井上源三郎 対 藤堂平助 動

「はぁっ、はぁっ、……」


 仕合開始の怒号から、幾らか時間が経った。平助は肩で息をしていて、源さんもうっすらと汗を浮かべている。


 今こそふたりは見合っているが、膠着状態で仕合が進んだわけではない。


 平助は攻撃の手をまるで緩めなかった。相手を惑わすために左右へ足を運び、一撃を叩き込んではしゃかしゃかと動き回る。


 平助の攻撃の数は、既に数えきれない。どれも修練に裏打ちされた有効打ではあったが……源さんを崩すには至らない。


 そして、攻めあぐねた平助の足は、とうとう止まってしまった。


「こっから、源さんの独壇場だな。平助の野郎、賭け分はあいつに出させるか……」


 左之助は軽口を零していた。いちいち反応はしてやらないが、言葉の通り、勝負はほとんど決まってしまっている。


 平助の弱点は、速攻型に偏りすぎていることだ。


 初太刀からの連続した打撃は、規格外の沖田を除き、試衛館の中でも最速と言って良い。その電光石火の戦い方は確かに脅威で、真剣同士の斬り合いにこそ真価を発揮する特攻剣法に違いない。


 しかし、木刀を振るう仕合の場では、平助の持続力のなさが露呈してしまう。


 勝手知ったる間柄の俺たちは、平助との戦い方を熟知している。初めから五撃目までを凌ぐことに集中し、それ以降は精彩を欠く攻撃をさばき、隙を生み出す。


 無論、五撃目までを防げずに転がる奴等がほとんどだが、今回はさすがに相手が悪い。


 源さんの年季の入った堅牢な剣を打ち砕く為に、平助の剣はまだまだ熟していなかった。


「御前仕合でそこを突いてやるってのも、酷なもんだけどな。それも本気が故、か……?」


 ぼやいて、俺は顔を上げる。


 勝負は、まだついていなかった。

 息も絶え絶えな平助と、呼吸を整えた源さん。優位は明らかだが……まだ、続いている?


「なに焦らしてんだ、あいつ?」「もう、若い方は虫の息だろうに」「ここまで耐えて、まだ守りに徹するのか……?」


 周囲から疑念の声が上がるが、源さんは不動のまま。


 ……そう。動かない。源さんは、仕合開始から一歩たりとも動いていなかった。


 攻撃のために動いたのは、初撃を払った後の一振りのみ。そこからただただ防御一辺倒になるまでは、作戦として理解ができる。


 しかし、ここまで平助を消耗させても尚、源さんは動かない。浅い呼吸をしながら、平助の攻撃を待ち続ける。


「どういう、つもりッすか。源さん……」


 とうとう、平助が口を開く。木刀の重さに腕をあげることもままならない様子だが、源さんが攻撃に転じないことで言葉を発するまでは回復しているようだ。


「なんで、攻めてこないンすか。こんな、間延びした仕合、したくねぇッすよ……!」


 立ち合いの相手である平助から詰問されても、源さんの表情は変わらず、その場から動くこともない。


「源さんッ!」

「平助。敵に喋りかける剣士が、どこにいる?」


 源さんが、言葉を差し込む。


「会津候の御前だぞ。集中しろ」

「……ンな戦い方をしている源さんに、言われたくねぇッすよ!」


 二歩、平助は踏み込む。……浅い。その上、狙いの軌道が目で追えるような単純な攻撃だ。


 源さんは、切っ先で払うようにして平助の攻撃を受け流す。つんのめる平助の脳天が、源さんの前に晒された。


 その瞬間、源さんが木刀を振り下ろす。


「!」


 平助は肩から地面に転がることで、かろうじて躱した。スカされた源さんだが、左足を固定したままに右回りに体の向きを変えて、平助に向かい合う。


 追撃はしない。


 滝のような汗が流れる平助の頰に、砂利がへばりついている。平助には、それを拭う余裕も残っていない。


「むごたらしいな。あの、井上という男」


 どこからか、吐き捨てるような声が聞こえてくる。


「卑怯とまでは言わんが、見ていて快くない」「あぁ。老獪な戦法だ」「弄ぶようなやり方は、好かんな……」


 好き放題に貶す群衆の声は、きっと源さんにも届いている。


「この仕合だけ流し見て、源さんを語れるかよ。阿呆ども……」


 隣の左之助にも聞こえない声で、俺は地面に吐き捨てる。


 普段の源さんは、類を見ないような人格者だ。誰より早く道場に顔を出し、稽古を欠かさない。その上で沖田の家事や道場の掃除の手伝いを買って出るから、帰りは誰より遅くなる。

 試衛館道場での日々を知らない奴等に、源さんを貶す資格はない。


 ……しかし、源さんは信じられない行動に出る。


「平助。なぜ攻めないのか、答えてやろう」


「え……」


「お前ごとき、攻めずとも勝つのは容易い。それだけだ」


「……!」


「間延びした仕合をしたくない? お前が俺を打ち崩せないことを棚に上げて、何様だ? 正直に言えばどうだ。醜態を晒すことが恥ずかしい、と」


 源さんは、つらつらと平助に暴言をぶつける。温厚な源さんが、狐に取り憑かれたように底意地の悪い笑みを浮かべている。


「仕合を続けたくなければ、負けを認めたらどうだ? 簡単だぞ、ほら……」


 カツン、と、源さんから木刀同士をぶつけた。

 挑発的な行為に、周囲の空気が澱んでいく。佐川氏すら眉を顰めている中、松平公だけは表情を崩すことなく仕合から目を離さない。


「…………」


 平助は自分の爪先に視線を落としたまま、じりじりと進み……源さんの射程圏内に入る。木刀は、だらりと下げたまま。

 項垂れる姿勢の平助は、首を差し出すかのように源さんににじり寄る。


「……ふッ!」


 一息吸い込み、源さんが木刀を振り上げる。平助の肩を打ち、木刀を落とす算段だろう。


 後味の悪い決着に、目を背ける……


 ガツンッ!


 激突音に、視線を戻す。


 源さんが振り下ろした一撃を、平助が右へ薙ぐ形で防いでいた。


 ……平助はまだ、二十にもなっていない。麒麟児、などと言われるだけに飲み込みは早いが、剣と奴自身にはまだ粗が多い。


 平助は確かに未熟な剣士だ。

 しかし、未熟なままに試衛館の選抜に選ばれているのも、事実。


 青い炎が炸裂するかのように、いま、平助は若さと怒気に駆られて顔を上げ……深く、踏み込む。

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