京都守護職・会津藩

 照さまを先頭に俺たちが辿り着いたのは……会津藩邸だった。


「戻りました。はい、いつもありがとう」


 門番二人に饅頭を一つずつ差し出して、照さまは潜門をひょいと跨ぐ。


「さ、入って。お駄賃を渡さなきゃ。……離れて見守ってくれた色男さんも、ね」


 照さまの手招きに、沖田はちょこちょことついていき、俺は土方に目を流す。


「あの姉さん、会津の……何者だ?」


 恐る恐る、土方と並んで足を踏み入れる。玄関にも護衛役がそびえるように立っており、庭先では藩士が野太い声を上げて稽古に励んでいる。


 饅頭の袋を抱える照さまを見るや否や、会津藩士たちの間にピリッと緊張が走る。


「ひ、姫様っ!」


 ……ひめ?


「ご苦労さま、みんな」


「どこへ行かれておいででしたか、姫様!」

「殿が気に病んでおりましたぞ!」


「お稽古やご公議終わりに、京のお饅頭でもと思って……はい、これ。一人一つよ」


 武骨な大男たちの中心で、相も変わらずほわほわした雰囲気で、照さまは饅頭を配っている。


「……ひょっとして、照姫様? 松平容保公の、姉君……」


 俺がこぼした言葉に、照さま……もとい、照姫様が振り返る。


「いらっしゃいな。こっちよ」


 草履を揃えて、屋敷の中をすり足で進む。堂々たる足取りの照姫様に対して、俺たちは鶯張りにすら怯える始末だった。……わざと音を鳴らす沖田を除いて。


 奥の部屋の襖を、照姫様は何の躊躇いもなく開け放つ。


「帰りました。お土産、あるわよ」


 ギョッとした顔でこちらを見るのは……


「……近藤さん?」


「総司に、新八! トシも、なぜ……?」


 座を正す近藤さんが向かい合う男は、忘れるはずもない。


 会津藩主、松平容保公。昨夏、この方の御前で仕合を行い、賊を組み伏して……誠の武士という評を頂戴したのだ。


 以前より頰が削げたようにも見える松平公は、肩を大げさにすくめる。


「姉さん。襖を開ける前に声をかけてくれと、何度言えば……」


「お饅頭、固くなるといけないから」


「……ありがとう。でも、後にしよう。いま、大事な話が」


「壬生に残った浪士組を、会津で取り立てるかどうか、かしら?」


 すぱん、と、照姫様が言う。


 俺たちを、会津藩が取り立てる? その為に、近藤さんが松平公に謁見している?


 俺や土方の表情は雄弁だったようで、松平公は一つ肩で息を吐くと、中に座るように促す。


「姉からになってしまったが、そういうことだ。本日、内密で近藤を呼び出し、浪士組を預かる為に必要な事柄を整理していた」


「…………!」


 胸が高鳴り、頰の紅潮が手に取るようにわかった。


 京都守護職として、幕府より都の治安を任された名門・会津が……俺たちを登用してくれる。浪士となった俺たちが、武士の身分を賜るだけで止まらず、御預かりとして末席に加わる。


 これほどの光栄が、あるだろうか……!


「江戸から上洛した浪士組の残党で、名が近藤。聞いて、すぐに確認をしたのだ。調べると、あのときの御前仕合で腕を見せてくれた猛者が集っているときた」


 加えて、と、松平公は口角を上げる。


「天狗党の芹沢や新見も残っているらしいな。水戸で暴れていた頃は頭痛の種だったが、味方に回ってあれほど頼もしい者もいない」


 水戸に近い分、芹沢一派の悪評高い武勇は会津でも轟いていたようだ。


「ところで……登用に必要な事柄? なぁに、それ?」


 照姫様が、顎に指を当てる。


「私は、近藤たちの力量をこの目で見ている。しかし、他の者はそうではない。官兵衛はいま会津に戻っており、六所宮での仕合を見た重臣はいない。私の独断で、浪士組を抱えるだけの資金繰りをいじくる訳にもいかない」


「つまり、壬生浪士組は会津が預かるだけの力を持っている、って示せばいいのかしら?」


 照姫様の質問に、松平公は深く頷く。


「ならば、充分よ。今日、私を暴漢から守ってくれたのはここにいる三人なの」


「……姉さん。あとで詳しく、聞かせてくれ」


 松平公は、やれやれと頭を抱える。


 照姫様は今日のことを実績であると言ってくれたが……要人警護だけであれば、鍛えられた藩士がいる。何も、俺たちをわざわざ頼る必然性は、ない。


 で、あれば……


「誰もが認める戦果をあげる。それが、登用いただく条件……ですか?」


 俺の隣で、恐れ知らずの沖田が進言した。


 松平公は、沖田をじぃっと見すえる。


「君は……さいとうはじめ、か?」


「は……! えと、そのぅ……」


 言葉を探す沖田と、近藤さん、土方、そして俺。揃いも揃って、目を泳がせる。


 御前仕合で、沖田は斎藤一と名を入れ替えることで身分を偽り、参戦していた。ここであのときの不義理が露呈するのは、避けたい……!


