永倉新八 対 土方歳三 締



 どれだけ、時間が過ぎたのか?

 果てのなさに心がかきむしられて……その焦燥感にすら慣れてしまうほど、長く感じた。


 向かって左から、土方が踏み込んでくる。


 短くなった射程だけ体の寄せが深く、目測を誤ってしまう。


 反射的に差し出す木刀で、一撃を払う。奴が左手に握った、切っ先側の一刀を防いだ。


 凌ぐ俺に対して土方は、右手を残している。柄側の一刀を、突き出してきた。


「……っはぁ、はぁ……!」


 同じ速度で飛びのいて、直撃を避ける。その代償として頭が大きく揺すられて、一瞬、平衡感覚が失われる。

 目の奥がぼうっと熱を発して、視界が白く染まる。


 ……じゅわっと、右目に痛みが走る。滑り込んできた鮮血が、俺自身を刺激している。

 皮肉にも瞼の傷の痛みが警鐘となって、俺は意識を保っている。


 雑に拭って、両目で土方を捉えた。奴は俺に対してまっすぐ立ち向かい、無駄な力を込めず短い二刀を両手にそれぞれ携え……歴戦の威風を、醸し出している。


「おまえの二刀流なんて、見たことねぇぞ」

「俺だって、やったことはねぇよ」


 チッ、と舌打ちをして、土方は両手に握った半々の木刀を見下ろす。


「手本も指南書もねぇ、猿真似以下の代物だろうよ」

「だってのに、なんで、そんな……」


 自然の摂理を答えるように、土方は言った。


「剣を握っていなきゃ、負ける。理由なんて、それだけだ」


 この区切られた仕合の場でのみ成立する、会津式の絶対的な約定。


 武器を手放した時点で、敗北。武器を手にしている限り、仕合は続く。


 そして……自ら木刀を手放せば、負けることができる。


「新八。もう、力が入らねぇんだろう?」


 土方が、俺の限界を言い当てた。


 木刀を握り直そうとするが、掌に返ってくる反発は弱い。腕は肩からただぶら下がっている重石のよう。


 俺はいま、柄が滑っていくことだけを止めている。握力が底をついて、体力もからっぽで……気力で立っているのみ。


 責めるように、瞼から垂れる血が右目を刺す。だが、目を開くことすら億劫だ。


 もう、いいだろう?


 血が抜けているせいか頭が軽くて、余計なことは考えられねぇんだよ。


 木刀を地面に落とせばいい。仕合は、悔しいさ、悔しい。ただ、俺も未知の二刀流を相手によくやった方だろう? 道場では、負けねぇよ。


 そうだ。俺が自分で終わらせられる。これ以上やって、下手に怪我が長引くより、はるかにマシだ。


 途端に、木刀が軽くなった。指を、開く……。


「新八さんっ!」


 差し込まれるような、声。


 近藤さんの隣に控えた……奴が、俺をまっすぐ見据えている。俺は左目だけで、奴と視線を交錯させる。


 奴は、俺の名前を呼んだだけ。しかし目の方は雄弁で、実直な好奇心にあふれていた。


 ここから、どう反撃するのか? どう立ち回って、どう逆転するのか? 早く見せてくれ、と、急かしてきやがる。


 俺が諦めているなんて、毛ほども考えちゃいない瞳だった。


 ガツン……


 切っ先を地面に突き立てて、俺は両腕を支えた。手の中の木刀を握る。手のひらとの境界線をなくすように、強く。


「……土方。おまえ、何様だよ」


「あ?」


 腹の中の僅かな気力を粗暴な挑発にして、土方にぶつける。


「一丁前に敵の心配だぁ? 今更、分別があるつもりかよ。似合わねえんだよ」


「てめえ……」


「見下すんじゃねぇ!」


 喉を削るように、俺は叫んだ。


「負けるなら、叩っ斬られて地べたに転がってやる。俺を、おまえらと並べねぇ俺に、するな……!」


 みっともねぇし、情けねぇ。これが今の、永倉新八だ。


 ただ、ここで勝負を下りたらこいつらと並ぶ資格も、価値もねぇ。


 負けるなら正面から、まっすぐ、負けつくす。


「望み通り、終わらせてやるよ。新八」


 鼻先で、土方の声がした。


 一気に距離を詰めた土方が、利き手の右から半分の木刀を振り下ろす。


 俺に止めを刺すべく、短くも大振りの一撃が、向かってくる……。


 俺は、体を半身にして、そいつを紙一重で躱した。


「……っ!」


 崩れる土方に向け、だらっと前に体を倒して、地面から木刀を持ち上げる。


 軋む両腕はもう思い通りには動かない、それでも、がら空きの懐に叩き込まねば、いよいよ俺の敗北だ。


 いけ。いけ……!


 声にすらならない言葉を吐く口を、柄まで持っていく。

 そして……自分の右手に噛みついた。


 痛みでも痺れでも、なんでもいいから、動け。

 いってこい!


 俺は、両腕と木刀を土方に送り出す。


 胸元にかけて向かっていく、最後の攻撃は……土方の左手がしかと握る、もう半分の木刀に防がれた。


 ……ガラン、ガラン。


 音は二つ。俺の木刀と、土方の左の木刀が、転がっている。


 俺の手に武器はない。対する土方も、片手は空いたものの、右手は……


「……くそッ」


 土方の悪態は、俺だけに聞こえた。


 土方の右手からも、木刀は転がり落ちていた。


「第三仕合は……引き分けッ!」


 佐川氏の決定に、俺と土方は同時に地面へ寝転がる。首の汗に砂利がつきまとって、鬱陶しい。


 土方も、同じ不快感に顔をしかめている。


「おい。なんで、木刀を離した……?」


 俺は起き上がるよりも先に、土方に尋ねた。


「……おまえだけが、限界だったとでも思ってんのか」


 土方も寝転がったまま、空に声を放る。


「悟られた瞬間、左右から順繰りに弾き落とされて、終いだった。先にカマをかけたら……図星をついたって寸法だ」


「きったねぇ」


「結果は痛み分けだろうが、ちくしょう。……おまえの撃を片手で受けるなんざ、二度と御免だ」


 土方の恨めしそうな半眼を見て、緊張の糸が切れたせいか、途端に可笑しくなった。


「く、は! はは、はっ。あはははっ!」


 堰を切ったように笑えてしまって、やがて土方も喉を鳴らす。


 しばらくの間、観衆と会津藩主の前で、俺と土方は地べたに寝たままでいた。

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