近藤問答録 ⑥

「え」


 よろけた沖田が次に見たものは、男の竹刀が勝五郎の顔面に叩き込まれる光景だった。


 ぼと、ぼと、勝五郎の鼻から血が玉になって地面に垂れる。横から薙ぐような二撃目に、左の瞼が腫れ上がる。


「は、はは! なんだ、竹刀を合わせることもできないか、腰抜け!」

「農民上がりが、指南してみせろよ!」


 狂気に浮かされた男たちは、勝五郎を取り囲む。彼らの竹刀は、自己研鑽のためでなく、ただ拳の代用品として握られている。


「やだ。なんで、近藤先生……」


 袋叩きにされる勝五郎を前に、沖田は固まっている。勝五郎の竹刀を地面に落として、両目から涙だけが流れている。


「見ろ。これが、田舎道場の限界だ」


 男が、沖田の前にしゃがむ。


「実戦は稽古の通りにいかないということを、今、教えてくれているぞ? 道場であぐらをかいていただけだな、おまえの先生とやらは……」


「…………」


 沖田が、竹刀を拾い上げる。


 勝五郎の体躯に合わせた長さと重さに戸惑ったのは、一瞬。


 柄を右手だけで握り、左手は弦の根元に添える。


 全身の筋肉を圧縮させ、沖田は男に向き直る。


「……んッ!」


 そのまま、体ごと特攻する。

 男が土ぼこりに目を瞑った瞬間に、沖田は懐に潜って、喉を垂直に突き上げる……!


「げ、ほッ」


 激痛に痰を吐くのは、弱腰で目を剥く男では、ない。


「歳、さん?」


 沖田の突きを喰らったのは、土方だった。


 無論、沖田が目測を誤ったわけではない。寧ろその目測は精密で、寸分違わず男の喉仏を砕いていた。


 ……土方が、沖田と男の間に割って入らなければ。


「……馬鹿ソウジ。竹刀を振り回すんじゃ、ねぇよ」


 塞がった気道をなんとかこじ開けて言うと、土方は沖田を鼻を指で弾く。


「こ、このガキ! 俺に突きを……!」


 尻餅をついた男の喚きを聞いて、土方は舌をべろりと垂らす。


「あんたには、今のが突きに見えんのか? オレには、こいつがただけっつまずいただけにしか、見えなかったけどな」


「詭弁だ! あいつは確かに、俺を攻撃しようとしたぞ!」


「なんだよ。講武所じゃあガキの剣術ごっこと喧嘩の違いも、教わらねぇのかよ?」


 挑発に、男は反射的に竹刀を振り回した。めちゃくちゃな型のはずが、運だけで鳩尾に入り、土方は膝をつく。


「歳さん……!」

「っ、ソウジ。竹刀は、落とすんじゃ、ねぇ」


 駆け寄る沖田に倒れこむ土方は、彼女の耳に囁く。


「堪えろ。勝っちゃんが手ェ出さずに打たれているのに、それをおまえがぶち壊す気かよ」


「なんで……?」


「……一番弟子、なん、だろうが」


 髪をくしゃっと掴んで、土方は沖田に命じる。


「首突っ込まねぇで、それ、守っていろ」


 有無を言わさぬ気迫に、沖田は竹刀の弦を抱いて離さない。


「んだよ。素直に言うこと、聞けるんじゃねぇか。……ソウ」


 土方はこの時に、初めて沖田の名をからかうことなく呼んだ。


 沖田が一歩下がった瞬間、土方に竹刀が振り下ろされる。


 削れた土方の歯が、沖田の足元まで転がった。


 勝五郎と土方を襲う剥き出しの暴力にあてられて、沖田は呼吸の仕方すら忘れてしまう。


「う、あ……」


 糸が切れたように、沖田はその場にへたり込んだ。


「おい、こいつはどうする?」


 あぶれた男が、沖田の襟を掴んで持ち上げる。勝五郎と土方を囲む男の一人が、沖田を一瞥して鼻で笑った。


「尻でも打っておけよ。元凶は、こいつの無知だからな」

「ひん剥くほど育ってねぇし、な」


 周囲の男はゲラゲラと笑うが、沖田を捕らえた者だけは、鼻を膨らませて声もなく歯をむき出しにする。


「……ほら、来い」


 力任せに引っ張られる沖田の前に、男がしゃがむ。


「おまえには、なぜこいつらが抵抗しないか、わかるか?」


「……?」


「まともに口もきけなくなったか」


 クチャっ……と、舌の回る音が沖田の耳に残る。男は、沖田の頬を鷲掴みにして、言った。


「抵抗することすら、身分が許さねぇだけだ。農民上がりと悪餓鬼が町で暴行を働いた、なんてことが上役の耳に届いたら、おまえらの住処なんざ一捻りで潰される。それが怖くって、亀みてぇにうずくまっているだけだ」


「…………」


「あのデカブツは、講武所の指南役になったとはしゃいでいたようだが……それで武士にでもなったつもりかよ? どうせ俺たちにへいこらしねぇと門を潜れない、農民風情と狂犬がよ!」


 男の形をした嫌悪感を前にして、着物を剥がされながらも、沖田の視界は真っ黒に塗りつぶされる……。


「ぎ、ぃ!」


 沖田の襦袢に指をかけた男が、顔を歪ませる。


 横から手首を掴まれた男の骨が音を鳴らしている。


「……俺は、所詮は農民上がりの、剣術馬鹿です。打たれることに、慣れております」


 地面から生えるように伸びる腕は、顔を腫れ上がらせた勝五郎の、筋骨隆々なそれだった。


「しかし、この子はまだ、外には出せぬ秘蔵の天才、でして。もし傷でもつけようものなら、容赦はできません」


「よ、よせ……!」


 め……ギ。


 と、男の骨が砕けた。


「ぐぁっ!」


 仰け反る男は、その横っ面に拳を叩き込まれる。


「……こいつを手篭めにしようなんて、女を見る目はあるじゃねぇか」


 土方が螻蛄のように跳ねる勢いで男に一撃を食らわせ、勝五郎と並び立つ。

 その背中に、沖田を背負って。


「馬鹿、怯むな!」

「もう、虫の息だ! やってしまえ!」


 男たちがひるんだのは、一瞬。再び勝五郎と土方に暴力を浴びせる。

 二人は抵抗することなく、拳と竹刀を正面から受け止めた。

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