

「ありがとう、ゲオルク」

「いえいえ。そういえば、先程アリシア様とご相席をご希望の方が居られたのですが」

「なるほど、彼は今どこに?」

「カウンターの方でお待ちです」

「分かった、ありがとう。さあ君たち行くぞ」

 彼女は呆気に取られていたヘンゲリー達に声をかけエントランスを抜けていった。ヘンゲリー達は彼女を追うようにエントランスを抜け中に入った。

 中にはテーブルと椅子のセットがあちこちに並べられており、何人かの客が食事をしていた。

 そして、例のカウンターではグレーの開襟ネクタイ式の勤務服を身にまとった男性と、タキシードに身を包んだ男性が立ち話をしていた。

「やっぱりお前だったか」

 白髪の彼女は呆れたように言葉を漏らした。

「お、アリシア姉じゃないか」

「何が''お、アリシア姉じゃないか''だ。どうせずっと待ってたんだろ?」

「ご名答〜」

 勤務服の彼はにこにこと笑いながら答えた。

 会話の内容からするに彼は彼女の弟にあたる人間。つまりは彼もきっと位の高い人間なのだろう。

「いらっしゃいませ、アリシア様お席は既にご用意しております」

「ありがとうエレノア」

「ルードヴィヒ中佐!」

 リーナが彼の姿を確認するなり駆け寄って行った。

「お久しぶりです!」

「お、リーナちゃんじゃないか!それに平八君、やはり君も一緒だったんだね。久しぶり、元気にしてたかい?」

「中佐殿、お久しぶりです。お陰様で元気にやらせてもらっています」

「なるほど、二人とも元気そうでなによりだ。ちなみに、君が今日の主役かな?」

 彼はそういうやヘンゲリーの目の前までやってきた。

「俺はルードヴィヒだ。よろしく、ナスベグラ嬢」

 彼はヘンゲリーが名乗る前に彼女の正体を理解していた。一体どこでその情報を手に入れたのだろうか?

 ヘンゲリーは驚きと共になんとなくの恐怖を感じた。

「何故私の名前を!?」

「事前情報はちゃんと見ておかなければならないからね」

 そう言いながら彼はウインクをして見せた。

「ルードヴィヒ、そこまでにしておけ。彼女が怖がってるぞ」

 全て見透かされてる……。

 まるで、白髪の彼女にとってヘンゲリーの考えは筒抜けになっているようだった。

「さて、細かい話はあとだ。先に席に行こう」

 ヘンゲリー達は二階に続く階段を上り、二階のホールを通り抜けようとした。その時聞き覚えのある声に名を呼ばれた。

「あれ、ヘンゲリー様?」

「イヴァン!?それにニコライまで!」

 彼らは二階のホールで二人して一つのテーブルで優雅に昼食を摂っていた。

 そんな金どこに隠し持っていたのか、ヘンゲリーには検討もつかなかった。

「なんであなた達ここにいるの?」

「連れてこられたんですよ。黒い軍服を着た奴らに」

 イヴァンは手を止めてそう言った。

「黒い軍服?」

「ええ、そうですよ。ちょうどそこの白髪のお嬢さんと同じ服ですかね?」

 ヘンゲリーは後ろを振り返り彼女に疑いの眼差しを向けた。

 彼女は全力で知らん顔していたが、ため息をついてそれを諦めた。

「私が部下に指示したのさ。部下が手荒な真似をしたなら謝罪しよう」

「いやいや、まさかとんでもない!我々はそのようなつもりで言ったわけではありませんよ。我々は寧ろ感謝しているのです。ただでさえ、この様な食事にありつかせて頂いているのですから、どうか頭を下げるようなことはなさらないでください」

