近藤勇 対 斎藤一
「最終仕合の出場者、前へッ!」
佐川氏の呼び込みも聞き納めだ。満身創痍の体で、背筋を伸ばす。
「無理すんな、新八」
土方の声が、包帯の向こうから聞こえる。右目を覆っているから、奴の顔は見えない。
「怪我人扱いするなよ。座を正すくらい、わけない」
最後の二名が、歩み出る。一方は重々しく、一方は軽やかに。
「名乗りを上げよ!」
「近藤勇です」
先んじて近藤さんが口を開くと、チラと流し見て、促す。
「斎藤一、です」
奴は、ぶるっと首を振る。無造作な髪を落として、目線を隠している。
道場主と相対する者として、奴は不相応な身なりをしている。覗く腕も白く細く、役が勝っている印象すら与える。
上背も腕の太さも、近藤さんと比べると遠く及ばない。相手になるのか? と、大衆からの不安が仕合の場を囲んでいる。
確かに一目見て、奴の勝利を想像する方が難しいのだろう。
……それに欺かれて、俺たちは揃って奴に伸されたのだ。
「では、これが最後だ。双方、全力を賭してくれ」
佐川氏の口上に、近藤さんは木刀を前へ出す。正面から相手に向き合う、中段の構え。
対する奴は、木刀を腰に当てたまま棒立ちの姿勢。
「……始めッ!」
ず、と、近藤さんが重く一歩を踏み出す。
奴は、上体を前へ倒すように進む。
二人のちょうど中間で、木刀に乗った推力同士が衝突……
しなかった。
二人は交錯せずに駆け抜けると、互いの背に集まっていた観衆の中に突っ込んだ。
「ぎゃ!」「ぐッ!」
俺たちが目を疑ったその一瞬で、近藤さんと奴は……覆面の男を叩き伏せた。
「急襲だッ!」
近藤さんの地を震わす怒号に、真っ先に動いたのは佐川氏。
「殿を囲め! 鼠一匹、通してはならんぞ!」
不測の事態にも、会津武士の鉄の統率は崩れない。松平公を守護する防壁として、隙はない。
しかし、覆面の男たちは逃げ惑う観衆の中からうじゃうじゃと湧き上がってくる。白刃をぎらつかせる不逞浪士どもは、会津に向かって突進する。
混沌を切り裂いたのは、道場主の号令だ。
「試衛館一同! 力を、示せ!」
弾けるように、立ち上がる。
木刀をぎしっと握り、俺は真剣を持つ輩の前に躍り出る。
武器の殺傷能力の差で、不利な立ち合いだとは思わない。
「あの喧嘩馬鹿と比べたら、数段劣るぜ……!」
浅く入った刀の横を打ち、そのまま相手の顎を割る。
……はずが、切っ先がかすめただけに終わる。右目を塞いでいることが、目測を狂わせている。
もどかしさに舌打ちをすると、死角からの声と重なった。
「ちッ。しょうがねぇな」
俺の死角から伸びた拳が、相手にめり込む。覆面の中で歯でも折れたのか、刀を落としてもんどりうつ。
「土方。お前、武器がねぇだろうが」
「お前こそ、今は右目がねぇだろう?」
俺の右に並び立つ土方は、高揚したまま口を回す。
「新八。今日だけは、お前の右目を埋めてやるよ」
「……頼むぜ。俺は、左を片付ける」
半分の視界にも、覆面は二、三。まだまだいるようだが、どうせ、右の喧嘩師がねじ伏せるだろう。
余裕を持って周囲を見ると、他の面々も混戦の中にいた。
会津の壁が一部崩れた場所を埋めたのは……源さん。攻撃をいなし続けて、背中の松平公を守ることに余念はない。
焦れる相手を前に、ガクン、と源さんがしゃがむ。
「いけ、平助」
「背中、借りますよッ!」
源さんの背を台にして、平助が飛び上がった。覆面の中から目を剥いているうちに、平助の一の太刀がその片方を潰す。
流れるように顎を薙ぎ、相手は卒倒する。源さんの堅守と、平助の速攻で凶刃をはじき返した。
逃げ惑う観衆の波の中、ごみごみした戦場に山南さんは立っている。その手を空けて、向かってくる刀を躱している。
「六所宮の境内で、ひどく罰当たりな……」
粛々と嘆く山南さんの生真面目さを、覆面の輩は挑発ととったらしい。くぐもった掛け声で、刀を振り上げる。
「……御免」
半身になって攻撃をかわした山南さんは、左手で相手の手首を押さえて、右手で肘を突く。……その数秒で、刀は山南さんの手の中に収まった。
「ひっ……」
窮地に息を飲む輩は、一歩、また一歩と後ずさる。
「武器を奪ったのは、あなたを攻撃するためではありませんよ」
山南さんは、微笑んでみせた。
「……原田君に万一があっては、困りますからね」
その言葉を合図に、覆面の男の首が分厚い二の腕に締め上げられる。
「んだよ。ぎゃんぎゃんうるさくて起きたら、盛り上がってんじゃねぇかよォ」
