原田左之助 対 山南敬助 締
「うぉッ!」
山南さんが螻蛄のように跳ねて、その勢いで木刀を突き上げる。左之助は目を剥いてたじろいだ。
重心が下がり、揺らいだ左之助を、いまの山南さんは見逃さない。
胴に向かって薙いで、合間に突きを織り交ぜる。太刀筋はめちゃくちゃだが、剣士としての体幹がぶれない山南さんの攻撃は、細かかろうと重く、何より鋭い。形勢が、逆転する。
「やろぉ……!」
余裕の無くなってきた左之助が、威嚇のために木槍を回す。近接戦を仕掛けていた山南さんの肩に掠って、距離を取らせた。
「お行儀が悪いじゃねぇか。山南、こんな戦い方、あんたもできたのか?」
「は、は……。行儀の良さで、勝負がつくわけもない。それに気づくことが遅かっただけだよ」
「先に言っといてくれなきゃよォ、困るぜ」
左之助が攻撃に転じる。左腕めがけて襲いかかる木槍を、山南さんは峯で受ける。
弾かれた瞬間、左之助は山南さんに背中を向けた。
「……!」
左之助は右足を軸に回転し、山南さんの右側から槍先を叩き込む。がり、と、木刀の軋む音が衝撃と共に仕合の場に広がった。
左之助は天賦の筋力に回転を上乗せし、山南さんを圧倒した。
「目には目を、歯には歯を。喧嘩剣法には、喧嘩
芝居の口上のごとく高らかに叫んで、左之助は猛攻に入る。
山南さんは堅い防御を崩さないが、徐々に押され出している。突きを受けた腹にまだ痛みが響いているようで、前傾姿勢はなおらない。
左之助の上段狙いの大振りな槍は、外から見ていると隙の多い力任せな攻撃だが、当たるたびに木刀をみしみしと痛めつけている。無慈悲な剛力を相手取る時、隙なんて見えなくなってしまう。
左之助の一撃は、まともに食らえば例外なく昏倒するような代物である。気の抜けない緊迫感の中、まともに息継ぎもできずに体力が尽きてしまう。このままでは、山南さんのジリ貧だ。
「そこだ。行け」
熱を持った言葉は、土方のもの。
ちらと横に目を流すと、土方は俺の視線など気にも留めず、夢中な童のように一点、山南さんだけを見ていた。
ゆらり、と不用意に前に出た山南さんめがけて、左之助の突きが放たれる。
土方が、言う。
「
脱力した山南さんは、風に舞う木の葉のように槍を躱した。……そして、前傾したまま一歩、左之助と槍の間にぽっかりとできた空間へ潜り込んだ。
上背があり、腕も太く長い左之助の唯一の弱点は、上段から振り下ろされる槍と左之助の体の前にできる大きな空間……土方が指す「洞」だ。
長尺の槍では、懐に入られてしまうとすぐに防御へ切り替えることも難しい。細かな技術で攻めるよりも力で薙ぎ払うことを優先させる左之助であれば、尚更だ。
満身創痍の山南さんは、左之助の洞に侵入することだけに集中していた。前屈みの姿勢で体を圧縮し、掠ることも許されない攻撃を紙一重で避け……いま、防御ができない巨躯が目の前にある。
「……ふッ!」
空へ伸びるような軌道で、山南さんの木刀が左之助に向かう……
骨を打つ、鈍い音。
そして、静寂。
……引き裂いたのは、佐川氏の声だった。
「第二仕合、勝者は……原田左之助!」
左之助は仁王立ちをしており、山南さんは膝立ちの姿勢のまま動かない。
左之助の右手には木槍がしかと握られて、山南さんの両手は空だ。
山南さんが左之助に止めを刺したはずの木刀は、地面に転がっている。
「ありえねぇ……」
俺の口から言葉が溢れた。数秒前の決着の瞬間から、周囲の誰もが口をあんぐりと開けたまま固まっていた。
山南さんの最後の攻撃は、確かに左之助に直撃した。しかし、左之助はただ打たれたのではない。
一歩下がっても避けられぬと悟った左之助は、向かってくる木刀めがけて頭突きで迎撃した。髪の生え際と眉間の中間をぶつけて、山南さんの手から木刀を叩き落としたのだ。
会津式に落とし込むと、武器を落とした山南さんの負けで……額から血を流し、立ったまま気を失っている左之助の勝利だった。
ぐら、と、巨体が傾く。
左之助が倒れていく場所には、山南さんがいる。
「……天晴れ。原田君」
ふわり。
柔らかく、優しく、山南さんは左之助を受け止める。体重全てを抱えることは厳しく、それでも大事には至らないよう首に手を添えて、左之助を静かに寝かせた。
「山南。この決着に、異は立てぬか?」
松平公が、頰の砂をぐいと拭いながら尋ねる。
「稽古の場であれば、原田のやり方は無法もいいところだろう。真剣勝負の場であれば、原田は目を回すだけでは済まないはずだ。九割九分、おまえの勝ちだ」
「……ただ、この仕合の場で一縷の勝利を手繰り寄せたのは、原田君です」
山南さんは手本のような所作でこうべを垂れる。
「勝利条件は決定打を与えることでなく、相手の手から武器を落とすこと。私は、最後の一撃で勝利を確信してしまった。あの状況でも勝利を目指し、勝ち筋を探り続けた原田君の頭突きに、対処することができなかったのです」
何より、と繋いで、山南さんは左之助に視線をよこす。……木槍を握ったまま、拳に血管を浮き上がらせている、左之助に。
「彼は気を失っても尚、武器を手放していない。彼はきっと、無意識の中でまだ戦っているのでしょう」
「生粋の武人、原田左之助か。まさに不死身の槍遣い……」
松平公は微笑を浮かべたまま、山南さんに向き直る。
「山南敬助。磨き上げられた剣には、目を見張るものがあった。紙面の上でおまえは負けたのだろうが、そこに記せぬ価値ある勝負を見せてもらった」
山南さんは、姿勢を崩さず言葉を受け取る。それからぱっと顔を上げ、松平公を見据える。
「恐れながら、会津候」
「うん?」
「あなたの築く会津のご威光は、長らく私の目を眩ませておりました。それを正してくださったのも、会津候でございます」
「…………」
「会津候も、私も、いまを生きる人間である。もう、あなた様をただ尊ぶだけではありません」
言い終えてから、山南さんが初めて慌てる。
「……ふ、不敬を、お許しください」
「許すも許さんもない。それで良い、山南」
松平公は小さく頷いて、締めの言葉を山南さんに送った。
「徳川のため、励んでくれ。いつか、力を要する時がくるやもしれんからな」
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