原田左之助 対 山南敬助 動

 ゴッ……


 鈍い衝突音に、俺を含めたほとんどの者たちが目を瞑った。


 瞼を開き、次に目に入ったのは……一閃を食らわせた山南さんが、慌てて飛びのく姿だった。


「っ……てぇなぁ、やっぱりよォ」


 左之助が顔を歪めている。しかし、それは痛みからではなく愉快さによるものだった。


 ぶらり、左之助は左腕を揺らした。筋肉で盛り上がる手首の上部が薄い赤色になって、痕ができている。


 隙を突いた山南さんの一撃は、腕一本で弾き返された。


「原田君、無茶を……」


「かははッ。真剣じゃあ骨まで斬れちまったか? 木刀なら、痛ぇだけだからよ」


 言いながら、左之助は右手だけで木槍を構えた。


「!」


 山南さんが目を見開いた瞬間、左之助の槍は半月の弧を描く。


「ッとと……利き腕とはいえ、慣れねぇなぁ」


 左之助はよろけた。距離を開けていた山南さんは、弾けるように飛び出す。


 あからさまな隙を見せた左之助だが、にやり、と笑った。


「なんて、な」


 中段から、弾のような突きが放たれた。前に出ていた山南さんは、いなしきれない。


 ズン、と、槍先が脇腹に沈んだ。


「ぐ……!」


 山南さんは後退し、突かれた場所を左手でおさえる。


 左之助には、まだ余裕がある。反対に山南さんが汗を流し、構えを固定する。


「おいおい、こんなもんかよ。山南ぃ!」


 咄嗟に足を引く山南さんの鼻先を、風が掠める。片腕での木槍の扱いを把握した左之助は手の甲に青筋を浮かべながら、仕合開始直後となんら遜色ない攻勢を仕掛けていく。


「ありえねぇだろ、あいつ……」

「まったくだ」


 俺の声を拾ったのは、土方だ。


「山南の野郎、腑抜けた仕合をしてやがる」


「はぁ?」


「おまえにも見えただろ、新八」


 チッ、といつもの調子で舌打ちをしてから吐き捨てる。


「あいつは振り抜かなかった。左之助に直撃する寸前で、木刀を止めたんだよ」


 そう。山南さんは、左之助の体に木刀をぶつけることを躊躇した。


 振り切った木刀であれば、骨にヒビを入れるくらいはわけない。


 稽古の時から寸止めもせずに暴れまわるのはせいぜい土方や沖田くらいで、山南さんは常日頃から相手の体を力の限り叩くことを避けていたはずだ。


「骨が砕けるまで、負けはねぇ。それが試衛館流だってのに、腰抜けがよ……」


「……そいつは、あんたや俺の考え方だろうが。じゃあ、なにか? 左之助の腕を叩き折ればよかったってのか?」


「あぁ。少なくとも、左之助にはその覚悟があった」


 土方は、左之助を一瞥する。奴は山南さんを牽制しながら、空けている左手で何度か拳を作っている。腕の痛みを体に馴染ませているようだ。


 土方の見立ては確かだ。左之助は、完全に虚を突かれた山南さんの一太刀を、左腕で受けるだけにとどまらず、さならがふた振り目の刀でも引き抜くかのように、左腕で木刀を弾いてみせた。


 側面から刀に強い負荷を与えて、ポッキリと折らせる無刀流……などとは言えない。あまりに粗暴すぎて、何より誰にも真似ができない。

 左之助の常人離れした筋肉と骨の硬さがあって初めて可能となる、滅茶苦茶な戦い方だ。


「この仕合の場では、山南さんの立ち回りが正しい。やりすぎてんのは、左之助だ」


 俺の擁護に対して、土方は浅く頷く。


「んなことは百も承知だ。だが、いまは左之助の優勢。これが現実だろう」

「…………」


 歯を食いしばって踏み出す山南さんを、俺はじっと観察する。


 左之助と比べて、山南さんが足りないとは思わない。寧ろ、技術では圧倒している。

 松平公の御前で自身の剣術人生を証明せんと、手本どおりに突き、受け、薙いでいる。しかし、山南さんの劣勢は覆らない。


 呼吸を荒げはじめた山南さんに、左之助が眉根を寄せる。


「窮屈な剣だなぁ。山南」


 左之助の言葉に深い意味はなく、しかし正鵠を射たものだった。


 山南さんの戦い方は、模範的だ。槍に対する守り方も攻撃への転じ方も見とれるほどの完成度なのは間違いない。

 誰もが思い描く理想的な立ち回りで、それ故に、予測し易い。


 相手の木刀に腕で攻撃し返すような意外性の余地が、山南さんの剣にはないのだ。


「ま……そいつもあんたの強さだから、とやかく言わねぇけどよ」


 ぐぅん。


 左之助は大袈裟に木槍を頭上で回転させてから、両手に収める。左手にはもう違和感がないようで、右手は柄の中腹、左手を穂の根元に添えた。

 奴が最も得意な型で、構えを固める。


「今日のところは、俺が勝負をもらうぜ」


 対峙する山南さんだが、腹に響く鈍痛から回復しきっていない。このまま、負けてしまうのか。


 事もあろうに、会津藩主の御前で……


「山南」


 すぱり、と、周囲の喧騒を断ち切るような声は……松平公のものだった。


 松平公は、腰掛ける姿勢から膝を地面につける格好になっている。両手を砂にぺたりとつけて、汚れた手を眼前に掲げた。


 山南さんと、左之助も松平公に目を向ける。


 それを受けて、松平公は自らの頰に砂を擦り付けた。


「殿っ?」


 佐川氏が目をひん剥いている。突然の奇行に、止めることもかなわなかった。


 松平公が砂利の色になった顔で、唇を吊り上げる。……まっすぐ、山南さんを見据えて。


「ほら、見ろ。これが御尊顔とでも申すのか?」


「あ、会津候……」


「私はここにいる。おまえもここに立っている。私はおまえたちを見下ろさぬ。なれば……おまえも、私を見上げてくれるな」


「……!」


 山南さんがハッと息を飲んだ。仕合の最中に、左之助から目を離したまま、固まっている。


「妬けるじゃねぇかよ。こっちを見ろっての、よッ!」


 冗句とともに、左之助が山南さんに仕掛ける。肩と腕の付け根を狙いすました一撃だ。


 山南さんは、受けるでもいなすでもなく、膝から落ちた。

 おかげで左之助の突きは耳のすぐ横を通過し、直撃を避ける。


 両膝が地面に着く寸前で、山南さんは脚を広げて上体を支える。左の膝だけ立てて、木刀の切っ先は砂に跡を描くほど下げている。


「北辰一刀流に、そんな構えあったかよ?」


 左之助が尋ねると、山南さんは目を細める。


「いいや。これは……そうだね。試衛館流、かな」


 張り詰めた空気の中、俺は寒気に襲われる。


 蛇を連想させる下段の構えは、土方や沖田が作り上げた、喧嘩剣法のそれだった。

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