井上源三郎 対 藤堂平助 締

 胴への一撃を、源さんはかろうじて弾いた。


「っ!」


 手の痺れに源さんの顔が初めて歪むと同時に、平助が突きを繰り出す。


 源さんは首をもたげる格好で難を逃れる。木刀の根元を払って距離を取らせようと図るが、今の平助はその程度では止められない。


「ふ……ふ……!」


 短く息を吐く律動に、一つ薙ぐ。攻撃を重ねるたび、速度が上がっている。


「平助、あいつ……」


 血走る平助の目を見て、俺は奴の思考を読み取ってしまう。


 呼吸が切れてしまうなら、吸わなければ良い。血が巡らなくなる前に、この連続攻撃で源さんの防御をこじ開ける。断固とした決心が、平助を加速させる。


 ビキ……!


 先に悲鳴をあげたのは、源さんの木刀だった。平助から食らう打撃は確かに蓄積されていたようで、攻撃を受けた瞬間に源さんの手の中で芯から振動する。


 俺にも覚えがある。根を上げ始めた木刀を打たれると、その衝撃はびりびりと、手のひらを鋭く刺す痛みに変換される。ここにきて、源さんの強固な守りに初めてヒビが入る。


 源さんが一歩たじろぐ。とうとう相手を開始位置から動かした平助は、二歩、前に出る。


 中段から小手を狙う平助の攻撃を、源さんは稽古の通りに受け流す。

 つんのめる平助は、もう止まらない。源さんの両足の間に、ダン! と進み出た。


「く……!」


 体ごと衝突する平助に圧されて、源さんは横へ飛び退いた。


 距離を置いて、源さんが改めて防御姿勢を組む。左足を軸に右回りで体を回し、平助と向かい合う……


 その瞬間、源さんの眼前から平助は消えていた。


「……とった」


 絞り出した言葉は、源さんの背に届く。


 振り向いた時には、もう遅い。

 平助の木刀が、上段から振り下ろされる!


 ガラン……!


 木刀が落ちた。源さんの手が、空になっている。


 源さんは平助の一振りが体へ直撃することを避けるため、咄嗟に背後へ木刀を向けた。

 しかし、体勢も崩されてしまったからには堅さなど形無しで、木刀は源さんの両手から打ち落とされたのだ。


「勝負ありっ! 第一仕合、勝者は……藤堂平助!」


 佐川氏の怒号にも似た締めの口上が聞こえて、ようやく平助が止まる。


「おぉ! やりやがったな、平助! 賭けは俺の勝ちだぜ!」


 左之助は、興奮に声を大にする。


「バカか。ンなことより、平助の最後の体運び、見たかよ」


 平助が源さんの背後を取った一瞬に、俺は平助の本能を見た。


 源さんは相手の正面を取る時、左足を軸に、右回りで体の向きを直す。攻撃を待ち構える源さんの隙は、体勢を整えるまでの間しか生まれない。


 決死の攻撃に出た平助は、極限の中、源さんが体を回す瞬間に突っ込んだ。……源さんの左足の外にある、瞬きをするほどの間にのみ現れる死角に平助は飛びこんだ。


「……ぶ、はぁッ! はッ、は……ぁ!」


 未だ呼吸を荒げている平助は、源さんの背後を取ったカラクリになど気づいていないだろう。同じことをやってみろ、と言っても、きっと不可能だ。


 しかし、御前仕合で勝利したのは紛れもなく平助。源さんの防御を見事に打ち砕いて見せたことは、麒麟児の片鱗を示すに十分だった。


「は、ぁ……う、ぐ……」


 勝者となった平助は、しかし、ぐらりと揺れた。足元がおぼついておらず、目の焦点もあっていない。


 とうとう、ぷつんと糸でも切れたかのように、前のめりの姿勢で倒れていく……。


「平助」


 受け止めたのは、源さん。

 木刀を拾い上げるよりも先に、平助の体を腕一本で支えた。


「勝者が倒れてどうする。ほら、シャンとしろ」

「源さん……」


 身を委ねながらも、平助は先の挑発を思い出し、源さんから目を逸らす。


 その方向には、松平公が座っている。満足そうな顔で、平助に向けて頷く。


「藤堂、見事だ。速度と手数を重ねがけた高速の連続攻撃は、お前だけの武器であろう。魁役として稀有な才能を見た。……引き続き、精進せよ」


「あ、その……あ、ありがたき、幸せ、ッす……」


 しどろもどろと、ぶつ切りの謝意を述べる平助。礼節すら未熟な様に、俺や近藤さんは肩をすくめた。


 松平公は、いち早く下がろうとする源さんを呼び止めた。


「井上」

「は」


 俊敏に座を正し、松平公の言を待つ。続く問いは、不可解なものだった。


「お前は『何処で』戦っていた?」


 何処で……? その言葉の真意を理解していたのは源さんのみで、間髪入れずに言い切った。


「桜田門でございます」


 ぴり、と、松平公の護衛たちに緊張が走る。


 井伊直弼大老が水戸藩浪士強硬派に惨殺された『桜田門外の変』が起こったのは、たった二年前。幕府中枢に関わる会津藩の者であれば誰しもが口にすることも避けるような大事件を、源さんは今回の仕合の引き合いに出した。


「詳しく、話してみてくれ」


 松平公が促すと、源さんは背筋を伸ばして答える。


「此度は、会津侯が駕籠でご移動の折、警護の任を受けた我々は襲撃を受けた……と、仮定しました。警護役としてなすべきことは、動かざる山の如く、駕籠を背にして一歩も引かずに守りきることであると、結論づけた次第です」


 顎に手を当てる松平公が、ちらりと平助を流し見る。


「では、井上。藤堂を利用して、この場で試したということか?」

「はい」


 源さんは悪びれもせず頷き、言った。


「平助のごとき、神速の剣士を相手取って通用するのか。それがわかって、初めて実戦に活かすことができますので」


 ……こんなことを大真面目に言うのだから、俺たちは源さんを憎めない。


 あの行き過ぎた消極的戦術に、そんな目論見があったとは。要人警護のための防衛剣法。源さんは、会津藩主の前でこそ披露すべき剣を貫いたのだ。


「食えぬ男だな、井上」


「お褒めに預かり、光栄至極にございます」


 堅苦しい受け答えに、松平公は一つ大きく頷いた。


「……三文芝居でお前を侮辱して、済まなかったな。平助」


 戻る折に、源さんは平助の背に手を置いた。


 ぶすっとしたまま眉根を寄せている平助が、口を開く。


「許せねぇッすよ」


 握った拳を、平助は自分の胸にどすんと叩きつける。


「源さんにあそこまで言わせなきゃ、本気出せなかったとか……ンな甘ったれな俺を許せるわけ、ねぇッすよ!」


 平助は、源さんを睨むように見上げた。その瞳の奥には、清らかな炎が灯っている。


「また、手合わせお願いします。源さん!」

「あぁ。俺でよければ、いつでも相手になろう」


 源さんが軽く肩を組むのを「会津候の御前じゃないンすか!」と、平助は嬉しそうに拒む。

 並んだ背中は、年の離れた兄弟にも、親子にも見えた。

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