永倉新八 対 土方歳三 動

 振り下ろされた木刀を、鼻先で躱す。土方は初めから寸止めで牽制する気などまるでなく、切っ先が地面にめり込んだ。


 ふ……と、久々に深く息を吐く。

 四方から襲いかかってくる土方の木刀を前に、文字通り、息つく間もなかった。


 仕合は、俺の欲目で見ても土方の優勢だった。


 俺が一撃を与えると、土方は二撃返してくる。俺が一歩出ると、土方は二歩詰めてくる。

 先手を取るべく立ち回ると、土方は後の先を狙いすましてきやがる。かと言って、待ち構えたら奴の思う壺だ。


 将棋でも指すように、理詰めで攻められている感覚だ。……しかし、当の土方本人はきっと何も考えちゃいない。


「ッらぁ!」


 大仰に声を上げて、土方は再び木刀を振り下ろしてくる。つい先ほどと同じ太刀筋で、避ける間合いは測っている。


 背骨から下がるように飛びのく。俺が右足を置いていた場所に、土方の木刀が刺さる。

 ……その直前、土方はクンっと右手を返した。切っ先を谷型の軌道で持ち上げる。


「!」


 地面からのかすかな反発を加速に変えて、土方の木刀は俺の左肩を掠めた。


「……なんなんだよ、ちくしょう」


 口の中で悪態をつく。目の前で対峙する土方にも聞こえない、俺の至らなさを恨む俺自身への暴言だ。


 大振りのせいで地面に当たる悪癖が、切っ先を地面に跳ね返らせる荒技に変わるなど、誰が思いつく? 道場で、こんなものは習得できるはずがない。


 脊髄反射と研ぎ澄まされた本能で敵を追い詰める……生粋の喧嘩師。


 これが、土方歳三だ。


「っ!」


 メキ……!


 競り合った瞬間、俺と土方、双方の木刀が嫌な音を立てた。


 指の関節がじりじりと熱を持ち、痺れは骨まで到達している。なんとか痛みを顔には出さず堪えるが、土方はぐにゃりと眉をひん曲げている。


 これまでの無茶な戦い方が蓄積された分、土方の木刀は衝撃に脆いようだ。よくよく見ると、細かな亀裂が表面を走っている。


「…………」


 勝ち筋が一つ、頭に浮かんだ。

 道場の中であれば、は決して褒められた道筋じゃあない。邪道とも言える方法だ。


 しかし、ここは御前仕合の場で、何より相手は土方歳三。勝ち筋を選ぶ余裕なんて、ハナからありゃぁしない。


 俺の目と剣速があれば、いける。


 確信して、距離を詰めた。


 怪訝そうな表情は一瞬で、土方は牽制のために横から胴を薙ぐ。まだ手の痺れが残っているのか、浅くも高速の太刀さばき。


 防御の姿勢を組んだ俺は……木刀の切っ先、一点で受け止める。


「っ!」


 衝撃は、土方の腕に響く。隙を生み出し、ようやく俺は攻撃に転ずる。


 肘を固定するように意識して、とにかく細かく速く、俺は土方の木刀を打つ。土方への決定打にはなり得ないことは承知の上で、俺は奴に主導権を渡さない。


 土方を抑え込む。そこだけに集中して、俺は小さな剣撃を連続させる。


 俺から注がれる攻撃と、それに伴う衝撃に……土方がだんだんと苛立ってきていることがわかる。逆の立場ならば、俺だって我慢ならない。


 攻撃を始めて、土方の舌打ちが数えて五になった瞬間。


 俺は腕をピタリと止まって、半歩下がった。


 もしも相手が源さんや山南さんのような剣士であれば、防戦一方の立ち回りから解放された次は、攻撃を仕掛ける算段をつけるため、ひと呼吸空けるところだろう。


 しかし、いま俺を相手取っているのは……血気盛んな暴れ牛だ。


 ドン! と、大股に踏み込んでくる。抜刀術にも似た、腰から胸にかけて薙ぎ払うように、一閃!


「来た」


 呟いて、俺は切っ先を土方の太刀筋に置くように、構える。衝突の瞬間だけ、両手に渾身の力を込める。


 バ、キッ……!


 木刀が真っ二つになった音が、場に炸裂した。それは断末魔にも聞こえた。


 ……これが、俺の狙いだ。仕合開始から悲鳴をあげていた土方の木刀、峯の中腹。ひときわ太いヒビを見てから、俺はその一点に集中して打撃を浴びせた。横から、縦から、時には突き出して、土方の木刀に衝撃を蓄積させていた。


 刀を叩き割る粗暴さと、ただ一箇所へ剣を差し込む正確さをもって実現させた、破壊剣法だった。


「…………」


 これで、幕引きだ。佐川氏が息を吸い込む様子が、チラと見えた。


 しかし。


 武器が砕けた土方は不敵に笑い、舌先で上唇をなぞった。


 木刀の腹から切っ先の半分が、俺の頭上でぐるぐると回っている。


 土方は左手を伸ばして、それを空中で掴み取った。


「は」


 目を疑う俺に、短い木刀が左手一本で振り下ろされる。


 じゅ、という擦過音が、目の上で鳴った。


 よろけてから、両脚に力を込める。前傾姿勢になると……地面に、真っ赤な血が数滴垂れた。


 悲鳴を連鎖させる周囲の声が、ひどく遠くに感じる。俺はいま、土方しか見えていない。


 土方は俺の前に立ち、真ん中で折れた木刀を両手に携え、あまりに野蛮な二刀流で構えている。


「武器を割られるなんてのは、予想外だ。馬鹿野郎……」


 土方の軽口も、ぼやけて聞こえてしまっている。落ち着け。まずは、呼吸をしろ。


「ただ、想定内だ」


「……?」


「新八。おまえなら、木刀を叩き割るくらいのことはやってくる。それだけの腕があるってのは、嫌というほど知っている」


 土方は俺を見透かしていた。

 反対に、俺は土方を見誤っていた。


 この鬼気迫る喧嘩師が、武器が折れたくらいで負けを認めるわけがないだろうが。

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