中山道を行く
「おい。おまえ、名前はなんだ?」
浪士組の京行きも、三日目。三番組の最後尾を行く俺たち試衛館一行に、珍客が加わった。
左之助の背に乗って、上から俺を見下ろしてくるのは、芹沢夫人。相も変わらず、揺れるたびに酒の匂いが鼻に届く。
「
「籠の名前はもういいんだよ、左之助ぇ」
彼女は左之助の耳を摘まんでから、ぐるっと俺たちを見回す。
「平助に敬助、源三郎。で、歳三。あとは、おまえとおまえだ」
芹沢夫人の指が差したのは、俺と沖田。
「…………」
沖田はというと、芹沢夫人の乱入にあからさまに機嫌を損ね、膨れっ面で答えようとしない。その様子を見下ろして、芹沢夫人は可笑しそうに目を細めている。
見かねて、俺が言葉を挟む。
「こいつは、沖田総司。それで、俺は……永倉新八、です」
「総司、ね。あと、新八……うん。新坊、だな」
「は……?」
童のようなあだ名に、俺は足を止めてしまう。
「んだよぉ、姐さん。新八だけお気に入りかよ!」
「うるっせぇぞ、左之助! ガシャガシャ揺らすんじゃねぇ!」
芹沢夫人は、唇を尖らせる
「新坊。おまえらのとこの大将は、どんな男だ? 近藤勇、だよな。あいつについて、教えろよ」
「近藤さんですか……」
「答えることねぇぞ、新八」
土方がつっけんどんに言って、俺に並ぶ。
「つれねぇな、歳三。減るもんじゃねぇだろう?」
「黙ってろ。お前は、信用に足る野郎じゃねぇ」
「野郎、だぁ? こんな憐憫を誘う乙女に、随分じゃねぇか……」
くつくつと喉を鳴らす芹沢夫人。ちろりと覗かせた舌先を、爪で引っ掻いた。
「せめて、女郎でいいだろう?」
「……御女郎屋の
土方の切り返しに、左之助が吹き出した。芹沢夫人は、頬を両側からつねってみせる。
「おい、土方」
俺は肩を寄せて、土方に小声を寄越す。
「あんまり邪険にするのは、その……利がないだろう。機嫌を損ねないのが、一番だ」
「あ?」
土方が、チラと背後に目をやる。
左之助の上から平助の髷にちょっかいをかける芹沢夫人を睨むと、土方は刀の鍔を指でなぞる。
「あんな怪物を背中に置いて、ご機嫌取りをする余裕なんざ、ねぇんだよ……」
怪物、と、土方は彼女を称した。
こいつの気が立っているのは、警戒心からだ。
初日の宿で沖田のこぼした言葉が、俺の頭に蘇る。
『あの女性、強いです。土方さんや私と同種で……おそらく私たちより、ずっと強い』
最も芹沢夫人から遠い位置を取り、歩みを止めない沖田も、彼女を危険視している。
屈強な豪傑に彼女が囲まれていることと、初日の夜に彼女自身が不可思議な力で男一人を伸してしまったこと。
それらの理由から、周囲の浪士たちは芹沢夫人を畏れ、三番組は彼女の独裁状態になっている。彼女の傍若無人なあり方に、土方や沖田を除いて、誰も逆らうことができないことも事実だった。
……しかし、白状すると、俺個人はそれに居心地の悪さを感じていない。
「新坊」
呼ばれて、肩から飛び上がる。
きゅう、と緩やかな締め付けに振り向くと、左之助の背中に飽きた芹沢夫人が俺にしなだれかかっていた。
「もうじき、宿だろう? 汚れちゃいけねぇ。運んでくれよ」
「…………」
返答を待たず、芹沢夫人は俺の首に両腕を回して、ぴょんっと飛んで体重をかけてくる。
支えるより他になく、尻に触れないよう手を浮かすことに必死だった。
「な、はは。ウブというか、律儀というか……。嫌いじゃねぇよ、新坊」
右耳のすぐ横で、彼女は笑った。顎を俺の肩に乗せて、目を閉じている。ここまで近いと、酒の匂いの奥から、香木のような匂いまで、鼻をくすぐる……。
俺たちの先頭で、くるっと沖田が俺を向く。左の涙袋に指を引っ掛けて、舌をべろっと突き出した。
「新八さんの、助平!」
今日の宿場に着いた時、前方から怒号に近い声が飛んでいる。何事か、と背伸びをしていると……血相を変えた近藤さんが、前方から走ってきた。
「どうしましたか、近藤先生?」
山南さんが差し出す手拭いで、近藤さんは冷や汗を拭き取った。が、眉を垂らした困り顔は変わらない。
