1862 府中六所宮御前仕合

試衛館剣客番付

 一八六二年、八月。蝉の声が地面に反射して聞こえてくるような、夏盛り。


 府中六所宮にて、試衛館四代目襲名披露が開かれた。一門は膝を揃えて、近藤勇の大舞台を見上げていた。


 しゃちほこばった近藤さんに笑えたくらいで、式典は乱れることもなく閉幕に向かっていた。しかし、六所宮には人だかりがちらほらと出来上がる。上背のある男たちばかりで、帯刀している者も少なくない。


「集まってきましたか」


 すぐ横で座を正しながら、奴は言葉をこぼす。


「式が終わるまでは黙っていろよ。……斎藤」


 奴は俺の忠言に下を向く。無造作でそろえられていない髪が、双眸を隠した。


 ちょうど近藤さんが降りてきて、襲名披露は締めくくられる。


 ……と、同時に俺たちは立ち上がる。傍から木製の刀や槍を差し出され、握るのは俺を含め、八名。


 石畳に並んで、俺たちはただ一点を見る。


 細かな砂利の上に腰を据える細身の丈夫は、薄く笑みを浮かべていた。


 *


「御前仕合?」


 俺は、頭から水を被りながらそれを聞いた。聞き違いだろうと振り返ったが、声の主は眼鏡の位置を直してから頷いた。


「えぇ。きたる近藤先生の襲名披露にて、我々試衛館一門による仕合を開催することとなったのです」


「サンナンさん。それは前から知っているよ」


「あ、そうか。すまないね、新八君」


 なんて、バカ丁寧に言って眉を垂らす、山南敬助。


 文武両道を人に描いて出てきたような傑物は、田舎道場にいようと整った居住まいを崩さない。懐から紙を取り出し、その上に目を滑らせていく。


「問題は、何の『御前』かってことだろう?」


 言って、山南さんの手から紙をひったくったのは、筋骨隆々な大男。


 原田左之助が、ぐしゃりと掴んだ紙を流し見る。


「……読めねぇな」


「おまえが雑に扱うからだろうに」


 諫言とともに現れたのは、井上源三郎。雑巾を手にしており、道場の掃除の途中に俺たちの会話が聞こえてきたようだ。


 山南さんは、穏やかな顔のまま左之助と源さんを交互に見る。


「構いませんよ。それは言伝の写しだから」


「ことづて? 誰からッすか?」


 俺の向かいで水を浴びていた小柄な男が、左之助の手元を覗き込む。


「おい、平助! 濡れたまま寄るんじゃねぇ!」

「いいじゃないッすか。どうせ左之さんもこの後に浴びるンでしょう?」


 前髪から水を滴らせたまま左之助と肩を組むのは、藤堂平助。一番の年少者らしからぬ図太さと人懐こさに、左之助は小突くだけで済ませる。


「今回の話を僕は、斎藤君から聞いたよ」


「斎藤……って、一、ですか?」


 平助が目を白黒させている。意外な名前に、俺も言葉を挟む。


「あいつ、試衛館に来ていたのかよ」


 ふた月に一度顔を見るような根無し草、斎藤一。何の前触れもなく道場にやってきて、気づくといなくなる珍客だ。


「俺は、顔を合わせなかったぞ」


「新八と左之助、あと平助は一昨日の夜、久方ぶりの酒だって浴びるように飲んで、潰れていたじゃないか」


 源さんは呆れ顔で続ける。


「一は新八たちが眠った後に来たんだよ。飯を一杯口にして、酒も飲まずに布団に入り、おまえたちより先に起きて、またふらりと出てしまった」


「夜来て朝に発つなんて、水臭ぇな、一の野郎」

「左之さんは、まだ酒臭いッすよ?」


 平助の軽口に喉を鳴らして笑い、山南さんは再び眼鏡の位置を直す。


「なんでも、幕府要人が取り決めた六所宮へのご参拝が、近藤先生の襲名披露と重なったことが発端だとか。警護も含めると大所帯になりますし、しかしこちらも式典です。日をずらすよりも、襲名披露も見てやろうって話にまとまったそうで……」


