謎めいた条件

 ヘンゲリー達は商店街から路面列車に乗り、統合参謀本部へと赴いた。

 路面列車に乗っている間、彼女は街の様子をただぼんやりと眺めていた。

 暫くすると、路面列車は分岐点に差し掛かり、十字路を真っ直ぐと突き進んだ十字路右手の道は幅がかなり広くなっており、奥の方には立派な宮殿がそびえ立っていた。

 それから車両に揺られて数分すると、統合参謀本部庁舎が見えてきた。

 車はちょうど建物の前で止まった。ヘンゲリーはそこで降りて、護衛の二人に向き合うと、ヴォロシンが口を開いた。

「我々はここら辺で」

「暫くのお別れね」

「どうかお元気で」

「ありがとう、ヴォロシン」

「ヘンゲリー様、こちらで頑張っていいお相手でも見つけてくださいね」

「あなた、人のこと言える立場なの?あなたも私と大して年は変わらないでしょ?」

 ヘンゲリーはつい、にやけてしまいロマノフを揶揄った。

「わ、私は別に……」

「別に強がらなくったていいのよ、ロマノフ」

「私は別に居なくても一人なので問題ないですが、ヘンゲリー様は……!」

「分かってる。それは分かってる」

 ヘンゲリーは少し拳を強く握った。

「でも、相手を見つけられたとしても。あの運命からは逃げられるとは限らないわ」

「その運命を打ち砕ける人を探すんですよ」

 ヘンゲリーは彼の予想外の言葉に励まされた。

「あなた、偶にはいい事言うのね。ありがとう」

「偶にって……!酷くないですか!?ヴォロシン曹長も何とか言ってくださいよ!」

「うむ、お前らしくない発言だな」

「それ、どっちの意味で言ってます?」

「さあな」

 ヘンゲリーは二人のやり取りに思わず表情が緩んだ。

「二人はこれからどうするの?」

「私は適当にロマノフを連れて適当に髭油でも買って帰りますかね」

「そう。それじゃ二人とも、ありがとう。行ってきます」

 ヘンゲリーは二人に軽く手を振り、庁舎の中へ入った。

 庁舎へはいるや否や、ヘンゲリーは警備兵に呼び止められた。

「そこの君、ここは一般人は立ち入り禁止だ。身分証を見せなさい」

「少し面倒なものなのだけれど、構いませんか?」

「構わない。早く見せろ」

 ヘンゲリーは服の内側にしまっていた国内パスポートと国外パスポートを手渡した。

「君、これでは通せないよ」

「え?それは困ります!私は参謀の方と話さなければならないことがあるんです!」

 どうしよう、これらを見せれば通してもらえるものだとばかり思っていた。

 このことを兄さんにこのこと聞いとけばよかった!

 ああ、もう!

「お願いです!通してください!」

「駄目なものは駄目だ。それ以上抵抗するなら強行手段もやむを得ないぞ」

 彼はそう言いながらなホルスターに手をかけた。

「だから、駄目なものは駄目と言って──」

「何やら騒がしいと思ったんだが、どうした?」

 声のする方に目を向けると二階へと繋がる正面階段を降りてくる一人の女性が居た。

 彼女は周りの兵の軍服とは異なり、黒のスカートとポケットの着いた軍服を身に纏っており、その軍服には金色の肩章が着けられ、袖のカフスに粉飾が施され、左手に腕章をつけていた。また、右肩には飾緒を着用している。服の上には斜革と大きさの異なる二つのスリングの着いた刀帯を身につけ、彼女の左手側にある小さい方のスリングにはサーベルが、右手側にあるベルト正面と背筋付近で固定されている大きめのスリングにはホルスターとポーチが取り付けられていた。

 彼女はそのまま階段を降り、ロングの白く綺麗な髪の毛を靡かせながらこちらに近づいてきた。

「何かあったのか?」

 彼女はそう言いながらヘンゲリーと警備兵の間に割って入った。その冷静さはまさに誠実性の高さを伺えるものだった。

「いえ、この者が身分証明で不備があったのにも関わらず引き下がらないので」

「なるほど。で、お前は要件を聞いたのか?」

「い、いえ……」

 彼女は呆れたように溜息をついて彼の手からヘンゲリーのパスポート二つを取り上げ中に目を通した。

「なるほどね。お嬢さん、軍人身分証明書はお持ちかな?」

「え?あ、はい……」

 ヘンゲリーは懐からそれを取りだし彼女に手渡した。彼女はヘンゲリーが手渡すや否や受け取った手でヘンゲリーの軍人身分証明書を開き目を通した。

「なるほど、やっぱりね。ご協力感謝します、ナスベクラ嬢」

 彼女は笑みを浮かべながら、ヘンゲリーに全ての身分証明書を返しながらそう言った。隣の警備兵は驚きの目付きで彼女を見ながら、内心の焦りを隠しきれていなかった。

「まあ、この様な客人は珍しい。君も新人だしこれを教訓にするんだな」

 彼の焦りを見抜いた彼女は声をかけながら彼の背中を叩いた。

「先程は飛んだご無礼を……」

「いいえ、あなたは規則にしたがっただけです。構いませんよ」

 ヘンゲリーはそう言って彼に許しの言葉を与えた。彼と彼女は大して変わらない。ヘンゲリーも祖国ではただの人間なのだから。

「確か、参謀にご用があるのでしたね?」

「はい」

「ではご案内します。こちらです」

 ヘンゲリーは彼女に言われるまま後に付いて行った。

 彼女は中央の階段の裏手にヘンゲリーを案内した。そこには三基のエレベーターがあった。エレベーターの前には三人の警備兵が待機しており、彼女が姿を現すと全員姿勢を正した。彼らはエレベーターボーイの役割も兼ねているようだった。

