1863 沖田総司 対 人斬り以蔵

その日暮らしの浪士共

「……ふ、ぅ」


 清水の舞台で、ため息をひとつ。


 春の眺めが値千金とは、小せえ小せえ。この石川五右衛門には、値万両。


 いま、峰打ちに倒れた男を締め上げて、賃金は六朱。一両は十六朱。値万両とは、あまりに途方もない……。


「終わりましたか? 新八さん」


 沖田が、柵にもたれて団子を頬張っている。


「この待遇の差は、なんだ?」


「人徳ですかね」


 最後のひと玉で片頬を膨らませ、沖田は串をいじりながらぶらりと近寄ってくる。


「あなた、何者です? なぜ、こんな場所で刀を抜いたのですか?」


「…………」


 だんまりを決め込む輩をうつ伏せに転がして、俺は背骨に膝をあてる。……体重をかけて、骨をきしませた。


「が、ぎぃ……!」


「他に賊がいるのなら、吐け。まとめてしょっぴいてやるからよ」


「こんな人混みに紛れる小心者でしょう? どうせ土佐か長州の看板を借りた、志士もどきですよ」


 沖田は男の鼻先にしゃがむ。男は沖田を睨むのだが、奴は串に残った団子の餡に夢中だった。


「何か、反論でも?」


「……天誅、天誅……!」


「粋がる言葉も、借り物ですか」


 鼻で笑って、沖田は右手の中で串をくるりと回す。そのまま逆手に持ち替え、男の目に突きを下ろす……


「あら。そちらは?」


 ほわん、と、柔らかい棉のような声が降ってきた。沖田は男の目を潰す寸前で、ピタリと止まる。


 薄い桃色の着物、その上に温厚な雰囲気を纏った女性が、追加の団子を片手にひょこっと現れた。


てるさま……」


「まさか、本当に刺客がいらっしゃるなんて。驚きです」


 他人事のように言っているのだが、男の狙いは、この照と名乗った女性だった。背後を取り脇差を抜いたところで俺が沈め、ことなきを得た。


「弟の助言通りに用心棒をお願いして、正解でした。あぁ、よかった」


「……雇われた身としては、当然のことです」


 俺は奉行所の役人に男を引き渡し、膝を払って向き直った。俺を見上げる照さまは、不服そうに下唇を突き出している。


「つれないことを言うのね、永倉。せっかく都を散策しているのですから、手を引くくらいの甲斐性は見せてくれてもいいのに」


「恐れながら、あなたをお守りする任務をいただいておりますので……」


「じゃあ、いまからは照さまをご案内する任務、でいいんじゃないですか?」


 と、沖田は俺の影から顔を出す。


「沖田。あなた……頭が回りますのね」


「お褒めに預かり、光栄至極にございます」


 差し出された団子に飛びつく沖田を前にして、照さまは満足げに頷く。


「さ、永倉。わたくし案内あないしてくれますか?」


 などと、照さまは俺の内肘を刈るように捕らえて、体重を預けてくる。甘い果物の匂いが、目と鼻の前に漂う……。


「申し訳ありません。……厠、に」


 まるで催していないのだが、俺は半ば強引に彼女を離す。ごちゃつく清水の舞台から、足早に逃れた。


「お手柄だったな、新八」


 柱の影から、声。


 土方が刀のカシラを指で撫でていた。


「……どうにも、調子が狂う」


「おまえは本当に、歳上の受けがいいよな。あやかりてぇ」


「茶化すなよ。俺たちは、都を散策するために上洛したんじゃねぇだろうが」


 頭を引っ掻く俺を見て、土方は一瞬だけ唇を緩めて、再びきつく引き結ぶ。


「機嫌は損ねるな。羽振りのいい姉さんだから、って理由だけじゃねぇぞ」


「わかっている。命を狙う輩が現れた以上、より気を張って護衛する。……離れた場所からの追跡だけ続けてくれ」


 土方は俺と目を合わせる。言うまでもない、と、目が口以上に語っていた。


「総司が側に控えていたら、まぁ、間違いはないだろうがな」


「…………」


「あいつは集中力に難がある。新八、注意を怠るな。……おまえが、頼りだからな」


 付け加えられた土方の言葉に晴れる心が……鬱陶しい。

 悲しいかな、沖田と自分とを比較して、初めに奴の名が出るだけのことで、俺は劣等感に苛まれていた。


 土方と離れて、俺は身を翻す。向かう先では、照さまと沖田が舞台の下を覗き込んで高い声を上げている。まるで、かしましくも愛らしい姉妹のよう。


 ……護衛に集中しろ、永倉新八。万が一にも失敗でもしようものなら、飯にありつけなくなる。


 幕府直参の浪士組、という大看板を失った俺たちは、明日を自分たちで繋ぐより他にないのだ。




