斎藤一 対 沖田総司 転

 北へ帰る列車に乗る日まで、俺は斎藤夫妻と共に過ごした。


 二日連続で抜け殻のようになった斎藤を時尾の元に運んだことで、俺はこれでもかと手厚く迎えられ、おかげで東京周遊は寝床やら観光地やら、不自由なく終えることとなった。

 最終日だからと肩を回す時尾は、屋形船の予約まで入れて俺と斎藤を連れ回した。俺は船酔いを張り切る時尾に悟らせまいと堪え過ぎたせいで、降りた途端便所に駆け込んだ。


 手拭いで口の端を清めた俺は、河川敷に並んで腰掛けている斎藤と時尾に駆け寄るが、声が届く距離で足を止める。

 斎藤の告白が、聞こえてしまったから。


「俺には心から慕う者がいる。それは決して、おまえじゃない」


 斎藤一は確かにそう言った。

 続く斎藤の声は例のごとく幽かなもので、しかしまっすぐだった。


「俺は、沖田さんが好きだ。俺は沖田総司を、愛している」


 俺はその場から動けない。


 斎藤は沖田への恋慕を、時尾に明かす。沖田が女である、という前提すら知らぬ女房に、自ら不義理を明かす。


 時尾は、すっくと立ち上がると、軽やかに答えた。


「えぇ。存じておりました。あなたがひた隠す恋情は、私に向けてくださる気持ちと比べるべくもないと。……嫉妬を燃やすのが、本来の妻の在り方なのでしょうけれど、私には似合いません」


 時尾はぎゅうと目を瞑りながら、笑って見せた。


「私はどうにも、過去に誠実なあなたに惚れてしまったのです」


 俺から、斎藤の顔は見えなかった。斎藤は背を向けており、ただ俯くばかりで肩を揺らしている。

 人斬りの目に涙が流れたかどうか、それは時尾のみが知るところだろう。


「時尾。今夜は、話そう」

「はい?」

「どのように新撰組が戦い抜いたのか。俺の見たものでよければ、いくらでも、おまえに語って聞かせてやる」


 いつもの平淡な口調で言うと、斎藤は時尾と並び立つ。


「最初は何が聞きたい? 近藤さんか、土方さんか。それとも、沖田さんか?」

「何をおっしゃいますかっ! 一番は、斎藤一の武勇伝に決まっています!」


 詰め寄り、主人の袖を掴む時尾に、今度は斎藤が笑った。


「物好きな奴だ」

「あなたの妻ですから」

「どういう意味だ、それは」

「ご自分の胸に手を当てて、考えてください」


 俺は手拭いをしまい、しばし斎藤の背中を見る。


 俺は奴を藤田何某と呼ぶつもりもないが、もうあの背中を斎藤一とは思えない。

 寡黙で冷淡で、しかし時尾に心をほぐされた男には、もう人斬りの片鱗など感じ取ることができなかった。


「いやぁ。仲睦まじくって涙が出るねェ」


 と。

 俺の背中に声を塗る輩がいた。


「殺気立つなよ、永倉新八。鴛鴦夫婦の羽根を捥いで眺めるなんて趣向は、さすがのオイラも持ち合わせちゃいねぇよ」


 振り向くことを待たずに、洋装の男は俺の前に躍り出る。鍋をひっくり返したような帽子……ハットとやらの下の憎たらしい顔は忘れられない。

 にたり、と弧を描く唇は、あの日、沖田の舌で濡れたものだった。


「松子はいない。あんたらの休日を手前勝手に調べたオイラが、足を運んだだけさ」

「それだけの無理を通せるのが、おまえか」

「おいおい、そいつぁ下種の勘繰りってもんだぜ? 二番組長の癖は抜けねぇか」


 くッく、と男は笑う。奴の視線の先には、斎藤と時尾がいる。


「斎藤一は、抜けたな」

「何?」

「虫も殺さないあんなツラで、人斬りだなんて言わせねぇよ。他の残党だって、明治に呑まれて牙を丸く削った。だろう? 浅葱のだんだら羽織を引きずっているのは、あんたぐらいだ。なぁ、永倉新八」


 男は俺の名も選んでいる。

 正面に立ち、笑顔を消して、奴は俺に問いかける。


「新撰組はもういない。まだ、過去があんたにしがみつくか?」


 俺には見えた。男の後ろに、幕末がいた。


 斬り伏せた浪士の顔と、踏み越えた仲間の顔が、浮かんでは消える。後悔、無念、妄執、憎悪。明治に渡ることができなかった感情が、男の背中で渦を巻いている。


 なぜ生きている、永倉新八。おまえがそこに立ち、俺たちが志半ばに息絶える。

 なぜだ。なぜだ。なぜおまえが、のうのうと生き永らえる……?


 幻聴に、答える。


「過去だなんて思わねぇ。俺のことも、あんたらのことも」


 どうしても生きてんだよ、俺は。徳川の世が終わることも、斎藤一の笑顔も、沖田ソウの涙も、生きて進むからのもの。

 恨んでくれて構わねぇ。その情念という熱を、俺はこの先に届ける。


「生きる限り、つなぐ限り、新撰組は俺たちの中にある。誠の一字に集った同志の熱は、時代程度、飛び越える」


 俺の言葉を受け止めて、奴は顎を空に向け、笑った。


「かはッ! 結構結構、烏骨鶏ってか! あっぱれ新撰組、さすがは憎き仇敵だ!」


 男は裾をなびかせ、歩いていく。俺の横を通る時、爽やかに言い置いた。


「さらば、永倉新八。もう会うこともねぇだろうが、せいぜい生きろよ、畜生め!」




 ここまでが、俺の東京周遊の記録である。時尾には「今度の東京訪問もぜひ我が家に!」とすがられたが、俺にそのつもりはない。

 戻ってから、俺は新撰組を書き記さねばならない。俺……永倉新八の目から見たものとはなるが、これが生き残ることを課された理由であると思い、一から取り掛かる所存である。


 ……などと格好をつけるのだが、俺が都に背を向ける奥底の理由は、別にある。


 本心では、恐ろしくて仕方がない。


 今、日本の中心にはあの男がいる。

 沖田と連れ立って生きる、洋装の男。あれほど底の見えない人間と関わるなど、二度と御免だ。


 それでも、俺は最後に問う。


「おまえは、新撰組に何を見た? ……桂小五郎」

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