 彼女は中央のエレベーターに向かった。

「五階まで頼む」

 彼女がそう言うと中央のエレベーターの前で待機していたボーイは顔色何一つ変えず沈黙を守りながら三枚片開き扉を開け、その次にエレベーターの内扉である伸縮扉を開けた。

 彼女とヘンゲリーはエレベーターに乗り込んだ。それに続きボーイも乗り込み、彼は外扉と内扉を閉めて一番上のボタンを押した。

 エレベーターは毎分三十メートルの速度で上昇し、ヘンゲリー達を目的の階まで運んだ。

 エレベーターが規定の位置で停止すると、ボーイは無駄のない動きで内扉と外扉を開きヘンゲリーたちを通した。

 ヘンゲリーは白髪の彼女の後について廊下を歩いた。

「さっきはすまないね。不快な思いをさせてないといいんだけど」

「いえ、特に気にはしていませんでしたよ。けど、助けてもらえて良かったです。でないと今頃外の階段で座っている羽目になっていたでしょうし」

「そう、なら良かった」

 彼女は威厳のある見た目に反して、フレンドリーな面がある様だった。

「着いたよ」

「ありがとうございます」

「さ、頑張って」

 彼女はそういうとヘンゲリーの背中を押した。

「失礼します」

「入り給え」

 ヘンゲリーは恐る恐る目の前の両扉の片側を開け中に入った。すると、部屋の中には既に先客がいた。軍服姿の茶髪の少女と黒髪の青年がソファーに座っていた。二人ともヘンゲリーと同じくらいか、それより少し下の年齢のように見える。彼はヘンゲリーが入ってきたのに気づくと、蹶然と席を立った。そして、少女の方は紅茶を飲むのを止め、そっと受け皿にカップを置き、机の上に下ろした。二人のその顔はとても深刻で、張り詰めた空気がヘンゲリーの胸を締め付けてくる。

「ようこそ、異国の少女よ」

 扉の反対側の位置には軍服姿で立派な髭を生やした年配の男性が立っていた。

「私はアドラーAdlerフォンvonルーデルRudel、中将だ。よろしく」

「お初にお目にかかります中将。ヘンゲリーХенгериボロテノБоротеноナスべグラНасбеграです。以後お見知りおきを」

 ヘンゲリーは中将と軽く握手を交した。

「では、早速本題に入ろう。適当に腰かけてくれ」

 彼はそう言って書斎机の椅子には座らず、茶髪の少女と黒髪の青年が座るソファーの左斜め前にあるソファーに腰かけた。

 ヘンゲリーはその彼の正面にあるソファに腰掛けようと近寄った時、黒髪の青年と目が合った。

「西村平八郎だ。こっちは俺のパートナーのリーナ、よろしく」

 彼は何かを疑うような目でヘンゲリーを眺めていた。

「お二方ともお初にお目にかかります」

 ヘンゲリーが軽く会釈して腰を下ろすと、彼も我に返ったように腰を下ろした。

「ではまずヴェルラン帝國学院への編入希望についてなんだが、単刀直入に言おう。昨日にから不可能に近いものとなった」

「え、待ってください。どういうことですか?」

 ヘンゲリーは困惑を隠しきれなかった。

 当初、彼女は祖国で既に手続きを済ませていた。「彼女が」というよりは、「彼女の兄が」といった方が適当だろう。しかし、それでもその時不備はなかったはずだ。

「正確に言うと、昨日君の学費に関してなんだが送金が停止されたのだよ。それに我が国で作られていた口座も停止されている。所謂資産凍結がなされたのさ」

「資産凍結!?なんで……私と兄は何も帝國の法に背いた覚えはありませんよ!?」

「まあ、落ち着きたまえ。何も君や君のお兄さんが悪いわけではない。詳細は分かっていないが何者かがそれを指示したのだよ」

「そんな……」

 帝國についてから振り出しからつまづいてしまった。最悪の状況だ。ここまで来て何の成果も得られずに帰るなんて、家族にどう顔向けしていいか分からない。

「ただ、一つ方法が残されている」

「それはどのような?」

 ヘンゲリーは内心すがりつくような思いでこの持ちかけられた条件の内容を聞く覚悟をした。

「それは──」

 すると説明を遮るように平八郎が口を挟んだ。

「私は反対ですよルーデル中将。幾らなんでも関係の無い人間を巻き込みたくはありません。増してや異国の方を巻き込むなんて。彼女はあの戦争には無関係だ。それに我々の私情にはもっとだ」

