近藤問答録 ⑤
土方の眼は勝五郎を鋭く捉え、逃さない。勝五郎もそれを感じ取り、笑顔を引っ込める。
「トシ。俺は武家になりたいわけじゃない。武士に、なりたいんだ」
「……何が、違うんですか?」
沖田が首をかしげる。土方は、勝五郎の答えを待っている。
「ソウ。武士とは誰のことを言う?」
「え? っと、その、武家に生まれた、男の人……?」
「うん、間違いじゃないな。武家に生まれた者は、藩校に通い、学び、いずれは藩の中枢に関わっていく。それも確かに武士だろう……」
バチン、と、勝五郎は手のひらを拳で打つ。
「では、おれたちは武士にはなれんのか?」
勝五郎が、土方と沖田を順番に見る。
「一対多の喧嘩に負けない腕っぷしと戦略眼を持つ薬売りは、武士になれないか? 家族と離れ、道場で腕を磨く女子は、武士になれないか? そして……農民の息子に生まれた俺は、生まれ変わらねば武士になれないのか?」
「勝っちゃん、それは……」
「父は確かに農民だが、俺に書物を与えてくれて、俺が義父の養子になることを泣いて喜んでくれた。幕府の剣術指南道場で剣を振るうまでになっただけでは、まだ親孝行として足りなすぎる」
そこで、勝五郎は口を横いっぱいに広げ、笑った。
「いつか、俺は武士になる。講武所で指南役を拝命するくらいで、ようやく俺はその出発点に立てるんだ」
試衛館をないがしろにしているわけじゃないぞ、と言い置く勝五郎。土方と沖田は、顔を見合わせる。
「……正直、武士ってのが何者かは、分からねぇ」
「わ、私もです。別の生き物のようで、想像もできません」
「でも、ま、なんだ。勝っちゃんがお武家様の凡と並びてぇだけだなんて言ったら、ぶん殴ってたところだ」
口角を上げて、土方は勝五郎の胸板に拳を当てた。
「あんたは目指すもんが高けりゃ高いほど、楽しそうだからよ。あんたの後ろの道は、辿り甲斐があるんだよ」
「わ、私もです! まだまだ教わらなきゃいけないことは、いっぱいありますから!」
勝五郎に詰め寄る姿勢は、土方も沖田も瓜二つ。勝五郎が再び頭を撫でてやると、土方は手を払い、沖田は身を委ねる。照れ臭そうな顔は、どちらも同じだった。
「さぁ、急ごう。講武所は近いはずだ」
「はいっ!」
沖田は、河川敷を降りてぱたぱたと駆け出す。近藤の竹刀を揺らしながら、角を曲がった。
どんッ。
と、反対の道から歩いてきた男たちと、沖田はぶつかってしまった。
竹刀を肩に掛ける男数名で、白く真新しい道着に身を包んでいる。
「いたっ……!」
小柄な沖田が飛ばされて、尻もちをつく。
「こら、ソウ!」
勝五郎は慌てて走り出し、土方も舌打ちをしながら後ろをついていく。
痛みに涙を浮かべる沖田を、勝五郎は首根っこを引っ張って立ち上がらせる。
「きちんと前を見ないと危ないだろう」
「ごめん、なさい」
鼻を小さく啜ってから、沖田はぺこりと頭をさげる。同じように、勝五郎も謝意を示すため、低頭する。
「身内が、粗相をいたしました。申し訳ありません」
その言葉を、向かい合う男は受け取らない。
「おい。これを見ろよ」
男は、片脚を上げる。
「その小娘にぶつかって、汚れたぞ? 謝るだけか?」
「……大変、失礼した。拭わせていただければ」
勝五郎は手拭いを引っ張り出し、男の道着に当てようと差し出す。
しかし、男は一歩後ずさり、手拭いを足蹴にした。
「!」
土方と沖田が、顎を引く。勝五郎の背後で怒気をにじませるが、男たちはそれに気づくことなく笑いあっている。
「よしてくれ。垢の色が染み付いているじゃないか……」
「余計に汚れさせようってのか?」
ぎゃはぎゃはと耳に障る音で笑う男たちを見上げ、ソウは侮蔑を込めて吐き捨てる。
「道着が綺麗なことの、何が偉いの?」
「ソウ。よせ」
勝五郎の制止にも、沖田は止まらない。
「だって、先生、言ってた! 道着の汚れは、剣の強さの証左になるって! だったらこの人たち、私より弱いんだ!」
沖田の剣幕に、男たちの笑いは止んだ。
「物を知らん奴だな。俺たちは、講武所の門下だぞ」
「この先の講武所の方ですか?」
勝五郎は、沖田を背中に隠す。
「で、あれば、本日の剣術指南は……」
「なぜ、おまえたちのような者が知っている?」
「臨時の指南役が来ると耳に挟んだから、今日の稽古は取りやめたんだ」
なぁ? と同意を求められて、男たちは気だるそうに頷く。
「聞くところによれば、江戸も外れの田舎道場から来る、次期道場主らしいからな。そんな輩と合わせては、調子が狂う」
「流派も流行っていない、天然理心流だろう? あれは粗雑で、肌に合わないんだよ……」
「跡取りのいない道場に情けで呼ばれた、農民の息子と聞くぞ。相手するだけ、時間が無駄になる」
「……屑が……」
土方がひときわ強い嫌悪を込めて毒づく。
彼らの主張は、あまりに狭かった。
外部からの臨時指南役が面白くなく、見下すために情報を選び、勝五郎を自分たちの指導役にふさわしくないという結論から出ようとしない。
その狭量に対し、土方が男たちに届かないよう罵倒を吐いたことは、勝五郎との約束の通りだった。
しかし、沖田は目の前の理不尽に、声を上げずにいられなかった。
「弱い、くせに」
「なんだと?」
男が凄んでも、沖田は止まらなかった。涙に濡れた瞳のまましかと敵を見据えて、揺らがない。
「近藤先生の方が、ずっとずっと強い! 見もしないで、人を身分で見限るような奴に、負けるわけないもんっ!」
「近藤? 臨時の指南役が、確かそれだったな」
「おまえが、か。……そこまで言われたら、ぜひ、ここで稽古をつけてくれよ」
先頭に立つ男が、竹刀以外の荷を道端に放った。
「近藤先生!」
沖田は、抱えている竹刀を勝五郎に差し出した。
「ソウ……」
怒りと期待をないまぜにした沖田の視線を、勝五郎は受け止める。
手を伸ばした、勝五郎は……
「ごめんな」
と、竹刀ごと沖田を優しく押しやった。
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