追憶と幻影

 夕暮れ時、しとしとと雨が降る中、彼女はスラム街の道端にある古びた公衆電話を見つけ、中に入った。服は雨水でしっとりの濡れている。

 彼女は手のひらサイズのラッパ型の受話器を上げ、コインの投入口に二シリン(Schillin)コインを入れ込んだ。


 コインがブリキの箱の奥に落ちた音を聞くと、雨で冷えきった指でダイヤルを回した。

 呼出音がなり始めると、彼女はスピーカーを耳元に持ってきて、送話器に口を近づけた。

 街の人々は皆冷たい表情で道を歩いている。

 なかなか繋がらない。

 彼女はただ相手に繋がるのをまち、呼出音を聞き続けた。


 あれから二年が経った。

 あの時から数ヶ月後、帝國は南部の敵を追い返し、その一年後にセイレーン帝国で終戦協定が結ばれた。その時、使節としてセイレーン帝国に向かうエルドリヒ・ビクター・フリードリヒ・フォン・アルマニーノス(Erdrich Victor Friedrich von Almaneenos)皇子をその弟、ルードヴィヒ・ビクター・フリードリヒ・フォン・アルマニーノス(Ludwig Victor Friedrich von Almaneenos)中佐が護衛隊長を務め、彼女と彼女の同期である平八郎はその傘下で護衛任務を任された。彼女達がこの任務に着いたのはエルドリヒ皇子とルードヴィヒ中佐が、彼女と平八郎を護衛役として指名したからだった。


 ただこの時二人は、彼女達は以外にもう一人指名していた。その者の名前はポン・アルマー二(Pon Almani)。彼女達がよく知っているあのポンの事だった。

 でも彼はもう居ない。彼女は平八郎と二人に事情を説明した。この時、彼女はあの時のことを思い出してしまいつい涙を零してしまった。そんな彼女を見た平八郎はそっと優しく肩を摩ってくれた。


 この説明を聞いたエルドリヒ皇子とルードヴィヒ中佐は、動揺を隠しきれない様子で顔を見合せた。ルードヴィヒ中佐は、あいつは本当に死んだのかとエルドリヒ皇子が止めるまで何度も聞いてきたのを今でも覚えている。

 最初、彼女はエルドリヒ皇子とルードヴィヒ中佐は二人とも皇子だから礼儀や皇室内の規範に厳しく堅苦しい人達かと思っていた。

 でも違った。二人とも砕けていてとても親しみやすかった。そして何処かポンと似たような雰囲気があった。


 道中で二人が彼女達にある秘密を教えてくれた。それは、ポンについての事だった。

 ポンは彼女達、そして兵学校ではポン・アルマー二(Pon Almani)と名乗っていた。

 しかしこれは偽名だということを伝えられた。そして、彼も何らかの理由で皇室と関わりのある人物だというが分かった。

 彼が偽名を使っていた主な理由は、衆人の注目を集めてしまう為、それを避けるために偽名を使っていたとのことだった。

 平八郎はともかく、彼女は彼が少なくとも貴族と何らかの関係がある人間ではないかとは疑っていた。

 でも、まさか皇室と関係のある人間だとは思ってもみなかった。今思ってみれば、かつて自分が如何に愚かだったかが分かる。


 彼はよく新書と共に、家族宛の手紙を書いていた。

 しかし、聞くところによると戦地に送られてから書いた手紙は一通も届いていないらしく、手紙が書かれていたことすらもエルドリヒ皇子とルードヴィヒ中佐は知らなかった。

 そして、これは後から分かった事だけど、ポンが前線から送っていた物資の補給要請などの報告書も全て届いていなかった。


 ここまで来れば、裏で何かが動いているのは明らかだった。ポンもこのことには気付いていたようで、あの最後の時に平八郎に新書を託していた。彼女達は二人にこの新書を手渡して彼に任された最後の頼みを成し遂げた。

 その後、彼女達は戦時故に青春の時間を奪われた被害者という位置づけでヴェルラン帝國学院(Värlan Kaiserreichsakademie)に入学することとなった。


 この学院は元々陸海軍及び親衛隊が貴族への優遇措置を設けた学院として設立したものだった。

 しかし、一世代前の皇帝の時代からこのあり方に疑問が持たれ始めており、現皇帝より学び舎たるもの身分の違いによる優遇などあってはならないという名文により一年前に廃止され、現在は陸海軍及び親衛隊、並びに各設計局が共同で新たな革新をもたらすと言われている魔導にも焦点を置いた学院というものを設立した。


 ただ、ここ計画に最も資金援助を行っていたのは皇室そのものだった。

 学び舎たるもの身分の違いによる優遇などあってはならないという言葉は最初、ポンが口にしていた言葉だった。兵学校時代、平民である平八郎や下級貴族の彼女をコケにする奴がいた。

 でも、ポンは彼女達をかばい、彼らに対抗し、手を挙げた者に対しては容赦なく平伏せた。そんな彼がいつも口にしていた言葉だった。彼はあの時から皇帝陛下に親書を送ると言っていたけど、今なら理解出来るかもしれない。何故なら彼にとって皇帝陛下は父知り合いも同然なのだろうから。


