龍を落とした男 ③
「聞くところによると、そちらの沖田君、永倉君、加えて原田君の三名が、坂本龍馬と伏見の近江屋で同席していた。相違ないですか?」
ブリキ細工が言葉に似た音を出しているような、無機質な詰問だった。
「……佐々木局長。結果、何を仰りたいので?」
俺の前に座る土方さんが問い返す。表情を見ずとも、土方さんの苛立ちは声に乗る。隊長格でさえ震え上がる怒気を前に、痩せこけた男は飄々としていた。その様は風に揺れる柳の葉のようで、気味が悪かった。
京都見廻組局長、佐々木只三郎。俺たち新撰組と同じく会津藩預りの巡邏部隊にて頭を務めるこの男は、土方さんの言葉を引き出そうと押し黙る。
「……同席されていた佐々木局長も、ご存知のはず。坂本龍馬の身柄は確保ののち、速やかに勝安房守に引き渡す。過程はどうあれ、結果は変わらない。役目を果たしたことに、何かご不満でも?」
「私は棲み分けの話をしています、土方副長」
佐々木は言葉を差し込む。
「会津藩主松平容保公より伏見の警邏を拝命しているのは、我ら見廻組です。新撰組が区域を犯していらっしゃったことについて、土方副長。いかがお考えでしょう?」
「……っだらねぇ」
土方さんは、後ろに座る俺と沖田に聞こえる声で悪態をつく。佐々木の顔色は変わらないが、俺は一層姿勢を正す。対して、沖田は欠伸をかみ殺していた。
佐々木は滔々と声を出す。
「あなたから回答が得られないのならば、近藤局長に伺いたい。今どちらに?」
「近藤は生憎、部隊の修練指揮を行なっております。此度の些事たる失態は近藤のあずかり知らぬところ、私がお詫び申し上げます」
土方さんは大袈裟に丁寧な口調で、佐々木に頭を下げてみせた。
俺も同様に頭を下げて、沖田は渋々首だけ曲げていた。腰を上げた俺が見た佐々木の無表情は、目元だけがぐにゃりと歪んでいた。
「……形だけであろうと、謝意は受け取りましょう。土方副長が直々に述べていただいた。これはこれで、価値のあるものかと」
刀を拾い腰に収める佐々木は、土方さんの頭に降らせるように言った。
「全ては京都守護のお役目を十全に果たすため。我々見廻組と新撰組は目的を同じくする同志です」
「わざわざ言葉にしていただかなくとも、こちらは重々承知しております。佐々木局長」
「それは、それは」
ようやくにやりと笑って、佐々木はすり足で副長の執務室を後にする。途端、土方さんは足を放り出して胡座をかいた。
「あのカタブツ。下手に出てりゃ、いい気になりやがって……」
「浪士上がりの我々に手柄を取られたことが、お武家様には我慢ならないようですね」
言って、沖田は舌を出す。俺は笑いたかったが、土方さんがそれを遮った。
「永倉、沖田」
土方さんは頭をかきむしりながら俺たちを呼ぶ。姓で呼ぶのは、説教の時と決まっている。
「棲み分けだの、小せぇことを言うつもりもない。ただ、標的と酒を酌み交わすってのは、どういう了見だ」
「了見も何も……」
「土方副長」
沖田の不平を覆い隠して、俺は畳に両手をつける。
「俺たちは隊服を着用いたしました。帯刀も欠かさず、警戒は怠らずに奴を前にしていたことは、天地神明に誓ってお伝えします」
「……歯、しばれ」
土方さんが短く言った。顔を畳から離すと同時に、岩のような手の甲が迫った。
頬骨を打たれる。首でこらえて、筋が伸びてしまった。
「組長二人も揃って迂闊だぞ、馬鹿野郎が」
沖田の頰は平手で打ち、土方さんは座布団の上で体を回して座卓に向かう。
「佐々木に言った通り、今回の詳細は近藤さんには入れてねぇ。坂本龍馬は現状、安房守の監視下に置くことになっている。これ以上の詮索は無用だ」
「尤も、奴が派手に動けばその限りじゃないですよね?」
沖田は自分の顔を撫で付けながら、土方さんに尋ねる。
「……総司、お前は坂本を斬りたくって仕方がねぇんだな」
「はい。あれを野放しにするのは危険です。そうやって浪士を切り捨ててきたのが新撰組じゃないですか」
沖田が一つ息を吸い、前傾姿勢で訴える。