 イヴァンは席をたち彼女を押し止めた。

「我々は長い間食事と言えるようなまともな食事にはありつけていなかった。そして今、贅沢にも我々の前に食事と言えるものが用意されている。──」

 ニコライは一切動じずその厳格なテーブルマナーに則りながら食事を続けている。その作法は完璧と言えるほどに完成しており、ヘンゲリーでは到底真似出来たものでは無い。

「──これが如何に有難いか」

 彼はナイフとフォークをそっと置き席を立った。

「改めて感謝を」

 ニコライは深々と頭を下げた。イヴァンもそれに倣い頭を下げた。

 こんな彼は見た事がなかった。いつも余計な事は一切喋らず物事を俯瞰し見守るかのように眺めている彼がここまで自身の考えを露わにするなんて。

「どうやら、誤解は無かったようだね」

 急に見知らぬ声がヘンゲリーの背から聞こえてきた。

 振り返るとそこには金髪でスーツに身を包んだ男性が立っていた。全員がその突然の出現に驚いた。

「フベルト兄さん!?」

 ルードヴィヒ中佐が驚いたような声で叫んだ。

「すまないね脅かして」

「ほんと兄さんは職業病だよな」

「それ以上は言うなよ?ルードヴィヒ。では改めて、お初にお目にかかります。ヘンゲリー嬢」

 ヘンゲリーは続けざまに何故か自分の名前を知っている人物に会った為、この国では相手の名前を先に知っておくのが礼儀作法か何かなのかと皮肉に思った。

「お、お初にお目にかかりますフベルト殿……」

「殿だなんて。そんなに畏まらなくていいよ」

「フベルト兄さん、それ余計に脅かしてるの気づいてる?」

 ルードヴィヒ中佐の言う通りだ。

 ただヘンゲリーは彼に言いたかった。あなたが言えたことでは無いと。

「確かにそれもそうだな。まあいい。イヴァン殿もお初にお目にかかります。そして、ニコライ殿も」

 フベルトは二人に軽く会釈した。

「ちなみに、今私の手元にはニコライ殿、イヴァン殿御二方への指令書がある」

 そう言いながらフベルトは懐から二通の手紙を取りだした。

「兄さんその手紙、また横取りしたんだろ?」

「そう思うだろ?ルードヴィヒ、これは俺の執務室宛に来てたんだよ」

「執務室って、家の?」

「いや違う、勤め先のだ」

「嘘だろ……。それ不味いんじゃないのか?」

 手紙の横取りという物騒なものが聞こえたが気にしない事にした。気にすれば

 この国でも追われる存在になり兼ねない。

 ただ、ヘンゲリーはこの二人が執務室に手紙が届いたことについてやけに驚いてる事がどうも理解できなかった。至って普通のことではないのだろうか?

「相手によるだろうな。とりあえず、司令書を読みあげよう。''ニコライ・ヴォロシン、イヴァン・ロマノフ。現時刻をもってヘンゲリーХенгериボロテノБоротеноナスべグラНасбегра護衛の任を解き、在アルマニーノスベルーシェン・ベリア連邦共和国大使館での任を命ずる。''」

「了解、ニコライ・ヴォロシン、イヴァン・ロマノフ。現時刻をもってヘンゲリー・ボロテノ・ナスべグラ護衛の任を解き、在アルマニーノスベルーシェン・ベリア連邦共和国大使館での任に着きます」

 ニコライが復唱を終えると、彼とイヴァンはフベルトに敬礼をした。これに応える形でフベルトは申し訳程度の敬礼を二人に返した。

「では、大使館での仕事については私の方から説明しよう」

 フベルトは二人に仕事の話を始めた。

 すると、ヘンゲリーはリーナに声をかけられた。

「私達は先にテーブルに行きましょ、どうせこの人たち話が長くなると思うから」

「ええ、そうしましょうか」

 ヘンゲリーはリーナと平八郎と共にバルコニーにある大きなテーブルに向かい、平八郎とリーナはヘンゲリーの左右に別れて座った。

「では、あたしたちは一足先に話を始めましょうか」

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