近藤問答録 ④
*
梅雨の合間に、刺すような日差しが注ぐ日だった。
二十三になった勝五郎は、土方の後ろを防具を担いで川沿いを歩いている。
「勝っちゃん。講武所ってのはまだ先だよな?」
「あぁ。じきに見えてくるだろうな」
勝五郎の返答に、土方は含み笑いを浮かべる。
「お武家様御用達の剣術指南場だっけか? 甘やかされた凡どもが、チマチマ剣を振っていやがるのか」
「トシ。間違っても門をくぐってから、そんなことを言ってくれるなよ」
「その門すら見えねぇんだから、いいじゃねぇか。俺も時と場所くらいは弁えるぜ」
「……どうだか」
と、呟いたのは、勝五郎の背中に隠れる沖田だった。当時十四の彼女は、勝五郎が愛用する竹刀を両手でひしと握りながら、ちょこちょこと後をついていく。
顎から振り返った土方は、三白眼をぎらつかせて沖田を睨む。
「何か言ったか? 下働きのソウジ」
「何も言っていません。それに、ソウジじゃありません。私は、ソウ、です」
沖田は勝五郎の陰からつんけんと答える。愛想のなさに、土方は苛立ちをぶつけるように唾を吐く。
「おまえは試衛館の掃除番。ソウジの方が、わかりやすくっていいだろう?」
「掃除番じゃありません。私は、先生の一番弟子です!」
「何度言わせんだよ。おまえが試衛館に転がり込んでくる前に、勝っちゃんは俺と何度も仕合ってんだ。おまえはせいぜい二番手だろうが」
「違いますっ! 私が一番なんですっ!」
「はッ。洗濯が終わった後しか木刀を握れない一番弟子がどこにいる?」
「……歳さんなんて、まだ入門すらしていないくせに」
荒々しい言葉を並べる土方と、負けじと噛み付く沖田は、勝五郎を挟んで火花を散らす。
当時、土方と沖田は犬猿の仲であった。
勝五郎を越えるため勝負に挑む土方にとって、勝五郎にべったりな沖田が邪魔で仕方がない。反対に、自分に道を示してくれた勝五郎に対して乱暴で、しかし旧友として打ち解けている土方が、沖田は面白くない。二人は互いを目の敵にしていた。
何より、双方が根底に持っていたのは、天才ゆえの同族嫌悪だった。
沖田は、土方が木刀を振るう姿を初めて見た時、勝五郎に飛びついて一言こぼした。
『あの人の剣、こわい』
それまで剣術に対して臆することのなかった沖田が、土方の修羅のような素振りにだけ恐怖した。
土方も同様で、剣に見立てて箒を振るう沖田をじっと見て『なんだよ、あのバケモンは』と言い切った。
潜在意識の中で認めあっているからこそ、土方と沖田は互いの一挙手一投足に注意を向けて、負けたくないといがみ合っているのだ。
それを諌めるのは、決まって勝五郎。この時も、二人に同じ強さで拳骨を与えた。
「トシ。子ども相手にムキになるやつがあるか。その喧嘩っ早さを抑えないから、隙が出来ると言ったろうに」
「……ちッ」
「ソウ。トシといがみあう為に、おまえはついてきたのか? であれば、今からでも帰ってもらうぞ」
「ご、ごめんなさい……」
土方は外方を向き、沖田は首をちぢこませる。
それぞれの反応がおかしく、勝五郎は二人の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「せ、先生?」
「っにすんだよ、勝っちゃん!」
「なぁ、二人とも。今日は、どうして俺についてきた?」
その質問に、土方と沖田は揃って目を泳がせる。
勝五郎は今日、臨時の指南役として召集を受け、江戸・小川町の講武所に足を運ぶこととなった。
幕府が設置した武術修練場に呼ばれることは、剣術道場を営む者の誉れであり、近い将来に四代目となる勝五郎がその評判から招かれたことは前代未聞であった。
「トシもソウも、同行すると言って聞かなかったな。何か、理由でもあるのか?」
「……だって、歳さんが……」
「おい、馬鹿っ」
土方の罵倒から逃れるように、沖田は勝五郎の懐に飛び込む。
道着をぎゅうと両手で掴み、沖田がくぐもった声で伝える。
「先生が、講武所に取られちゃうって言ったから……」
勝五郎は目を瞬かせて、土方を見る。
チッ、と舌打ちをしながら、土方は耳を掻いている。
「その、なんだ。講武所の指南役になっちまったら、試衛館じゃあ満足に手合わせできなくなるんじゃねぇかって、道場の連中がウワサしてやがったんだ」
「先生」
勝五郎が視線を落とすと、沖田が涙を溜めて見上げてくる。
「先生、いなくなっちゃうの?」
「ソウ……」
今にもこぼれてしまいそうな沖田の涙を、勝五郎は道着の袖で拭う。
「そんなわけがないだろう? 俺はどこにあろうと、試衛館の近藤だ!」
試衛館の近藤、の言葉に、沖田はパッと顔を輝かせる。
「は、はいっ!」
「なんだよ、テキトー吹きやがって……」
悪態をつく土方に、沖田はちろりと舌を出す。
「ほら、私の言った通りじゃないですか。歳さんの嘘つき」
「だから、道場の連中のホラだって言ってんだろうが! 俺もハナから信じちゃいねぇよ、馬鹿ソウジ!」
「馬鹿でも、ソウジでもないですってば!」
再び勝五郎を挟んで口論をする、沖田と土方。勝五郎が拳の関節を鳴らすと、二人は同時に口を噤む。
「そもそも、講武所の指南役と言っても今回限りの代行に過ぎない。無論、二度三度と呼ばれるかどうかが、今日の出来に関わってくるが……」
「そんなにお武家様の道場で剣を振りたいかよ、勝っちゃん?」
土方が投げかけるその言葉は、決して軽い調子ではなかった。
「トシ。どういう意味だ?」
「勝っちゃんは、武家に加わろうってのか? 講武所の指南役ってのは、その登竜門だろう。今日はまず、名を売ろうって心算かよ」
「…………」
土方の粗暴な追求は、的を射ていた。
試衛館を継ぐために養子となった勝五郎は、武家の生まれではない。
同じく、百姓の家に生まれ、今も家業の手伝いで薬売りをしながら剣術を磨く土方には、勝五郎がまるで武家に擦り寄っているように見えてしまっている。
「本当に『試衛館の近藤』だって言うなら、そもそも講武所の指南役なんてやる義理はねぇだろうが」
「歳さん……?」
土方は仕合と同じだけの気概をその目に湛えて、勝五郎と対峙する。
「なぁ、勝っちゃん。あんた、自分で自分をどうしてぇんだよ?」
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