1863 浪士組出立
二百の浪士と二輪の花
江戸は小石川、由緒ある伝通院の境内。土と刀の臭いが、気品漂う香を塗りつぶしている。
「おいおい、幾人いるんだよ。ひぃ、ふぅ……」
左之助は、槍を担いでいない方の手で周囲の男共を数えている。
「二百は下らない、と耳に挟みましたよ」
山南さんの言葉のあとに、近藤さんがははぁっと顎を撫でる。
「右を見りゃぁ袴、左を見りゃぁ股っ引き……ごった煮だな、これは」
腕の覚えのある者であれば、身分を問わず受け入れる。募集からして普通じゃあなかったが、この光景はある種、壮観だ。
「私たちには御誂え向き、ですね」
弾むような声は、最後尾から飛んできた。
「馬鹿ッ。あんまり声あげるなよな」
「隠している意味がないだろうに」
平助と源さんの慌てた声に、チッ、と舌打ちが重なる。
「……おまえは、おとなしくしていろ。目ぇつけられたら、終いだ」
土方が睨みを利かせても、奴の高揚感は抑えられない。
「えぇ、心得ていますよ。なにせ、これから京に上がって、私たちは名実ともに『誠の武士』となるのですから!」
黒船がもたらした衝撃の余波は、襲来より丸十年経った今でも国を揺らしている。
浦賀に襲来した
黒子の動かす通りにしか舞えない人形浄瑠璃のごとく、幕府現体制は外国の傀儡と揶揄されている。
幕臣の中からも不平不満が溢れている昨今、その下から溢れ出ぬはずもない。
もはや徳川に国を任せておけぬ。天皇を唯一絶対の中心に据え、国を動かさんと目論む『尊王派』。
異国の介入をよしとせず、脅威たる
奴らが倒幕という目的のもとに同舟した。ゆえに『尊王攘夷』。
それは今や童の侍ごっこにすら登場する、反幕府勢力の統一された思想である。
尊王攘夷論は、これまで家柄や出自によって表舞台に立つことの許されなかった革命家……志士を生み出した。
同時に、生業を捨てて悪逆非道を尽くす浪士もわいて出てきてしまった。
江戸を中心として、浪士の存在はすでに看過できるものではなくなった。とっ捕まえて刑に処すことすら追いつかず、治安維持もままならないと嘆いていたところに発せられた、苦肉の策……
「浪士組の結成、か」
山南さんの熱弁に、俺は言葉を差し込む。
近藤さんが連名状を献上するために並んでいる間の、突貫的な講義の最中だ。
「その通りです、新八君。禄こそ微かでありながらも、紛れもなく『武士』となれるのですから、まさに千載一遇の機会です」
「縄につないで、餌をもらえるようにしときゃぁ他所様に噛みつきゃしねぇ……ってだけじゃねぇか?」
左之助が欠伸まじりに不敬を漏らす。山南さんはたしなめるでもなく、曖昧に笑った。
「原田君の突いた思惑がない、とは言えませんね」
「で、集められたからには、役割はあるンすよね?」
平助の質問には、源さんが答える。
「主な任務は将軍様の警護だ。来月、将軍様が上洛なさるのだが、その警護をする者たちは先んじて京に配備しておくようだな」
「浪士が、えらく出世した感じッすね……」
どこか他人事のように平助は頷いている。
京の都に轟く過激派の噂は、
巷を賑わす『人斬り』の逸話は、太刀筋が揺らいで首を引き裂く、敵とともに土塀を叩っ斬る……など、もはや怪異譚じみている。
天誅、と称した藩内要人の粛清を繰り返し、強硬派が実権を掴み始める土佐藩。
最大にして最強の過激派として騒ぎに事欠かない長州藩。
奴等の中では、主要な攘夷志士がすでに神格化されていると聞く。
一八六三年の京の様を表す言葉として、跳梁跋扈も生ぬるい。佐幕派は威信を、尊攘派は野心を賭けてぶつかり合う……荘厳な戦場と化している。
「で、あればこそ、我らが道場を飛び出た意味もあろう!」
声と同時に、背中に雷のような平手が叩き込まれた。
「ってぇ!」
「我ら試衛館一門、将軍警護の任を全うすべく日光の照る東より、いざ西へ!」
「酒でも飲んでんのか、近藤さん……?」
