亡きはずの人

 ローブの男はリーナの手を引き、暗い路地を歩き続ける。

 彼女はただなんとも言えない感情が心の中を渦巻き、胸が張り裂けそうな思いだった。

 自分の目の前にいるのは間違いなく彼だ。そう直感が彼女に訴えかけてくる。

 しばらく歩き続けると彼は急に歩みを止め、壁に手を付き咳き込み始めた。見るからにかなり苦しそうなのは明らかだ。

「ね、ねえ、大丈夫?」

「大丈夫だ、問題ない」

 彼は息を切らしながらそう答えた。


 しかし、彼が壁に手を付き影になって所を覗き込むと、そこにはちょっとした血溜まりができていた。

「大丈夫なんかじゃないじゃない!あたしと一緒に来て!軍病院に通してあげるから──」

 すると彼はいきなりリーナの両肩を掴み壁に押し付けた。

「なんで追ってきたんだ!」

 彼はリーナに怒鳴った。


 彼女はこの予想もしなかった言葉を聞き重く押さえつけられたような気持ちになった。

「逢いたかったから……、貴方に逢いたかったからに決まっているじゃない……!」

「そんな理由で追いかけてくるやつが──」

「こんな理由じゃあんたを追いかけたら駄目なの!?」


 リーナは胸に満ち溢れてきた感情をぶちまけた。

「あたしはあの時からずっと待ち続けた。あなたがあの街と共に姿を消しお日からずっと!そして戦争が終わった後も待ち続けた!あなたの認識票が瓦礫の中から見つかった時はとてもショックだった!でもあたしは諦めたくなかった!だから今まで時間があればこうやって色んなところを歩き回ってあなたが生きている痕跡を探した!そして諦めかけていた時にやっとあなたを見つけた!それでも追っちゃ駄目なの?!」

 リーナは全てを吐き出し、彼にぶつけた。

 彼は沈黙したままだった。


「ねえ、あたしと一緒に帰ろう?今からでも遅くないから」

 彼女は静かに訴え掛けた。


「もう遅い」

「遅くなんかないって!」

 リーナは何とか説得しようとした。

「もう遅いんだよ!」


 しかし、彼はそれを拒むように否定した。

「たとえ遅くなくとも、俺が帰ったところで殺されるだけだ!俺が今どういう扱いか分かってるのか?第一級戦犯だ!」

「でもそれは不当なものとしてあたし達が、再調査をして取り消しを要求して……」

「''要求''なんだろ?一度通ってしまっているんだ。承認されるまでに拘束して処刑するなんて容易い事だよ」


「さすがにそんなことは……!」

「やるさ、彼奴らならな。もしそれが出来なかったとしたら、刺客を寄越すだろうな。彼奴らは俺の事をよっぽど消したいんだろう。あの戦争には裏がありすぎる」

「どういうこと?」

 リーナは彼が話している内容がなにか良くないものを暗示していることに気がついた。


 ただ、彼女には話の奥が深すぎて、その意味をはっきりとは理解できなかった。

「お前は知らなくていい。リーナ、おまえは表社会で生きろ。俺と同じところには来なくていい」


 彼はそう言って、詳しくは話してくれなかった。もちろん、リーナは彼が自分の身を案じてそうしたのは分かってる。

 でも、彼女にはただ単に突き放されたようにしか感じとれなかった。

「それに、どの道俺はあまりもう長くない。今の技術じゃどうにもならないからな」

「一体何があったの?」

「自分の目で確かめろ」


 リーナは恐る恐るそっと彼のフードを脱がせた。

 そこにはかつての面影を残しつつも、変わり果てたポンの素顔があった。


 かつて焦げ茶色で綺麗だった髪は白銀色の髪の毛が大半を占め、綺麗な琥珀色だった彼の瞳は右目だけ蒼色になっていた。

「お前が知ってるポンはもう死んだ。俺はもう長くない」

「ううん、あなたはあたしが知っているポンよ。例えどんな姿になろうとも、あたしにとってはかつて愛した人ということに変わりないじゃん。それに──」


 リーナは笑顔で答えた。

「──あなたにとっての問題はあたしにとっての問題。たとえあの時からあたし達が恋人同士でなかったとしても、あなたはあたしにとって大切な人何は変わりないんだから」

「今のお前には西村がいるだろ?まさかくたばってなんかないよな?まだ生きてるか?」

「うん、平八はいつも優しくしてくれる。何?妬いているの?」


 彼女は少しからかうように言った。

「少しな」

 彼は笑みを浮かべながらそう答えた。

「でもあいつに頼んだ甲斐はあったな。みんな元気にしているか?」

「うん、お陰様でね。あたし達、ヴェルラン帝國魔導学院に入学したの。学院では平八は勿論、ドルフとかも居るわ。あと、エリシアちゃんは中等部に入っているよ。それから、神代彩霞かみしろさいかって人が貴方のこと聞いてきていたわ」

「彩霞もいるのか、そうか、あいつも忘れられてなかったんだな。安心したよ」

 ポンは安堵の表情を浮かべた。


 こんな顔をしている彼を見るのは久しぶりだった。

「ねえ、やっぱりあたしと一緒に戻らない?」

 リーナは再び彼を説得しようと試みた。

「いや、答えは変わらないよ、リーナ。そこは軍学校と言っても過言では無い。もし俺が戻ったとして、また戦争が起こるとする。お前たち帝國はまた多くの命を犠牲にするだろう。お前はこの無闇に犠牲となる命にどんな価値があるのか考えたことはあるのか?」