左之助は、腕の関節をぎりっと曲げる。なすすべなく暴れていた輩は、ぐったりと動かなくなった。
そして、俺は三人目の鳩尾に木刀を打ち込んだ。
「土方。いくつ、やった?」
「四、だな。近藤さんが五で……あいつは、七だ。ちくしょう、先に動かれちまったからな」
拳で手のひらを叩く土方に、再び尋ねる。
「もう、ほとんど沈んだか?」
「だな。伸びているやつと、どさくさ紛れに逃げた腰抜けもいたけどな。あとは……」
言葉を切った土方が視線を投げたのは、壁となった会津の向こう。
松平公は、仕合を観戦していた姿勢から微動だにしていない。佐川氏をはじめとした護衛と、近藤さん以下試衛館門人の戦いを、その渦中のど真ん中でじっと見続けている。
……その松平公の背後、物陰から、陽の光に反射した刃が伸びる。
「!」
俺と土方は気づいたが、如何せん距離がある。先に到達するのは、覆面だ。
息を潜めていた輩の刃が、松平公めがけて突き出された。
……ギン! 鉄を打ったように、鎮まった。
松平公は、動かなかい。
間一髪、一人の男が現れて、松平公を守ってみせた。
「く……!」
奇襲失敗を受け、覆面はよろけるように後ろへ下がる。
しかし、現れた男の射程の外までは出られなかった。
ぎゅ、と、体を圧縮させたと思うと、低い姿勢から間合いを一気に詰める。
突き出す切っ先が相手の脇腹に、一点。ほぼ同時に、肩の関節へ差し込むように、一点。
仰け反る相手の、ぽっかり空いた喉元に、最後のひと突きが……
「殺すなっ!」
振り返ることもせず、松平公が命じた。
ぴたり、止まった。刀は首の薄皮を破いただけで、引き抜かれる。
覆面の輩は、死を逃れた安堵感で気を失った。
「……私の命を救ってくれたこと、感謝する」
戦場の熱が冷めていくことを悟って、松平公はくるりと振り向く。
突如躍り出た男は、鞘に収めた業物に見合わぬ、みすぼらしい格好だった。松平公の前で膝をつき、こうべを垂れる。
「名は、なんと申す?」
その質問に、男はしばらく考え込むように押し黙って……やがて、口を開く。
「おきたそうじ、です」
……名乗りを聞いて、俺たちは素早く動き出す。
「恐れながら、会津候!」
近藤さんが大口を開き、声を響かせる。
近藤さんを中心に、俺たちは松平公の眼前で膝をつく。それで、松平公の視線を移すことができた。
「御前での仕合、我々は十全に実力を見せておりませんでした」
「なに?」
初めて、松平公が怪訝そうに眉をひそめる。
言葉の真意を、近藤さんが言い放つ。
「我ら試衛館門下は、互いに背を預け、並び立つ時こそ、本領を発揮できるようです」
俺たちは、粛々と松平公の言葉を待つ。
「私の前で、揃いも揃って手を抜いていたというか」
ずしんと、重さのある問いだった。
「……は」
近藤さんの返事に……松平公は、噴き出した。
顔を上げる。くつくつと喉を鳴らしていたものの、やがて爆笑へと変わり、空に向かって顎をあげる、松平公がいた。
「なんとも、清々しい無礼者たちだ。笑うしか、なかろう」
涙が滲んだ目尻を指で拭い、呼吸を整える。それから松平公は、俺たちを順番に見る。
「近藤。土方。永倉。山南。原田。藤堂。井上。……沖田。此度の働き、誠に大儀であった。今、私が生きている。これこそ、おまえたちが誠の武士である、何よりの証拠だ」
それは、誉れ高い賛辞。
喉元が熱く、体の芯が震えるような心地がした。
「ありがたき、幸せでございます」
近藤さんに合わせて、俺たちは揃えて礼を捧げた。
「ところで」
と、松平公は近藤さんに尋ねる。
「斎藤一、は、どこへ行った?」
俺たちはピシッと固まる。
……奴はいま、ここには出られない。
「……さ、先ほどの戦闘にて、打ちどころでも悪かったのでしょうか。先んじて、治療に回っております」
「そうか。では、あの剣豪にも届けてくれ」
松平公は、瞳に熱を湛えて、言い置いた。
「烈士諸君よ、また会おう」
*
その日の六所宮での会津襲撃事件は、不要な混乱を避けるため、さらには宮の懇願もあって、記録には残されていない。
しかし、逃げ惑う人々の記憶には確かに刻まれた。
以降、試衛館のことを江戸の外れの田舎道場だと揶揄する者はいなくなった。
『会津候に認められた多彩な剣客集団』と噂は広がり、その分、力試しやらで門をくぐる輩も増えたのだが……標的は決まって、一人。
目にも留まらぬ三段構えの突き技で会津候を守った『沖田総司』である。
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