「実は、だな。三番組の今日の宿が、用意できていないんだ……」
「宿が、ない?」
俺たちは顔を見合わせる。
「俺と他の小頭の手違いが原因だ。申し訳ない……」
ガバッと頭を下げる近藤さんに、試衛館出身の者たちは憤ることなどしない。
「顔を上げてくれ、近藤さん」
「他の宿に空室や、人数が収まる部屋がないか探しましょう。頼み込めば、分かれて世話になることができますよ」
源さんと山南さんは、年長者らしく落ち着き払って対策を講じている。
「もしも宿がなくても、俺たちなら野宿くらい慣れているしな」
「そうッすよ! まだ冬で寒いっすけど、ま、1日くらいなら!」
「寝ぼけたクマでも出てくれりゃあ、とっ捕まえて鍋にできらぁな」
土方の意見に、平助や左之助は楽観的に同意する。
「はい! 楽しそうですね、近藤先生!」
と、沖田も目を輝かせている。しかし、近藤さんは沖田の肩に手を置いて、首を横に振る。
「総司。おまえだけでも、宿に泊まらせる」
「……なんでですか?」
「浪士組に参加するときに、言っただろう? おまえに、無理はさせん。まだ2月、冷えはおまえには毒になる」
近藤さんの言葉の外には、沖田を娘のごとく扱う気遣いがにじんでいた。
初日の宿から、沖田が俺たちや他の男どもと雑魚寝することに、近藤さんは難色を示していた。特別扱いはかえって怪しまれる、と説得されて渋々認めていたが、内心は穏やかではないのだろう。
「近藤先生。そういう心配りは、ありがたいですけど……いや、です」
「し、しかしな、総司。野宿などもってのほかだ。今日こそ一人の部屋を用意しよう。なに、探せばきっと……」
沖田の肩に手を置く近藤さんが、早口で言っていると……
「なんだよ、勇。その小僧には、甲斐甲斐しいなァ」
俺の背中から、芹沢夫人が遮った。
「そいつぁ、どこか悪いのかよ? 小生意気なだけで、ピンピンしているように見えるけどな」
「あ、っと……。芹沢さんの、奥方様。じ、実はですね……」
「みなまで言うなよ。聞こえていたぜ」
芹沢夫人は俺を解放して、ふわっと着地すると、欠伸を一つ。
「宿がねぇんだろう? んな不手際、ありえねぇ……けど、ま、大目に見てやる」
「は……?」
近藤さんがぽかんと口を開けると、彼女は袖で手を隠す。
「源三郎と敬助の言った通り、空きを探してみろ。それでもみつからねぇなら……あぶれた奴は外でいい。おれたち芹沢組は、さっそく野宿を始める。文句はねぇな?」
「え、えぇ。……痛み入ります」
近藤さんの低頭の姿勢に彼女は頷き、芹沢のもとへちょこちょこと歩いて行った。
結局、近藤さんをはじめ俺たちで宿場町をはじからはじまで駆けずり回って、なんとか全員の宿を押さえることができた。
最後まで残った俺と近藤さんが畳に転がったのは、日が変わる寸前だった。
「本当に、助かった。すまないな、新八」
疲弊しきった声で、それでも近藤さんは膝を揃えて俺に頭を下げてくれる。
「気にすんなよ。それよか、近藤さんも俺たちと雑魚寝でいいのかよ?」
「それこそ、気にしてくれるな。小頭だのと、気を遣われてはかなわん。こちらの方が、性に合っている」
「……ま、試衛館に比べりゃあ、畳も数段上だからな」
俺の軽口に拳骨を寄越してから、近藤さんは布団に手を伸ばす。
「明日も早くに出立だ。休めるときに休んでおくぞ」
欠伸を一つ挟んでから、俺は「あぁ」と頷いた。
……窓際を陣取ると、やけに外が騒がしいことに気づいた。夜の闇しか見えないはずが、煌々とした橙色が目に付く。さらには、ぱきぱきッ、と木が爆ぜる音も断続的に聞こえてくる。
外に目をやろうとしたのと同時に、
「近藤先生! 大変ですっ!」
沖田が部屋に転がり込んできた。
「どうした、ソウ……で、なく、総司」
近藤さんの訂正すら待たず、沖田はぐいっと腕を引っ張りながら叫んだ。
「芹沢さんが、宿を燃やしていますッ!」
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