看破
「はっ、はっ……」
沖田は肩で息をして、犬が熱を逃がすように、舌をべろりと突き出した。
これは、朝から晩まで稽古をしてようやく現れる、沖田の疲弊を物語る癖のはずだ。
はしたない、とたしなめていた近藤さんも、言葉を挟めない。
「近藤さん。剣、抜くなよ……」
気配を察して、俺は手で制する。
沖田はいま、劣勢にある。
岡田も苦しそうに目元を崩しているが、体力がすり減っているのは明らかに沖田の方だった。
沖田と岡田、剣の腕に大きな差は見られない。むしろ、基礎が固まっているのは沖田の方だ。
天然理心流と喧嘩剣法の混じった変則的な剣に負けず劣らず、岡田の振る剣はまるきり我流で、定まった型を持たない。
しかし岡田に限り、不規則さはそのまま脅威となる。
半身の姿勢の体重移動や手首の捻りは流動的で、的を絞らせない。打ち合おうとしても剣は揺らぐように曲がって、腕や肩に襲いかかってくるようだ。
「うっ……!」
沖田が声を上げた。岡田の剣を弾ききることができず、左手首を右手で押さえる。
「ソウ!」
とうとう、近藤さんが俺の横から飛び出した。
感情任せで、しかし近藤さんは冷静だ。
近藤さんは岡田の左斜め後ろ、完全な死角から突っこむ。沖田と向かい合う奴が、この一撃をかわせる道理がない。
近藤さんは手の中で刀を回す。横に薙ぐ峰打ちは、敵を捕らえるには十分だった。
……相手が、殺人機器でなければ。
刀同士の衝突音が、響く。
岡田は逆手に握った小刀を背中に回して、近藤さんの剣を止めた。振り返ることもなく、まるで背中に目でもついているかのように。
「一つ……近藤勇、芹沢鴨を始末せよ」
岡田が布の中で呟く。
「二つ、次ぐ実力者を始末せよ……対象は上から土方・新見・沖田。三つ、ほかの浪士を始末せよ」
岡田は俺たちの命に順位をつけて、上から屠る為に剣を振るう。
ぎゅる、と、岡田は左足を地に突き立てて体を回転させる。
右手に携える大刀で沖田を弾き飛ばして、近藤さんの心臓に狙いを定めた。
奴は近藤さんしか視界に入れていない。俺がこのまま岡田に突っ込めば、ひと太刀入れて捕縛することは造作もない。
ただし……それより先に、岡田は近藤さんを斬り伏せてしまう。
俺に、それを覆すことはできない。
「しまい、じゃァ。近藤」
岡田は寸分違わず、近藤さんの急所へ刃を差し込む。
鮮血が、空中に舞う。
倒れこむのは、ふたり。
無傷の近藤さんと、岡田の前に飛び込んだ沖田だった。
「近藤先生。ご無事、ですか?」
沖田は近藤さんの上で、苦しげに尋ねた。着物の下のサラシまで断ち切られており、胸元を押さえる手に……血が伝う。
答えるよりも先に、近藤さんは沖田の肩をぐっと掴んで、自分の胸に抱き寄せる。
「…………」
岡田は、大小の刀を手に立ち尽くしている。近藤さんも沖田も、射程の中にいる。
「っらぁ!」
俺は、岡田と近藤さんの間に突っ込んだ。威嚇にしかならないが、大ぶりに刀を振り下ろす。
ぐち、と、切っ先が肉に入った感触が、俺の手に残る。
不恰好な一撃が、岡田の頰に縦一本の傷を刻み……口元を隠していた布を落とした。
月明かりの下に晒された人斬りの素顔に、俺は息を飲んでしまう。
浅黒く焼けた肌の美男子が剥けて出てきた。
鷲を思わせる鋭さを持った三白眼に薄い唇、頬から血を流しながらも感情を読ませない鉄仮面が、奴の秀麗さを助長させている。
これが、岡田以蔵。都を震撼させる、人斬りの素顔……
「どういて、じゃァ」
岡田が声をよこす。
奴の目が捉えているのは俺でも近藤さんでもなく、沖田だった。
「刀の入った肉の柔さが、男のもんじゃァない」
「は……?」
肘で上体を起こす沖田が、眉を顰める。
「サラシを斬られて、刀を放り、隠すがか? 命のやり取りをしちゅぅに、そがな男、いるか……?」
「な、なにを」
「沖田総司。お
「…………」
沖田の沈黙を受けて、岡田の顔がぐにゃりと歪む。後ずさって、髪を掻き毟る。
初めて、殺人機器が異常をきたす。奴は沖田が女であると見破った瞬間に、人間らしい狼狽を曝け出した。
「それが、なんだ」
沖田は近藤さんを押しのけるように、立ち上がる。無理はさせぬよう、手で制する俺の肩口から、沖田が叫んだ。
「私が女であることと斬り合いに、関わりなどないっ! もう、遅れは取らない。続きだ、構えろ。岡田以蔵……!」
青い顔をしながら沖田は唾を飛ばしている。……この状態で、まともにやりあえるはずもない。
近藤さんが俺の隣に進み出る。俺も近藤さんに寄り、沖田が前に出ないための壁となる。
「退いてください! 近藤先生、新八さん! こいつは、私の相手です!」
「いいや」
その否定は、岡田の口から発された。
「女は、斬らん。儂は、お
……角から、提灯の明かりがふたつ現れる。
「そこで何をしている!」
「まさか、人斬りかっ?」
二人の見廻りが声を荒げる。俺がそちらに意識を向けた瞬間に、岡田は大小の二刀を音もなく収めて、闇に溶ける。
「近藤。永倉。……壬生浪士組。令がくだりゃ、斬りにくるぜよ」
頰を拭う岡田が言い置く標的の中に、沖田は入っていなかった。
「ソウ! 大事ないか……?」
近藤さんが声をかけた時、沖田は俺たちの背中で尻餅をついていた。
「近藤さんは、事情を話してくれ。こいつは、俺が連れ帰る」
「あ、あぁ」
破れた着物とその奥を一瞥した俺は、羽織を脱いでから沖田の体を抱き上げる。
自分の羽織を布団のように沖田にかけて、前を隠す。見廻りの目に触れないよう、俺は足を壬生の八木邸へ向ける。
「見た目ほど傷は深くない。屯所で血を拭き取って、土方から薬を……」
ぐい、と、肩を掴まれて、俺は言葉を止めた。
沖田が歯を食いしばって、俺を見上げる。その目は、じゅわりと潤んでいる。
「新八さん。新八さん……私」
「言うな。総司」
沖田は口を噤んだが、程なくして俺の胸に顔を埋める。
沖田は吠えるように泣いた。声はくぐもり、俺を震わせる。
屈辱に、遣る瀬無さに……沖田ソウは腕の中で涙を流す。
この日、沖田総司は、人斬り以蔵に敗けた。
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