俺が眉間のシワを擦っていると、周囲から声が漏れ出てくる。
「試衛館? 近藤と言ったか?」
「で、あれば、江戸の試衛館だよな?」
ざっと波が引くかのように、俺たちから男どもが距離を取る。ある者は値踏みをする目、またある者は畏怖を込めた目をしている。
調子乗りの左之助は、鼻の穴を膨らませている。
「なんだよォ、俺たちゃ名が通っているじゃねぇか」
「……道場の看板、一括りで知られているだけだ」
言う時、俺の声はひどく低くなった。
囲む奴等の目当ては、決まっている。
「どれが、沖田だ?」「わからん。上背があると聞いたが……」「鼻筋の通った二枚目だとか」「いいや、ひらべったいヒラメ顔じゃなかったか?」
「…………」
鼻から息を吸い、口から吐いて、俺は横へと目を向ける。
殺気立つ視線などどこ吹く風の沖田は、境内に迷い込んだ白猫の腹を撫でている。小柄で線が細く、地べたの猫と同じ顔をしている腑抜けこそ、おまえたちがお探しの剣豪だ……と、言っても信じやしないだろう。
山南さんが見つけた浪士組の招集を、試衛館の面々に伝えたのは俺だ。有志を募り連名状を作る中、近藤さんははじめ「ソウには内密に、準備を進めよう」と、口裏を合わせていた。
俺や土方はその指示を守っていたのだが、左之助あたりが口を滑らした。
真っ赤な顔で俺たちを責め立てた沖田は、連名状を近藤さんからむしり取った。
二十二になり、花嫁修行そっちのけで剣術修行に身を捧げた沖田は、試衛館で敵なしの『鬼の師範代』にまで上り詰めた。
同じ喧嘩剣法の土方や、道場主の近藤さん、もちろん俺も、奴に負け越している。とうとう、沖田ソウは試衛館最強の剣豪にまで成り上がっていた。
それでも、あいつは女だ。
浪士組の参加など、認められるはずがない。
優しく諭す近藤さんの言葉にも聞く耳を持たず、筆を取った沖田は、連名状の最後尾に署名した。
沖田総司と。
こいつはいま、性別と名を偽って、浪士組に参加している。
前代未聞の隠蔽工作の最中のはずが、沖田にはまるで緊張感がない。
……無性に、苛立ちがこみ上げる。
結局、こいつは必要とされている。近藤さんに土方、他の面々も、最後は沖田の参加に賛同した。
なぜなら沖田総司は、強いから。こんな無茶苦茶が、まかりとおるのだ……。
「新八さん? 怖い顔して、どうしたんです?」
白猫が逃げて、沖田が俺を見上げていた。
「遊んでん、じゃねぇよ。総司」
呼吸がずれて、言葉が途切れる。
胸の内の劣等感を悟られぬよう、取り繕うことだけはいやにうまくなった。
「おい。ようやっと、始まるぜ」
土方が言って、俺たちは前方に目を向ける。
傘までかぶり、装備を整えた役人が連名状の束を手に立っている。
「間も無く、受付を締め切る。まだ書状を出していない者は速やかに……」
と、役人が不自然に言葉を切った。俺たちの後方で、目が止まっている。
二百の浪士たちが示し合わせたように振り向くと……
はだけた着物の女が、一人、瓢箪を片手に立っていた。
「な、はは。ちょいっとばかし、決起の前祝いが深くなったみてぇだな」
酒に焼けて、しゃがれた声。それでも奥に艶があり、賭場の元締めのような口調がなぜか滑らかに聞こえた。
頰から顎、首、鎖骨にかけて露出した肌は、二月の風に刺されて桃色がかっている。
梅の模様の着物は右肩になんとか引っかかっているような有様で、帯もだらしなく垂れ下がって地面についている。襦袢の着こなしも雑なせいで胸元は大きく開き、豊かな膨らみが放り出されないよう、かろうじて押しとどめている。
銀杏返しを大きく崩した髪は、烏の濡れ羽色。目に掛かるひと房を指で持ち上げてから、彼女は薬指で唇をなぞった。
「おれたちも、浪士組に参加するぜ。以後、見知り置きを……ってな」
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