接敵

「……は、は。捜す手間が省けましたね」


 沖田の軽口に答える余裕も、俺にはなかった。目の前の人斬りに意識を向け、ようやく刀身を滑らせて、俺は間合いを測る。


 岡田は、三尺に届くほどの刀を目の高さに掲げてみせる。そのまま、俺と沖田、近藤さんの順に切っ先を向けてくる。


「コンドウは背ェのある、野太い男やち聞いた。……奥の、おまんじゃな」


 近藤さんと岡田の間に、沖田は割って入る。


「そんな曖昧な又聞きで、刀を向けるのですか? 私たちは、ただお店に向かうだけの善良な市民で……」


「やれ、ち、言われただけやき」


 岡田は沖田を意に介さない。その目は、近藤さんだけを捉えている。


「今日、この時間に、この通りを歩くコンドウを始末しろ、と。おまんこまくて、ちがう。で……おまんは、見切る以前の問題じゃ」


「あ……?」


「震えちゅうがァ。そんな腰抜けが、浪士の頭にはならん」


 かぁ、と、喉から血が上っていく。目の裏まで熱が来て、一瞬視界が揺れる。


「新八さんっ」


 沖田の短い牽制が、俺を正気に戻す。不用意に一歩、俺は岡田に近づいている。


 ……それが致命的な失策だと気付いたのは、目の前に迫った岡田の刀を目で捉えた時だった。


「っ!」


 反射で、ひと振りを受ける。くっきりとした二重の岡田の目が、ぱちぱちッと瞬きをする。


「こがァな腰抜けでも、腕は立つか。江戸上りの壬生浪士組……」


 布の下でそう呟き、岡田はひょいと飛びのく。


 岡田の肩があった場所に、沖田の刀が振り下ろされた。


「ちっ……」


「総司、いま、殺そうと……」


「捕縛なんて、狙ってできる相手ではありません! 殺すつもりでやらないと……私たちが殺されるだけです!」


 荒い呼吸に混ぜて、沖田は俺に檄を飛ばす。

 姿勢を立て直し、俺は近藤さんの前に立った。


「シンパチは……ナガクラ。で、ソウジはオキタ。うん、当たったの。奥が、コンドウイサミじゃ」


 岡田がひとりでウンウン頷いて……大刀を鞘にしまう。


 同時に、脇差にしては長さのある小刀を引き抜くと、岡田は細かく足を運んで距離を詰めてくる。


 いま、奴が照準を合わせているのは……沖田だ。


「ふッ!」


 夜道に散った火花は、二、三ではきかない。


 突っ込んでくる岡田と、いなしながら近藤さんへの道を阻む沖田。双方は譲らない同速で……すなわち、俺が立ち入る隙がなかった。


「ソウの速度についていけるのか、人斬り以蔵……!」


 背で、近藤さんが驚愕の声を上げていた。


 沖田の剣を形作る要素は、速さと柔軟性にある。


 無駄な肉がない猫のような沖田の体つきは、常人では目で追うこともままならないほどの体運びを実現させる。

 そこに肩や股関節の可動域の広さが相まって、剣の振りをさらに加速させる。


 自由自在な光速の太刀さばきを初見で対応する者がいるなど……俺は、今日まで思ってもみなかった。


「…………」


 岡田は大刀を手に、沖田の突きと同じ速度で下がった。


「手ごたえ、なしです」


 沖田が悔しそうに言葉をこぼす。

 突きを繰り出したことで岡田の着物に穴は増えたが、体には届いていない。


 もどかしさに歯を食いしばる沖田の前に、岡田が現れる。

 奴は小さな隙で、大刀と小刀を持ち替えていた。


「!」


 沖田は刀を当てて防いだが、顔を歪ませて後ずさった。柄を握る手に力を入れなおしている。

 射程が短い分、岡田の力がより伝わってきたようだ。


「土佐勤王党の、殺人機器」


 松平公から聞いた、岡田の異名をつぶやく。


 その名の通り、岡田以蔵の戦い方は緻密だった。


 相手の攻撃を見切り、紙一重でかわしている。当たったはずが、傷ひとつつかない。この事実に、沖田もいらだちを募らせている。


 何より、岡田は大小ふた振りの刀を瞬時に入れ替え、その間合いを相手にまるで読ませない。沖田に匹敵する速さに曲芸まがいの手さばきを加えて、敵を翻弄しているのだ。


 大刀の薙ぎ払いがくると思って身構えると、小刀での突撃に見舞われる。

 反対に、小刀での細かな剣撃と読んで近づくと、大刀が振り下ろされる。


 岡田は二刀を寸分狂いなく使い分けて、最良な一撃をはじき出す。目の前の人を斬るためだけに磨かれた、野蛮な剣舞だ。


 間合いに入ることができないなりに、俺は近藤さんと並んで軽く重心を下げる。沖田を相手取る岡田を警戒しながらも、その実、俺は奴の剣をじっと観察していた。


 道場で竹刀や木刀を振っているだけでは辿りつけない境地に、あの人斬りは立っている。


 いったい、どれだけ人を斬れば……そこに至る?

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