「今の京がどれだけ危険かということは、今や童も噂するところです。二五〇年の徳川統治が崩れ始めているくらい、私だって気づきます!」
「滅多なことを言うんじゃねぇ」
土方さんは嗜めるが、否定はしなかった。
沖田の言う通り、組織としての幕府の昨今の衰えは明白だった。
幕府の力はその目線の向け方によって、強靭さが保証されていた。
この国の中、江戸や京という局地を繁栄させることにおいて、徳川幕府以上の成果を出せるものはないだろう。
ただ、その在り方が囲いの外を犠牲にしていた。技術や文化、そして排他された人々の執念や憎悪を沈静化させられるだけの力は、今の幕府には足りていない。
「今さら特例なんて、倒幕を画策する不逞浪士を増長させるだけです。やるなら徹底的に、じゃないんですか? 土方副長!」
沖田の言に、焦りが混じる。
奴は危機に聡い。誰もが感じる幕府の衰退に、新撰組が引きずられてしまうことに恐れている。
「我ら新撰組が会津公の、そして将軍の懐刀として武威を示さねば、何のための預りですかっ!」
「総司、よせ」
俺が肩を抑えて、土方さんから距離を取らせる。
「……オレも近藤さんも、会津公の前では同じことを進言したぜ」
土方さんは、首だけ曲げて俺と沖田を見る。
「そこで、安房守はげらげら笑って『狭い』と仰った。どうにも、オレはあの方とはそりが合わねぇ」
「狭い……」
俺は口の中で呟いた。同じ言を、坂本龍馬が発していた。
「オレだって、坂本には目を光らせるべきだと思っている。ただ、奴が幕臣さえ動かせるのは誤算だった。尻尾を出すまで、俺たちに坂本龍馬は斬れねぇよ」
つんのめった姿勢の沖田は、ついに体の力を抜いて、俺の手を逃れる。
「……ですか」
沖田は不満げな顔のまま、部屋を出て行った。
「土方副長」
「新八。今回は三日間の謹慎だ。下手な身の振り方は、てめえの首を締めることになるぞ」
「謹んで、お受けします」
「行け」
土方さんが顎をしゃくって、俺は襖を引く。首から執務室を出た俺の視界の端、俺と沖田を置いて土方さんからトンズラした大男が立っていた。
「左之。お前、どこほっつき歩いて……」
肩を掴んだ時、奴の巨躯に隠れた男と目が合った。
「永倉君、どうも」
「佐々木、局長」
先に部屋を後にしたはずの佐々木只三郎が、左之助と話し込んでいる。俺には違和感しかなかった。
「何か、うちの原田が失礼でも?」
俺が尋ねると、佐々木は大袈裟にかぶりを振る。
「あぁ、いや、いや。滅相もない。他愛もない話を二、三していただけで、これで私はお暇しよう」
「はぁ」
「では、いずれまた。原田左之助君」
それだけ置くように言うと、佐々木は踵を返して足早に屯所を後にする。
その間、左之助は微動だにせず、佐々木の背中を目で追いかける。
「左之。……左之!」
俺が耳元で呼びかけて、左之助はようやく振り返る。
のろのろと緩慢な動きで、左之助が口を開く。
「おぅ。どうした? シン……」
奴は俺の名を途中で止める。ただゆらゆらと立ちすくんで、寝起きのようなかすみがかった目をしている。
起こすつもりで、俺は左之助の後頭部を平手で叩いてやる。
「こっちの台詞だ。ボケボケしやがって、見廻組の局長様に小言でも吹かれたか?」
「……あぁ、そうか」
言って、左之助は髪を掻き毟る。小ぶりな漬物石を片手で包めるほどの手のひらで目を覆って、次に見えたのは普段の軽薄な十番組組長の顔だった。
「新八。さっき総司の奴が飛び出してったが、どうした? また土方さんときょうだい喧嘩かよ?」
「他人事だと思ってんのか、左之? 面の皮が厚いんだよ、お前は」
「誉めんなよ」
「貶してんだ」
俺がまた一発小突いて、左之助は快活に喉を鳴らす。
「今日は稽古場が荒れるな。総司が鬱憤ばらしに、そこいらの隊士を薙ぎ払うぜ」
「……違いねぇ」
並ぶと、俺の目の高さに左之助の喉仏があった。奴が上向きに笑う癖があるから、俺の眼前に丸太のような頸が晒される。
そこから、線香の香りが漂った。
「左之。お前また、遊郭か?」
「鼻が良いな、新八」