 二月も末となった頃、俺たち浪士組は京に到着した。脱落者も出て、二百ほどの浪士が将軍警護の任に向け、修練を行う……はずだった。


 発端は、四番組の組頭をしていた清河八郎きよかわはちろうが、周囲の者たちを引き連れて江戸へとんぼ返りをする、と騒ぎ始めたことだ。


 清河はその腹の中に尊皇攘夷論を抱えており、京までの道中で周囲に己が思想を流布させた。


 熱に当てられた四番組の者たちから伝播し、清河に賛同する浪士たちは発起時点で半数以上を占めていた。もはや役人たちが押さえ込むことができる規模ではなかった。


 清河を首領とした異色の尊攘派たちは「江戸で本格的に倒幕へと動き出す!」と、くだを巻いていた。しかし、その招集を蹴った者たちもいる。


 主力幹部として迎える、などと勧誘もされたのだが、俺たち試衛館一門と芹沢一派は、京に残る決断をした。


 将軍警護の任を放棄することも、尊王攘夷論に鞍替えすることも、まるで義のない不敬であり、言語道断。近藤さんの主張が至極まっとうだ。


 ただ、芹沢さんの主張はまるで異なる。京に残った理由を尋ねると、彼女は寝間着のまま軒先で寝転がり、気だるそうに答えた。


「戻るわけねぇだろう? まだ、京の酒を浴びてねぇじゃねぇかよ」


 ……どうあれ、招集された浪士組二百のうち約百三十が江戸へ舞い戻り、五十は故郷に戻り、残りの二十ほどが京に残っている。


 しかし、九割の人員が離散した零細組織を、幕府側が抱える義理もない。


 俺たちは右も左もわからない都に放り出されて、禄の貰い口も失ってしまった。壬生の八木邸の家主が好意で寝床を用意してくれているだけ、救いがある。


 手元に残されたのは、到着時にもらっていた金子のみ。吹けば飛ぶような資金が底を尽きる前に、俺たちは雇い主を探さねばならない。


 現在、近藤さんと新見が佐幕派の藩邸を駆けずり回っている。

 光明を見出すまで二人を待つ俺たちはあくせく働き、日銭を稼がなければならない。


 例えば、左之助と平助は鳶職の雑用として身を粉にしている。山南さんは知識を活かし、寺子屋での指南役を任されている。


 源さんを筆頭に、俺や土方、そして沖田は、人手の足りない畑に飛び込んでは泥まみれになっていた。銭こそ出ないが、余った野菜を邸宅に持ち帰り、糠漬けの材料としている。


 そんな生活が五日も続くと、沖田はぶーぶーと騒ぎ出した。


 得意な分野で稼ぎを得るならば、我々には剣がある! と、奴は八木邸の前に用心棒稼業ののぼりを出し始めたのだ。


 沖田が達筆の山南さんに書かせた文字は……壬生浪士組。

 八木邸の所在と俺たちの身分をつなげただけの、単純な仮称だ。


 近隣の住民が幟を見てそそくさと通り過ぎるあたり、少なくとも歓迎はされちゃいない。わざわざ俺たちを頼るような道楽者などいやしないだろうと、俺はたかをくくっていた。


 だが、沖田が八木邸の門の前に幟を立てた当日、照さまは護衛の任を依頼してきた。


 俺と沖田が照さまを囲い、土方が遠巻きに監視する。それだけで報酬が六朱というのだから、破格も破格だ。

 左之助と平助が日の暮れるまで働き、二人でようやく二朱というのだから、文句などあろうはずもなかった。


「あ……。これ、似た柄は持っているけれど、薄紅色が綺麗ね」


 照さまは坂の上から順番に、土産屋に足を踏み入れる。くたっと首を傾げる彼女は、自分の髪に簪をあてがった。


「どうかしら? 永倉」


「たいへん、お似合いかと。見惚れてしまいます」


「書をなぞるような言い方ね。これは好みじゃあないのかしら」


 照さまは、隣に来ていた沖田を手招く。


 後頭部の高い位置で一本に結んだ沖田の黒髪の根元に、照さまは簪を重ねてみせる。


「うん、沖田。あなたの方が似合うわ」


「……あはは。ご冗談を」


 笑い飛ばす沖田を見て、照さまは満足そうに口元を抑えた。


 西日に目を細め、俺は身を屈める。


「照さま。そろそろ、お時間です」


「あ。そうね。もう、早いわ……」


 眉を垂らして、照さまは簪を戻す。


「永倉。沖田。十全な護衛、感謝します。おかげで、満足のいく周遊にできました」


「こちらも、楽しかったです! ねぇ、新八さん」


 曖昧に頷く俺を見て、照さまは真面目な顔で言った。


「では、最後です。私を藩邸まで、送り届けてくださいな」


「藩邸? いったい、何処の……?」


 尋ねても、照さまはいたずらっぽく唇を緩ませるばかり。

 俺と沖田は、彼女の甘い香りを追っていく。

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