近藤問答録 ②

 近藤勇は、元は農家に生まれた三男坊だった。目の前に座る道場主は、武家を出自に持たない。


「鍬ではなく剣を持つことが、そんなにおかしいか?」


 なんて、近藤は冗談めかして言ってくる。


「うちの道場の門をくぐる奴に、生まれや育ちを背負うやつはいない」


「そんなもので門を狭めるような余裕がない、ってのが本音だろうが」


 俺の毒に近藤はぶはッと吹き出した。


「何を隠そう、トシも多摩の百姓の息子だ。奉公先の畑を踏み荒す小さな暴牛だって噂になってからは、家業の薬売りに収まったんだけどよ」


 肩を竦める近藤の言葉に、疑問が残る。

 土方の出身は、多摩の日野村。市ヶ谷の試衛館まで半日かけて稽古に来るようにまで、至る道筋がわからない。


「トシは、俺が出稽古をしていた時に出会ったゴロツキだった。まだ、十五にもなっていない頃だったな……」


 近藤は先んじてそう言うと、土方との出会いを夢想する。


 *


 剣への熱心な姿勢と確かな才覚を認められ、試衛館道場の三代目、近藤周助の養子となった近藤勇……当時・勝五郎……は、出稽古を任された若先生として、月に一度多摩まで足を伸ばして、有志の家々を回っていた。


 その帰り道、勝五郎は寺の鳥居にもたれる男を見つける。

 顔の右側が青黒く腫れ上がり、その手には「石田散薬」の包みが握られていた。


 境内から聞こえる、熱の籠った怒号と鈍い激突音に誘われる勝五郎は、そこで、四人を相手どる土方を初めて目の当たりにした。


 相手は弦の張った竹刀。対する土方は削れた木刀を振るっている。それで戦えているだけで異常だが……土方は四人を圧倒していた。


 喧嘩師として、土方は未熟なままに天才だった。


 石段を踏み砕き、破片を蹴り上げることで敵の目を潰す。

 木刀を投げつけて、怯んだ相手を殴打する。

 鍔迫り合いをする竹刀に歯を立てて、相手の武器を噛みちぎる。


 ただただ目の前の敵を捩じ伏せることだけに力と知恵を投げ打つのが、その頃の土方歳三だった。


『おい、天才。俺と手合わせをしてくれないか?』


 四人の男たちが逃げ帰ったあと、勝五郎は土方を捕まえて、勝負を挑んだ。


『…………』


 上背のある勝五郎を前に、土方はヤモリのように地面に這いつくばる。右手に木刀を握り、左手には砂を隠して。


『喰らえッ……!』


 土方の目潰しは確かに成功した。勝五郎は両目を塞がれて、その間隙に土方は勝五郎の脛に木刀を叩き込んだ。


 土方に誤算があったとするのならば、勝五郎の骨は木刀を折るほどの硬度があったことだ。


『ふッ!』


 打たれた左足で踏み込み、勝五郎は土方の鼻先に竹刀を振り下ろす。土埃の向こうで、恐怖に顔を歪ませた土方が尻餅をつく。


『おまえ、名は?』


『……土方、歳三』


『そうか。トシ、おまえは弱いなぁ!』


 勝五郎が快活に笑うと、土方は耳まで真っ赤にする。

 土方はポッキリと折れた木刀を、勝五郎に投げつけた。勝五郎が難なく避けてしまい、賽銭箱に穴を開ける。


『オレは、強い。働かなくたって道場に通わせてもらえて、それを理由に威張り散らかす武家の凡どもなんかに、負けたことはねぇんだよ!』


『しかし、俺には負けた。小高い山の喧嘩大将なんてのは、見晴らしも良くなかろうに』


 と、その後に勝五郎は柄を土方に向けて、自分の竹刀を突き出す。


『トシ。おまえこそ剣を取り、剣を学ぶべき男だ』


 土方は竹刀と勝五郎を交互に見上げて、外方を向く。


『ただ力をひけらかして、何になる。ここで死ぬまで暴れるか?』


『……それで、いい。死んだみてぇに生きるより、ずっといい』


『ならば、暴れ場所は俺の隣でもいいだろう? トシ』


 勝五郎は、腹に力を込める。


『おまえと探してみたいものがある』

『あ?』

『それには形がない。果てもない。俺たちが死ぬ時に初めて浮かび上がる、命を象るものと聞く』


 そこで起き上がった土方は、再び近藤と相対する。


『なんだよ、それは』


『誠だ』


 それが、近藤勇と土方歳三の出会い。

 この二人が、十余年の年月を経て、新撰組の頭と心臓となるのだ。


 *


 近藤は、手の中の猪口に残る酒を煽った。


「それ以降、多摩の出稽古の帰り道でトシは俺を待ち伏せるようになった。律儀に俺の竹刀を担いで、な」

「騙し討ちか?」

「それは最初の三回目までだ。そんなものに沈む俺じゃあないさ」


 が、は! なんて、近藤が笑う。びりびりと空気を震わせるから、腹に響く。


「……するってぇと、土方は、流派なしの暴れ馬か」

「いいや。奴はもう天然理心流の目録に着いたぞ」

「目録に?」


 俺は思わず鸚鵡返しをしてしまった。


 その流派の基礎が体に染み付いていない限り、目録は与えられない。

 昼間に粗暴な仕合をしていた傍若無人な土方が、そんなに聞き分けの良い剣をしているか?


「随分だなぁ、新八」


 近藤は自分の眉の根をこする。


「トシはこの道場にやってきて五人と打ち合うと、当時道場主をしていた義父に目録を与えられた」

「はぁ?」

「確かにトシが道場でまともに剣を習いだしたのは、この二、三年だ。しかし、それまで一〇年近く、寺の境内を稽古場にして、トシと俺は打ち合っていた」


 近藤の言わんとすることに、合点がいく。

 次期道場主との一騎打ちを繰り返した野生児が、敗北から剣を学び、屈辱を煮えたぎらせて……喧嘩師から、剣士へと変わった。


「俺が一本取る度に、トシは俺から一つ技をを掠め取っていった。天然理心流を基盤に、敵を倒すため、枠に収まることなく剣術の枝葉を奔放に広げているのが、トシのやり方だ」

「……喧嘩剣法、か」


 目録こそ与えられても、おそらく土方は一生かけても皆伝にはたどり着けず、師範代になることもなく剣士としての一生を終えることだろう。

 ……それでも、日本中の剣士が逆立ちしても到達できない域に、奴はいる。


 少なくともいま、俺は土方に勝てる気はしなかった。


「新八。俺は道場主として、流派の正道を歩んできたと言う自負がある。そんな中、トシの天然理心流は、まるきり邪道」

「違いねぇ……」

「いま、俺とトシの手合わせはまったくの五分。正道も邪道も、等しく道だ。どちらが優れているとは、一概には言えん」


 そこで、俺の頭によぎるのは……一人。

 あの、花の剣士だ。


「ならば、あんたら試衛館の到達点は……どちらの道をも踏破する、規格外の怪物か?」


 俺のこぼした冗句に、近藤は膝を叩く。


「そうさ。言ったろう? この試衛館での最強が、誰なのか」

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