悪びれる様子もなく、左之助は顎の無精髭を手のひらでぐるりと撫でる。
「どうすりゃ灸を据えられるんだよ、お前は」
「局中法度に、遊郭通うべからず、とでも書いてあったかよ。んな文言ありゃ、局長以下漏れ無く切腹だろうが」
俺が息を吸うと、続く諫言を察知した左之助は肩を組んできた。
「ぐしゃぐしゃ言うなよ新八。そんなんじゃぁ、おシズが振り向かねぇぞ」
「またぶん殴ってやろうか。もう、コブじゃあ済まさねぇぞ」
「おぉ、こわやこわや。お代官様、おやめくだせぇよぅ」
下品に舌を出してから、左之助は顔を袖に隠す芝居をする。吹き出してしまった、俺の負けだ。
「第一、俺は今日から三日の謹慎だぜ。土方さんの熱が下がるまで、素振りでもしておとなしくしにゃぁなんねぇだろ」
「かッ! お前はほんっとに、根っこが真面目でいけねぇな。そんなんじゃ、いつか腐って落っこっちまうぜ?」
「首か、腕か?」
「心だ、心」
左之助は、はだけた上着に覗く胸板を指でさす。
「武士も侍も、体より先に心が参っちまうのが常だろう? そうならねぇための酒で、歌で、何より女だ。違うか?」
「モノみたいに言うんじゃねぇ。みっともない」
「阿呆か、新八。おんなじことを、義仲公に言えんのか?」
「巴御前は、手習いのための偉人だろ」
「じゃあ、鎌倉の尼将軍はどうだ? お市様も淀君も、戦国を戦い抜いただろう? 豪傑の後ろに控えるのが女じゃねぇ。横に並んで立つ肝っ玉があって、それに武士が半身預けて、やっと俺たちぁ戦えんだ」
これを、左之助は事あるごとに言っていた。
原田左之助は、他人を求めるようにできている。十番組を率いる組長として、京の治安を守る武士として、そして一人の男として、奴は誰かに頼ることを美徳とする。
言動は粗暴で品がなく、金遣いも酒癖も悪い。そんな男を俺たちはついぞ憎めなかった。
「だったら、三日後か!」
左之助は俺の尻をむんずと掴んだ。
「っに、すんだよ!」
「二番組組頭の面子を守るため、律儀な新八には俺から褒美を用意しねぇとな。謹慎明け、また繰り出そうぜ」
俺の肘鉄を躱して、左之助が徳利を傾ける真似を見せた。
「だから、いい加減に」
「俺と二人なら、どこに足を伸ばしたって構わねぇだろ。近江屋にしか、おシズはいないからなぁ」
左之助はどうやら、シズの名前を出すと俺が怯むと思ってやがる。……俺にその自覚がないことが、思い返せば重篤だった。
「じゃ、俺はこれから土方さんの折檻から逃げ回るべく……改め、市中警邏に勤むべく出動いたす!」
「はぁ? 元凶のお前が真っ先に責任を……!」
取るべきじゃねぇのか、と続けられず、左之助は飛ぶように屯所を後にする。ほとぼりが冷めるまで、奴は馴染みの店を回って過ごすのだろう。
もともと幹部優遇の一つとして、組長以上のものは屯所の外に住居を持つことが認められていた。局長の近藤さんはそこに妾を置いているし、監察方筆頭の山崎だって屯所近くの母屋に一室を借りている、と得意げに話していた。
隊員の増加に屯所の移転と拡張が追いつかず、また武勲によって組織の士気を高めるためにも、俺たち隊長格は息の詰まる雑魚寝から解放されている。なり上がれば待遇は変えられる。それが身分不問の武装組織の利点だ。
十番組組長の左之助もその例に漏れないが、そのための給金を奴は遊郭で溶かす。それを何度と咎めようが、奴は「寝泊りを済ますんだから使い方は間違ってねぇ」と言い張っていた。
尤も、そこに集る隊士連中まで面倒を見る奴の器の広さと思慮の狭さのせいで、数日もすると左之助は屯所でいびきをかいているが。
「あいつは、どうしようもねぇな」
俺は、この呟きを何度口にしたことだろう。原田左之助は不真面目なお調子者であると決めつけて、ただ愉快な悪行をうやむやにする。
それだけで、俺は左之助を理解したこととしていた。あまりに浅慮だ、と、他ならぬ奴から糾弾されることとなる……。
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