近藤問答録 ⑦

「ソウ……もう、泣くな」


 河川敷に転がる勝五郎が、側に膝をついて泣きじゃくる沖田の頭を撫でる。


「先生……歳さん……なんで?」

「うん?」


 勝五郎は破れた唇で、笑顔を作る。


「なんで、先生、戦わないの? あんな人たちに、先生とトシさんは、負けるわけない、のに……!」


 ぼろぼろと、沖田の目から地面に涙が吸い込まれていく。


 勝五郎は、赤黒く変色した口角を指で突きながら、言う。


「ソウ。おまえには、杭が見えるか?」


「くい……?」


 鼻頭を真っ赤にした沖田は顔を上げる。


「百姓、農民、女。生まれた時に神や仏が決められたことは、杭となって、俺たちをこの世に繋いでいる」


 上体を起こした勝五郎は、鉄の味の唾を吐く。


「俺には、見えた。彼らも、錆びた杭で繋がれていた」


 言った勝五郎の表情は、怒りや憎しみではなく、憐れみを写したそれだった。


 天下泰平を求めた戦国から見た未来に、勝五郎たちは生きている。確かに安らかな世に間違いない。

 剣術は命のやり取りではなく、出世の計りの一つとなった。


 徳川幕府の統治は二〇〇年を超え、武士が死に物狂いで築いた泰平の上に胡座をかき、腐ったのもまた武士だった。


「あれが武士だというのならば、私は武士になど、なりたくありません」


 ぐ、と着物の胸元を抑えながら、沖田は心の内を吐露する。


「近藤先生。武士とは、なんですか?」


「そう、だな……」


 勝五郎は空に手を伸ばした。


「今日、この時は……おまえを守る者が、武士だった」


「私を、ですか?」


 勝五郎はゆっくりと手を下ろして、沖田の髪を撫でる。


「世に打ち付けられた杭を千切ってでも、誰かを守る者を、誠の武士と呼ぶのだろう」


「かッ……」


 上体を起こす土方が、血の混じった痰を吐く。


「くっだらねぇ綺麗事だな、勝っちゃん」


「だな」


「このボロ雑巾が、武士ってことかよ。目指すべき、果て……」


 土方は続ける。


「……これだけ汚れると、綺麗事が美しく見えて、しようがねぇ」


 土方が、口元を手の甲で拭う。砂利と自分の血をじっと見つめて、言う。


「武士が、歴史の中に消えたのなら……俺たちが、誠の武士になってやる」


「歳さん……」


「撤回しろ。馬鹿ソウジ」


 土方は、沖田に指を突きつける。


「オレは、あいつらに負けてねぇ。骨が砕けるまで、負けはねぇ」


「あぁ。それが、試衛館流、だな」


 勝五郎が土方に並んで、肩を組む。互いに支え合わねば立ち上がることもできない男たちの、精一杯の強がりだった。


 よろよろと進む勝五郎と土方の背に、沖田は飛び込んだ。


「近藤先生。歳さん。これからも、私を守ってください」


 鼻をすすって、沖田はふたりの腰に回す腕に力を込める。


「その代わり、私が二人の背中を守ります」


 ソウは、最後の涙を拭った。


「強く、なります。近藤先生のように正しく、歳さんのように徹底的に。私も、誠の武士になります」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る