見えない凶撃

 近藤さんらによって手配されたのは、宿場町のはずれにある、年季の入った宿だった。あてがわれたのも、二十余名に大部屋一つ。……贅沢は言えまい。


 座布団を枕に、少しでも明日からの行脚に向けて回復をしようと転がった……。


「こんな所で雑魚寝ってか? 道中を乗り越えたおれたちを、労うつもりもねぇのかよ!」


 芹沢夫人が、酒を煽りながら叫んでいる。駄々をこねるように足をばたつかせるから、裾から桃色がかった膝がむき出しになっている。


 彼女を囲む水戸天狗党の面々は、揃いも揃って同調するようにほくそ笑んでいる。唯一、芹沢だけは困ったように眉を下げているが、夫人のわがままを諌めようとはしない。


「何が労いですか。あの人、周りの男におぶられていただけじゃないですか」


 毒づく沖田の鼻を、俺は弾いてやった。


 ああいう手合いとの厄介ごとは御免被る。それが俺たちの共通認識で、普段は喧嘩っ早い土方や左之助も眉をひそめて押し黙っている。


 しかし、ばらつく集団の中から一言、吐き捨てられる。


「……休息が欲しいのは、我らも同じだ。騒ぐだけ無駄だと、わからんか……」

「あァ?」


 彼女の二重瞼がひくつく。


「おい、誰だぁいまの。おれに文句でもあんのか?」


 芹沢夫人が部屋中に声を響かせる。が、名乗り出る者はいない。


「影でうだうだと、みみっちいんだよ。面と向かって言えねぇのか!」


 嘲笑混じりの怒号に、向かいの角で集まっていた武家出身の集団から、一人が立ち上がる。


「……私が、皆の総意を言ったまでのことですが」


 紋付きの羽織姿の男が、芹沢一派に向き直る。


「これは旅行ではないのです。だというのに、酒盛りをして騒ぐなど……芹沢殿。組頭であるあなた方が隊の規律を乱すのは、どういう了見ですか?」


「……随分な言い草だなぁ。え?」


 立ち上がったのは、芹沢夫人だけだった。


 夜の冷えに備えてか、両手を手套で包んでいるのだが、相変わらずの薄着は変わらない。


 彼女は腰の鉄扇を指でいじりながら、男に鋭い視線を飛ばす。


「テメェはこの待遇に甘んじるってのか? その程度の志で、よくもまぁ参加したもんだな」


「なにを……」


「おれたちは、将軍様の警護部隊だろう? 御命を預かる守護役がこんなところに叩っ込まれるなんざぁ、お上もたかが知れてるってかぁ?」


 赤ら顔で発した言葉は、冗談としても笑えない。

 あろうことか、彼女は幕府将軍への暴言をぶちまけたのだ。


 部屋全体の空気が、ズンと重くなる。


「訂正しろ、女」


「嫌なこった。本当に将軍様がお大事だってんなら、相応の待遇を期待する。おれが言っているのは、たったそれだけのことだぜ?」


 視線を外すと同時に、彼女は腰の瓢箪を持ち上げる。


「黙れ! 何様だ、我らを侮辱して……!」


 とうとう、歯向かう男は腰の刀に手をかけた。頭に血が上っている。


 同行していた者たちが背後から静止を促す中……向き合う彼女は、にたりと笑った。


「切ったな。鯉口」

「は……」


 言うが早いか、彼女は腰の鉄扇を引き抜くと、右腕をぶんと振った。


 ひゅうん。風切り音が鳴る。


「……がぁ!」


 ミシ、と、骨の砕ける音がした。


 刀に手を置いていた男は、横っ面を腫れ上がらせて、昏倒した。


「おい! どうした!」

「なぜ、倒れている?」


 困惑からうろたえる男たちを見て、芹沢夫人は袖で擦るように鉄扇を拭う。


「ンだよ、一発で目ぇ回しやがった。あんなの、どのみち役にはたたねぇな……」


 その言葉から、彼女が男に手を下したことだけは明らかだった。


 しかし、どのように攻撃を仕掛けたのか、俺にはまるでわからなかった。


 彼女は一歩も近づいておらず、互いの間には縦に二畳の距離があった。腕を振ったところで鉄扇が届くわけもない。


 放り投げたのであれば、虚をついたことにも納得がいく。しかし男が倒れた後、鉄扇は彼女の手の中に収まっていた。放った鉄扇が、勝手に戻ってくるわけがない。


「なにが起きた……?」


 そう呟くしかない俺の背後で、襖が勢いよく開けられる。


「何事だッ!」


 小頭として同じ宿の個室にいた近藤さんが、眉間にシワを刻んで立っている。


「いったい、なにをしている? これは……」


 部屋を、近藤さんはじっくりと見渡す。白目を剥く男に、取り囲む俺たち。そして、騒ぎの中心にいる芹沢一派。


「……興ざめだ」


 舌打ちまじりに芹沢夫人が言うと、ずんずんと近藤さんの前まで歩く。分厚く、上背のある近藤さんの前に立つと、彼女はあまりに華奢に見えた。


「近藤、だな? おまえの部屋、おれに使わせろよ」


「…………」


「おれもこう見えて、繊細だからよォ。こんなギャンギャンと喧しい、男臭ぇところでおちおち寝てられねぇんだよ」


 上目で近藤さんを睨め回す、芹沢。彼女はそのまま、近藤さんの右手をはしっと捕まえる。


「タダで、とは言わねぇよ。なんなら、枕ぁ並べていいんだぜ? 道中、こともあるだろ? ほら……」


 と、例のごとく芹沢夫人は自分の襦袢の中に近藤さんを誘う。


「……芹沢さん、でしたな」


 近藤さんは、彼女の手を左手で払った。


「配慮が足りなかったこと、お詫びいたします。部屋を、交換いたしましょう」


 芹沢夫人がパチクリと瞬きをしている間に、近藤さんは芹沢一派の前に進み出て、座を正したままの芹沢鴨に声をかける。


「奥方様を部屋でお相手してもらえればと。私は、こちらの部屋で皆と寝ようと思いますので」


「……近藤殿。身内が、申し訳ありません」


 一つ頭を下げて、芹沢はスックと立ち上がる。


 夫人を支えるように腰に腕を回す芹沢と、一派の男たち、そして芹沢夫人は階下に降りていった。


 嵐が過ぎ去ったように、部屋は静まり返った。


「……トシ。血止めの処置、頼めるか?」


「あぁ。山南、源さん。清潔な布だけ用意してくれ」


 呆然としている男たちをよそに、近藤さんと土方が倒れた男のそばに膝をついて、山南さんと源さんは土方の言う通りに動き始める。


「新八さん」


 俺は処置の邪魔はしないように部屋の角へ引っ込んだのだが、隣に膝を擦ってきた沖田が、小声で呼んだ。


「なんだよ、総司」


「やっぱり、私、あの人が嫌いです。……ちょっと情けない理由、ですけど」


 沖田は、下から漏れ聞こえる芹沢たちのどんちゃん騒ぎに顔をしかめながら、はっきりと言った。


「あの人、強いです。土方さんや私と同種で……おそらく私たちよりも、強い」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る