 彼の顔は真剣だった。そして顔には見知らぬ人間を巻き込みたくないと思いの他になにか別の思いと葛藤している様子だった。

「やめて平八」

 すると、リーナが口を挟み彼を止めた。

「彼女はまだ何も知らないのよ。あたしだって巻き込みたくはない。でも、あたし達が近づこうとすると彼は必ず遠くへ行ってしまう。あんただって分かってるんでしょ?」

「それは……」

「今あたし達に出来ることは誰か他の人に頼るしかない。ごめんなさいねナスべグラさん、見苦しいものを見せたわ」

 ヘンゲリーはこの条件が途方もなく複雑な事情を抱えていることを察した。

「いえ、大丈夫ですよ。ちなみに、私に残された一つの条件の内容はかなり複雑な事情を抱えているようですが、とりあえずどのような内容かお聞かせ願えますか?」

「では──」

「中将、私から説明します。私にはその責任がある」

「彼女いいならそれでも構わんぞ」

「ナスベグラさん、いいかしら?」

 彼女はヘンゲリーの方に振り向き直した。

「ええ、大丈夫ですよ」

 結局、ヘンゲリーにとっては誰が説明してくれようが、変わりないのだから。それよりも早くその内容を聞きたかった。

「では、説明させてもらうね。今回あなたと、あなたお兄様の銀行口座が停止されたのは多分組織的計画だと思うの。そして、今私たちは偶然にもそれに関係するシンジケートを追っているの。ただ……」

 彼女は言葉を詰まらせた。

 先程から彼女は肝心な部分を避けて話そうとしているようだった。

「リーナ、頼むのならもう正直に話せよ」

 平八郎は半ば苛立ったように彼女に言い放った。

「……そうね。あなたに人を探して欲しいの」

「人……探しですか?」

 ヘンゲリーは困惑した。

 これが条件?

 編入条件というのであれば実力試験や、或いは別でもう少し現実味を帯びた条件内容だと思っていた。

 しかし、いざ蓋を開けてみれば人探しときた。

「そう。要約すると私達があなたとあなたのお兄様の講座を停止を止めるように何とかする。その間にあなたにはある人を探して欲しいの。その人は私達が行き着いたシンジケートや、今回の問題の解決の鍵にもなるわ」

「それはその人にしか出来ないのですか?」

「それは……」

 ヘンゲリーは知りたかった。

 彼女らが探して欲しい人物がどのような関係にあるのか、そしてその人物が本当に問題の解決の鍵になりうる人物なのか。

 もう、他愛もない嘘で利用されるのは嫌だから。

「それだけじゃない」

 青年が行き詰まった彼女を目前に口を開いた。

「確かにあいつは実力のある人物だ。だがそれ以前にあいつは俺達にとって、かけがいのない存在なんだ。そして、俺の相棒だ。ただ、俺達が探そうとすると、あいつは俺達を避けるように姿をくらますんだ。だから、この通りだ。半ば利用しているということは重々承知している。でも他でもないヘンゲリーさん、あなたに彼に戻ってくるよう説得することをお願いしたい」

 平八郎は席を立ちヘンゲリーに頭を下げて頼み込んできた。これは彼の本心であることに間違いないのだろう。

 今まで立場上利用されることは幾度となくあった。でも、利用してしまうということを明言した上で頭を下げてきた人は誰もいなかった。ここで人助けをしても良い気がする。それに実力のある人物であるのなら、その人から何か得られるかもしれない。

「いいですよ」

「え?」

 彼はまるで断られる前提で話していたことを覆されたことに驚きを隠せないような顔をしていた。茶髪の少女も驚きのあまり目を見開いていた。

「その条件、引き受けます。だから頭をあげてください」

 二人は顔を見合せてその次には喜びの笑みが浮かんでいた。その時、一人の将校がノックもせず部屋に飛び込んできた。

「ルーデル中将!」

 彼は息を切らし顔には焦りの表情が滲み出ていた。

「どうしたケーニッヒ大佐、らしくないじゃないか。今は取り込み中だ、ノックぐらいせんか」

「御無礼は重々承知です、ただ本件は急を要することでして……!」

 中将は腰を上げ彼の元へ駆け寄った。

「何があったのだね」

「第一帝都東京より緊急無電です。東京駅で御召列車及び御乗用列車が爆破されました。尚、高宮両陛下及び皇帝陛下ご夫妻はご無事のようです」

「またか!これで東京で騒乱が起こるのは二回目だぞ!憲兵隊は何をやっていた!緊急会議だ!直ちに幕僚共を招集しろ!」

「は!」

 将校が慌ただしく部屋を出ていったのを見届けて済まなそうに語った。

「見苦しい所を見せてしまってすまない、君たち。少し急用ができたので後のことはリーナ君、君たちに任せた」

「分かりました中将、では少し外で話しましょうか」

「ええ」

 ヘンゲリーは立ち上がり、リーナについて行った。

 ヘンゲリー達が部屋を出たところで、先程の白髪の彼女に呼び止められた。

「待つんだ君たち」

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