 学院に入学してもポンの面影は消えなかった。

 かつて私たちをコケにしていた内の一人は、戦時中にポンが彼の妹を命懸けで助けた事がきっかけで、改心するようになり、今彼にとってポンは戦友、いや、親友とも言える存在となっていた。彼の名はドルフ・フォン・ベルン(Doph von Bern)。彼もこの学院に入学しており、彼女達を見つけるや否や飛び掛るようにポンのことを聞いてきた。

 ただ、彼女達が答えることは同じだった。彼は帰ってこなかった。

 これと似たようなやり取りはもう一度あった。


 彼女達が校内を散策していると、制服の上に白衣を着ている少女に呼び止められた。

 彼女は神代彩霞かみしろさいかと言い、帝國建国以来最年少且つ随一の天才科学者。


 彼女は立場上、重圧の強い環境下にいる為、高飛車でヒステリックに振る舞っていた。

 彼女は帝國に亡命した後に、不当に捕らえられ、

 強制労働鉱山に収容されていたところ、同じく不当に軍での命令違反で収容されていたポンに助けて貰った恩があり、それを返したいと行って彼の所在を聞いてきた。


 彼女達が彼についての事を話すと無理な笑顔を見せて研究室に帰っていった。

 少し気になったので、彼女は平八郎に先に帰るように言い、後を着けた。

 研究室の前に来た時、彼女の予想は的中した。

 彼女は研究室の片隅で泣きじゃくっていた。彼女はプライドも高いが、それ以前に根は寂しがり屋で、小心者で、彼女と何ら変わりない女の子だった。

 一瞬、彼女は部屋に入るのを躊躇った。でも彼女は部屋のなかに入り、隅にいる彼女のそばに座り、彼女を慰めた。


 でも、そうしている彼女も知らぬ間に涙を零していた。

 かつて彼女が愛し、彼女を愛してくれた人。

 でも彼女は彼を裏切った。

 それでも彼はそれを許し、彼女をしがらみの中から助け出してくれた。

 それから彼は今までとの関係は違えどいつも通りに接してくれた。

 そしてあの時も、彼女達を助けてくれた。


 ポンと共に燃えていく街を、彼女は今でもはっきり覚えている。あの光景は彼女の脳裏に焼き付き、決して消えることの無い記憶となっている。


 今でも時折、彼と共に過してきた頃を思い出す度に悲しさと化した涙が込み上げてくる。

 もう一度会いたい。


「はい、西村です」


 過去にふけっていると、やっと電話が相手と繋がった。


「平八、リーナだよ」


「リーナか、どうだった? なにか収穫はあったか? 」


「ううん、なかった」


 過去にふけっていたせいか電話をしていると徐々に寂寥感が増してくる。


「どうしたリーナ? さっきから元気無さそうだけど。もしかして、また思い出していたのか? 」


 平八郎にはいつも図星をつかれる。


「うん……」


 この寂寥感を何かで埋めたい。

 何かで満たされたい。


「ねえ、平八」


「なんだ? 」


「好きって言って、愛しているって」


「急にどうした!? 」


 いつもならこんな平八郎をからかうところだった。

 でも今はただ純粋にその言葉で満たされたい。


「ねえ、言って? 」


「ああ、好きだ、大好きだよ。少なくとも俺はあいつには負けないくらいリーナの事を愛して……いや、ごめん……」


 平八郎はお互いのタブーに触れてしまったと思ったのか、途中でやめてしまった。

 でも、彼女は少し嬉しかった。


「ううん、いいよ、別に。平八の真面目な気持ちが聞けて、少し嬉しかったし」


「そっか…。なあ、リーナ。お前無理してないよな? 」


「それはお互い様でしょ? 」


「そうだな。とりあえず早く寮に帰ってこいよ? 」


「なんで? 」


 彼女は平八郎をからかうためわざとらしく答えた。


「心配だからに決まっているだろ。だってリーナ、お前がいるところはスラム街以前に元々は戦地なのだぞ? 」


 彼女がからかっていることに気づいていない平八郎の真面目な返事を聞いて、彼女は少し微笑んだ。


「分かっているって」


「本当か? ならいいけど。じゃあ、そろそろ切るぞ? 」


 最後に彼女はもう一度からかう事にした。


「平八? 」


「何? 」


 でもこれは本音。


「大好き」


「え? 」


「ばーか」


「おい! ちょっ──」


 彼女はそこで受話器を戻し、電話を切った。今頃の平八郎の表情を想像すると、少しにやけてしまう。

 彼女はそのまま電話ボックスを出てそのまま雨に濡れながら駅に向かい歩き始めた。

 夕暮れに近くなっているためか、人通りが少し多くなっていた。

 するとふと見覚えのある人影とすれ違った。


 いや、見覚えどころでは無い彼はフード付きのローブを身にまとっていたが、一瞬顔が見えた。

 間違いなく彼だった。いや、彼だと信じたい。

 彼女は急いで振り返り、当たりを見回した。

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