永倉新八 対 土方歳三 締
*
どれだけ、時間が過ぎたのか?
果てのなさに心がかきむしられて……その焦燥感にすら慣れてしまうほど、長く感じた。
向かって左から、土方が踏み込んでくる。
短くなった射程だけ体の寄せが深く、目測を誤ってしまう。
反射的に差し出す木刀で、一撃を払う。奴が左手に握った、切っ先側の一刀を防いだ。
凌ぐ俺に対して土方は、右手を残している。柄側の一刀を、突き出してきた。
「……っはぁ、はぁ……!」
同じ速度で飛びのいて、直撃を避ける。その代償として頭が大きく揺すられて、一瞬、平衡感覚が失われる。
目の奥がぼうっと熱を発して、視界が白く染まる。
……じゅわっと、右目に痛みが走る。滑り込んできた鮮血が、俺自身を刺激している。
皮肉にも瞼の傷の痛みが警鐘となって、俺は意識を保っている。
雑に拭って、両目で土方を捉えた。奴は俺に対してまっすぐ立ち向かい、無駄な力を込めず短い二刀を両手にそれぞれ携え……歴戦の威風を、醸し出している。
「おまえの二刀流なんて、見たことねぇぞ」
「俺だって、やったことはねぇよ」
チッ、と舌打ちをして、土方は両手に握った半々の木刀を見下ろす。
「手本も指南書もねぇ、猿真似以下の代物だろうよ」
「だってのに、なんで、そんな……」
自然の摂理を答えるように、土方は言った。
「剣を握っていなきゃ、負ける。理由なんて、それだけだ」
この区切られた仕合の場でのみ成立する、会津式の絶対的な約定。
武器を手放した時点で、敗北。武器を手にしている限り、仕合は続く。
そして……自ら木刀を手放せば、負けることができる。
「新八。もう、力が入らねぇんだろう?」
土方が、俺の限界を言い当てた。
木刀を握り直そうとするが、掌に返ってくる反発は弱い。腕は肩からただぶら下がっている重石のよう。
俺はいま、柄が滑っていくことだけを止めている。握力が底をついて、体力もからっぽで……気力で立っているのみ。
責めるように、瞼から垂れる血が右目を刺す。だが、目を開くことすら億劫だ。
もう、いいだろう?
血が抜けているせいか頭が軽くて、余計なことは考えられねぇんだよ。
木刀を地面に落とせばいい。仕合は、悔しいさ、悔しい。ただ、俺も未知の二刀流を相手によくやった方だろう? 道場では、負けねぇよ。
そうだ。俺が自分で終わらせられる。これ以上やって、下手に怪我が長引くより、はるかにマシだ。
途端に、木刀が軽くなった。指を、開く……。
「新八さんっ!」
差し込まれるような、声。
近藤さんの隣に控えた……奴が、俺をまっすぐ見据えている。俺は左目だけで、奴と視線を交錯させる。
奴は、俺の名前を呼んだだけ。しかし目の方は雄弁で、実直な好奇心にあふれていた。
ここから、どう反撃するのか? どう立ち回って、どう逆転するのか? 早く見せてくれ、と、急かしてきやがる。
俺が諦めているなんて、毛ほども考えちゃいない瞳だった。
ガツン……
切っ先を地面に突き立てて、俺は両腕を支えた。手の中の木刀を握る。手のひらとの境界線をなくすように、強く。
「……土方。おまえ、何様だよ」
「あ?」
腹の中の僅かな気力を粗暴な挑発にして、土方にぶつける。
「一丁前に敵の心配だぁ? 今更、分別があるつもりかよ。似合わねえんだよ」
「てめえ……」
「見下すんじゃねぇ!」
喉を削るように、俺は叫んだ。
「負けるなら、叩っ斬られて地べたに転がってやる。俺を、おまえらと並べねぇ俺に、するな……!」
みっともねぇし、情けねぇ。これが今の、永倉新八だ。
ただ、ここで勝負を下りたらこいつらと並ぶ資格も、価値もねぇ。
負けるなら正面から、まっすぐ、負けつくす。
「望み通り、終わらせてやるよ。新八」
鼻先で、土方の声がした。
一気に距離を詰めた土方が、利き手の右から半分の木刀を振り下ろす。
俺に止めを刺すべく、短くも大振りの一撃が、向かってくる……。
俺は、体を半身にして、そいつを紙一重で躱した。
「……っ!」
崩れる土方に向け、だらっと前に体を倒して、地面から木刀を持ち上げる。
軋む両腕はもう思い通りには動かない、それでも、がら空きの懐に叩き込まねば、いよいよ俺の敗北だ。
いけ。いけ……!
声にすらならない言葉を吐く口を、柄まで持っていく。
そして……自分の右手に噛みついた。
痛みでも痺れでも、なんでもいいから、動け。
いってこい!
俺は、両腕と木刀を土方に送り出す。
胸元にかけて向かっていく、最後の攻撃は……土方の左手がしかと握る、もう半分の木刀に防がれた。
……ガラン、ガラン。
音は二つ。俺の木刀と、土方の左の木刀が、転がっている。
俺の手に武器はない。対する土方も、片手は空いたものの、右手は……
「……くそッ」
土方の悪態は、俺だけに聞こえた。
土方の右手からも、木刀は転がり落ちていた。
「第三仕合は……引き分けッ!」
佐川氏の決定に、俺と土方は同時に地面へ寝転がる。首の汗に砂利がつきまとって、鬱陶しい。
土方も、同じ不快感に顔をしかめている。
「おい。なんで、木刀を離した……?」
俺は起き上がるよりも先に、土方に尋ねた。
「……おまえだけが、限界だったとでも思ってんのか」
土方も寝転がったまま、空に声を放る。
「悟られた瞬間、左右から順繰りに弾き落とされて、終いだった。先にカマをかけたら……図星をついたって寸法だ」
「きったねぇ」
「結果は痛み分けだろうが、ちくしょう。……おまえの撃を片手で受けるなんざ、二度と御免だ」
土方の恨めしそうな半眼を見て、緊張の糸が切れたせいか、途端に可笑しくなった。
「く、は! はは、はっ。あはははっ!」
堰を切ったように笑えてしまって、やがて土方も喉を鳴らす。
しばらくの間、観衆と会津藩主の前で、俺と土方は地べたに寝たままでいた。
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