 彼の顔は真剣だった。


 だがリーナはそんなことは思ってもいなかった。

 彼女は全力で否定しようとした。

「あたしがそんな考えを持っていないことはあなたも知っているでしょ!例え戦争が起きても欲しいのは勝機だけ……!」

「でも、もしその''勝機''がお前達の目的の為に命を捨てることを拒んだらどうする?これでは連邦と何一つ変わらない……」

「あたし達は彼奴らとは全く違う!ただ、一つの命が幾千もの命を救う時だってあるの……」

明華ミンホアにも同じことが言えるのか?」

 リーナはその言葉に釘を刺され、何も言えなくなった。

「お前はあいつの目を見て、その死に意味があったと本当に言えるのか?」

「それは……」

 何か言い返そうとはしたが、何も出てこない。

「俺はもうお前達とは関わりたくないんだ。たとえ戦争が起こったとして、その戦争に負けるのは嫌だが、もうそういうのは御免だ」

 ポンはそう言いながら空を見上げた。

 リーナにとって、ポンの言葉は棘のように刺さり胸が痛かった。

「もう日も暮れた。駅まで送ってくよ」

 彼はそういいリーナに手を差し伸べた。彼女は少し躊躇ったけど、彼は待ってくれなかった。彼はリーナの手を取り歩き始めた。

 しばらくしてポンは足を止め、何かを呼ぶように口笛を吹いた。

 すると路地の奥から白い馬が現れこちらに向かってきた。

「覚えているか?シルバーだ」

 リーナは耳を疑った。彼女の知っているシルバーとは色が違う。

「え?で、でもシルバーって鹿毛じゃ……」

「こいつも俺と同じなんだよ」

 彼はそう言いながらフードを被った。

 リーナはその言葉の意味が分かってしまった。この馬も彼と同じくもう先が長くないのだと。

 ポンはリーナが馬に乗るのを手伝った。彼女は馬に乗るのが久々しすぎて上手く乗れなかったから。

 リーナが馬に乗るのを確認するとポンは身軽に動き馬に股がった。

「こうやって乗るのって久しぶりだよね」

「確かにそうだな」

 その時彼は一瞬笑顔を見せた。

 リーナは彼にはまだ昔の彼の心が残っている気がして安心した。

「飛ばすからしっかり掴まっていろよ」

「うん」

 リーナは彼の胴体に手を回し、後ろから抱きついた。

 しばらくして、暗い路地から大通りに出た。そこは駅の目の前だった。

 彼はリーナに切符を二枚渡した。それは、無期限且つ列車種別無制限の特別乗車証だった。

「あの時渡そうと思って忘れていたんだ。片方はお前の分、もう一つは西村の分だ。渡しといてくれ」

 そういうとリーナには何も言わせる間も与えず彼女に改札を通過させた。

 彼は連れの見送りだということを説明して自身の乗車証を提示し、改札を通ってホームまで送ってくれた。

 ホームには標準軸改造を施されたジュペン製のC62が牽引する急行列車が停車していた。

「ダイヤは戦前と同じなんだな」

「本当に来ないんだ」

 ポンはリーナの表情を伺うと、どこからともなく制帽を取りだして彼女に被せた。

「持っていけ、それでその泣きそうな顔を隠すんだな。お前は笑っている方が良く似合う」

「……」

「早く行かないと席が無くなるぞ」

「うん……」

 リーナは急いで空いている個室を取り、窓を開けた。するとそこにはポンが既に立っていた。

 しばらくすると、ベルが鳴り始めた。

 彼の前でリーナは余計に胸が張り詰める思いだった。

「これでお別……」

 聞きたくない。そんな言葉聞きたくない!

 汽車の汽笛がなった時、リーナは彼が油断したのを見てサッと彼のフードを外し彼の口元に口付けをした。

 彼はまさに不意をつかれたような顔をしていた。

「お別れだなんて言わせない!私は必ずまたあなたを見つけ出す!それまで死ぬなんて絶対に許さないんだから!」

 リーナは涙目になりながら彼に訴えかけた。それを聞いた彼はニヤリと笑みを浮かべた。それは彼が逆境に立たされた時に稀に見せる挑戦者に対しての微笑みだった。そう、彼女を助け出すために戦ってくれたあの時にみせた笑顔。圧倒的強者に挑む自身に対する笑みである。

「待ってるぞ。リーナ」

 リーナは彼の予想外の返答に顔が赤くなってしまった。咄嗟に放った言葉が、我に返ってみるととても恥ずかしい。

 すると列車が徐々に動き始めた。

 リーナは彼のことを目に焼き付けようと、窓から身を乗り出し、遠近法で徐々に小さくなっていく彼を眺めた。彼は、手を振ることなく静かに車窓の彼女を見ていた。

 彼が見えなくなるとリーナは身体を引っ込めて椅子に座り、靴を脱いで脚を抱え込んだ。

 リーナはなんとか笑顔でいようとした。けれど、彼女は耐えられなかった。目からはボロボロと大粒の涙が零れ落ちてきて、彼女のスカートを濡らした。

 暫くして最寄りの駅につき、リーナは汽車を降りた。

 ホームでは平八郎がまっていてくれていた。

「リーナ、遅かったから心配したぞ?てか、その帽子どうしたんだ?」

 今何かを話すと心に溜まった悲しみが漏れだしそうでリーナは何も言えなかった。

「どうしたんだ?リーナ」

 リーナは顔を上げずにそっと平八郎に特別乗車証を手渡した。

「これは……。一体誰に貰ったんだ?待て、その帽子は……!」

 リーナは涙ながらに答えた。

「あたし、見つけたよ。今日は収穫があったよ!」

 笑顔で言ったつもりだったけど、一言発する事にリーナの目から涙が零れ落ちる。

「ポンは生きていたよ!」

 平八郎はリーナの言葉に驚異の目をみはっていた。

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