 打開策をひねり出そうとする俺たちと、きょとんと首をかしげる照姫様。そして、部屋の中を見渡し……松平公は微笑んだ。


「改めて、名を教えてもらえるか?」


「お、沖田総司、です」


「……うん。まぁ、あのときは混戦の中だったから。印象が違っていても、不思議ではないな」


 と、松平公は頷いてくれる。これ以上の言及はないようだ……。


「して、沖田。誰もが認める戦果、とは?」


「……『人斬り以蔵』です」


 その名を聞いた途端、松平公の顔が険しくなる。


「人斬り以蔵。『土佐勤王党の殺人機器』か……」


 岡田以蔵おかだいぞう

 尊皇攘夷の先鋒・土佐勤王党が抱える天誅の執行者。佐幕派の要人やその護衛役を悉く葬る岡田の凶刃は、京都守護職を拝命して以降、会津藩にも届いていると聞く。


「恐れながら、松平公」


 と、言葉を差し込むのは、土方だった。


「岡田以蔵の評判は、江戸にも流れ着いておりました。我々は岡田以蔵について承知しており、反対に、奴は我らのことなどまるで知らない。そこに、勝機があるかと」


「なに?」


「会津藩が総力を挙げ警備網を広げれば、奴も隠れるより他にありませんが……我らのような、都に上がったばかりの十人足らずの新参者であれば、標的になることもなく警邏が可能になるかと」


「潜伏しているところを叩く、ではなく、接敵を前提に仕掛けるのか? 人斬りを相手に……?」


「当然。命くらい賭けられねぇで、預かってもらおうなんて……虫が良すぎる」


 決意を込めたからか、土方は多摩の喧嘩師として言葉を崩す。その無礼に松平公は面食らって……やがて、ニヤリと笑う。


「近藤。では、預かりの条件として……『人斬り以蔵』を、差し出してみせよ」


「はッ! この身を賭して、必ずや!」


 畳に響く近藤さんの答えに、俺も揃えて頭を下げる。




「永倉」


 潜門にぶつからないよう頭を下げたとき、背後から穏やかな声が投げかけられる。


「照姫様」


「……大変なこと、引き受けたのね。あの『人斬り以蔵』を差し出す、だなんて」


「松平公は『殺人機器』と仰っていましたが」


「えぇ。人斬り以上に、物騒な通り名……」


 照姫様は声を潜める。


「なんでも、岡田以蔵には感情がない、と聞くわ。茶屋で、耳に挟んだ噂だけれど」


「感情が、ない……」


「天誅への盲目的な使命感も、殺生への良心の呵責もなければ、人を斬ることに対する歪んだ興奮すらない。土佐勤王党にとって邪魔だと判断された者を、正確に……精密に斬り殺す」


「ゆえに、殺人機器ですか」


 照姫様は俺たちを脅す為に言っている訳ではない。不安げな表情は、純粋に俺たちの身を案じていることがよくわかる。


 俺は努めて明るく答える。


「名門に抱えていただけるかどうかの瀬戸際ですから。明日の飯にありつく為ならば、人斬りにも縋ります」


「まあ。そんな……」


 目を伏せる照姫様が、ひどく小さく見える。今日出会ったばかりの護衛役に対して、律儀な人だ。


「……お待ちください」


 声を置いて、駆け出す。通りの脇に構えていた水飴屋で、俺は風車を購入する。羽の色は白ではなく、青でもなく……あった。


 戻った俺を見上げる照姫様に、風車を献上する。


「金のない用心棒で、簪には手が出ませんでしたが」


「…………」


「やはり、薄紅色が似合うのですね」


 照れ隠しに言ってみると、照姫様の頰も風車と同じだけ赤くなった。


「永倉。雇い主として、最後に命じます」


 照姫様は熱っぽい顔をそのままに、俺に命令を下す。


「どうか、死なないで。生きて、わ……いいえ、会津に尽くしなさい」


「……御意に」




「新八さん。ああいうのって、素ですか?」

「ああいうの? 何がだ?」

「おまえが姉さん方に可愛がられる理由が、よくわかった。あれを打算なくやられたら、なぁ……」

「打算?」

「逆玉の輿、というやつか? めでたいなァ、新八!」

「近藤さんまで、わけわかんねぇよ……」

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