 山南さんの説明に割って入るのは、左之助。左之助は顎鬚を引っこ抜きながら言った。


「なんだって、それを一が知っているんだろうなぁ?」


「あいつは、底知れない奴っすからね」


 平助は、まるで自分のことのように胸を張る。元々、斎藤を試衛館に引っ張ってきたのは同い年の平助で、勝手に兄弟子面をしている。


「近藤先生は、なにか知らないンすか?」


「いま、当日の段取り合わせで出ているよ。それに、斎藤くんから話を聞いた時に近藤先生も同席していたから、持っている情報は同じだ」


「じゃあ、誰が見に来やがるのかってのもわからねぇか。せっかくなら藩主様くらいに来てもらわねぇと、御前だなんて名前負けだなぁ」


 左之助が顎を持ち上げてあくびをする。こんな冗談を本気で言っているのだから、たしなめる気も失せてしまう。


 ……しかし、左之助の不敬な物言いは瓢箪から出る駒となる。


 *


 会津松平。徳川統治二百五十年の中で、不変を誇る幕府への強固な忠義を示す、押しも押されもせぬ大名跡。


 家督を継ぐ者は同時に会津藩主の肩書きを背負い、幕府を衛る刃となるか、はたまた敵を砕く鉛玉となるか。


忠君・会津松平の在り方は、日本中の武士の常識となっている。


 徳川幕府を支える松平の男児は代々、熊をも喰らう猛者ばかり……なんてのは、法螺話だった。


 いま、俺たちの仕合を待ち望む中肉中背の美丈夫が、第九代会津藩主、松平容保公だと言うのだから。


「……あの坊ちゃんが、どの会津の、誰だって?」


 右隣の左之助の軽口に、俺は横腹をつついてやる。


「左之。おまえの注文通りになったな。藩主様の前での、御前仕合だぞ」

「は、は」


 左之助は、ぎぎっとサビでもついているかのような鈍さで笑った。


「……これより、御前仕合を執り行うッ!」


 向かって、松平公の右に控えていた大木のような男が、野太い声を張り上げる。


 立ち上がると俺より頭二つは上背があり、小ぎれいな着物の隙間に見える腕やら胸元は剛毛に覆われている。

 豪胆な性分がにじみ出るこの人物も、名門会津が輩出する忠義の武士。俺たちは無論、この場に集まる者の中に彼の名を知らぬ阿呆はいない。


「此度の仕合を取り仕切るのは、会津松平家直下、別撰組が頭取、佐川官兵衛である!」


 人情に厚く、忠義のために命を賭ける生粋の会津武士・佐川官兵衛氏は、周囲の者たちを熱狂に飲み込んだ。男どもは漏れなく、佐川氏に釘付けになっている。


「このたび選出されたのは、八名。合計で四戦を行い、それぞれの仕合での勝敗を決する。敗北条件は、会津式を取らせてもらう」


 会津式? 疑問が顔に出てしまった俺に、佐川氏は歯を見せて笑ってくる。


「会津であればどれだけ小さな町の道場にも通ずる、単純な取り決めだ。敗北条件は……武器を手放すこと、である! ……裏を返せば、それ以外に制約はない。剣術が七、槍術が一。己が力の証明のため、目の前の相手を捻じ伏せろっ!」


 びりびりと、佐川氏の声は腹に響く。重い電流に、俺をはじめ、調子乗りの左之助さえ唇を引き結んでいる……。


「御前で剣を振るう我々に、恩賞はいただけぬのですか?」


 など、軽口を言う間抜けが俺たちの中にいるとは、想像だにしていなかった。


「会津候。この仕合にて、あるものを頂戴したく」


 一歩前に躍り出たのは……奴だ。


「殿の御前にあるぞっ! そのような口の利き方……!」


「官兵衛。構わないよ」


 と、松平公は短く制し、佐川氏を収める。


「君の名は?」


 松平公が菩薩のように眼を細め、尋ねる。


「……斎藤一、です」

「さいとうはじめ? ……あぁ、そうか」


 松平公はふくふくと笑う。


「斎藤。言ってみてくれ、私になにを求める? 大した裁量ではないから、与えられる恩賞など高が知れているが……」


「恐れながら、あなたにこそ戴ける代物かと」


 奴は襟を正して、言った。


「我らが誠の武士であると、お認めいただきたい。会津候のお墨付きとなれば……この世で、それに勝る証左はありません」


 地位でも報酬でもない。目に見え、象られるものなどで、満足などしない。


 傲慢なまでに誠実に、武を極める勇士たるべし。


 試衛館門下の剣客たちの根底に根付く、絶対理念である。


 藩主の眼前で大風呂敷を広げる奴の肝の太さには敵わぬが……奴を先頭に、俺たち八名は松平公をまっすぐ見据える。


「相分かった」


 松平公の穏やかな声音にも、緊張の糸は解かない。


「その言に見合う仕合を、見せてくれ」


 手の中の木刀を握る。手のひらとの境界線をなくすように、強く。

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