龍を落とした男 ①

 十番組組長・原田左之助は、悪友であり、戦友であり、親友である。

 試衛館では珍しい槍術の使い手で、筋骨隆々な巨躯で身の丈ほどの槍を振り回す様は人々の目を引いた。小手先の技術を薙ぎ払うだけの圧倒的な剛力は、新撰組でも随一だった。

 その性格は、豪放磊落……と言えば、聞こえは良い。その場限りの快さを何より優先させて、酒にも女にもだらしない。度が過ぎて土方さんの拳骨をもらうまでは、左之助は持ち前の賑やかさでその場を盛り上げるお調子者であり続ける。悲しい哉、俺も奴にほだされたタチである。


 だからこそ、左之助はあの男の友となった。




「左之助さんなら、あそこですよ」


 沖田が指差す方を見て、俺は頭を抱えた。左之助は、賽銭箱に寄りかかっていびきをかいていた。


「起きひんねぇ」

「触ってみりゃえぇ」

「やだよぉ、飛び起きたらどうすん?」


 刃を包んだ槍を抱き、鼻提灯を噴かす勢いでねむりこける大男を、童たちは恐いもの見たさで取り囲んでいた。


「あの阿呆が……」


 俺は人に聞こえないよう舌打ちをしてから、努めて高い声を出す。


「あー。すまない、君ら。俺の仲間が邪魔をした」


 振り返った童が一斉に肩で飛び上がる。恐怖に顔を歪ませる者も少なくなかった光景に、すぐ後ろの沖田が喉を鳴らしていた。


「新八さんは駄目ですって。子どもに好かれるような剣をしていませんからね」

「剣が関係あるかよ」

「どっこい、あるんですよ。まぁ、わたしの持論ですが」


 言って、沖田は俺の陰からぴょんっと童たちの前に現れる。途端、彼等の表情が柔らかくなった。


「総司や、総司!」

「左之助がまた居眠りしとって、お寺さん困ってたよ」

「そ、そ! 寝坊助左之助、毛虫の毛〜!」


 きゃっきゃと舌を回す童たちは、俺ではなく沖田に寄っていく。沖田も膝に手をついて、童たちと視線を合わせる。


「そうだねぇ、これじゃあみんなで遊べない。だから、この沖田総司が成敗してやろう!」

「成敗! 成敗!」


 仰々しい言葉がおかしいのか、童たちは声を揃えて沖田を囃し立てる。沖田も沖田で、足元の枝を稀代の名刀に見立てて大袈裟に構える。


「ヤァヤァ、ここであったが百年目! 寺を陣取る居眠り侍よ、正義の刃に臥して散るがよい! 覚悟ぉ!」


 沖田が振るう枝は、緩やかに左之助の面に振り下ろされる。それこそ、目を瞑っても止めらえるほどの速度。


 ただ、実際に目を瞑ったままに受け止められるのは、この左之助くらいのものだ。


「起きていました?」

「……総司ぃ、剣を持ったお前が前に立ってりゃ、死んでいようが目を覚まさぁ」

「剣じゃなくって、枝ですけどね」

「あ? そうかよ……ッ!」


 言うが早いか、掴んだ枝を沖田から奪い取り、左之助は賽銭箱の前で見得を切る。


「応! 聞いて驚け、わっぱ共! 新撰組が十番組組頭! 泣く子も黙る原田左之助サマたぁ、おいらのことでぃ!」


「きはははっ! 者共、かかれぇ〜!」


 沖田が号令を出すと、童たちは甲高い声をあげながら左之助に向かって突進していった。

 左之助は飛びかかってくる小さな剣士を受け止めると、全員を腕にぶら下げ、ぐるぐると回る。


「新八さん、これですよ。真似してみたらどうですかぁ?」

「御免蒙る」

「新八さんの童嫌いは、筋金入りですね」


 言って、沖田は吹きだした。頰をつねってやった。


 左之助主演の活劇はしばらく続き、最後は左之助に追い回された童たちが笑いながら逃げ帰り、幕を下ろした。

 肩で息をしている左之助。俺は、回収しておいた槍の柄で奴の頭を小突いてやった。


「っに、すんだよ。新八」

「左之。方々探させるんじゃねぇ。今日は屯所で待機か、稽古の決まりだろうが。また土方さんの拳骨がご所望か?」

「お小言かよ、新八ぃ。女将さんに似てきたな。な、総司?」

「そうです、そうです!」


 野次を飛ばす沖田の頭にも、俺は槍を下ろす。沖田と原田が揃うと、一気に試衛館道場時代へと時間が巻き戻る。いつまでも童心を忘れられないこの二人をいなすのは、至難の業だ。


「だいたいよぉ、なんだって今日はそんな命令が下りたんだ?」


 左之助は耳垢をほじくりながら、欠伸と共に言った。


「非番の俺らがどこで何をしようが、自由じゃねぇか」

「左之……お前、今朝の近藤さんの話を聞いてなかったか」

「土佐脱藩の坂本の件以外に、なんかあったか?」

「聞いているじゃないですか、左之助さん。お仕事できますね」


 沖田がおだてて、原田は枝を担いで胸を張る。この二人を調子に乗らせたら、収拾がつかない。


「知っているなら、なおさらだ。今、近藤さんと土方さんが会津藩邸で情報を提供している。そこで今後の方針が決まるから、二人が帰ってきたら作戦会議。だから、屯所に残ってろって指示が出たわけだ」

「坂本龍馬を捕らえるか、斬るか。会津の御判断はどちらになるんでしょうね?」


 沖田が呟く。舌舐めずりでもしそうな顔に、こいつは後者を望んでいると容易に想像がついた。


 土佐脱藩浪士、坂本龍馬。

 新撰組の目下の標的は、この男だった。


 奴一人に会津が藩を総出で腰を上げている事態に、雑多な攘夷浪士ではない、ということだけがわかる。


「でも、新八さん。なんだって坂本がこんな待遇を受けるんでしょう?」

「捕縛か斬捨かってのが『待遇』か?」

「そうじゃないです? 他の輩は問答無用で斬っていいんですよ。坂本は、他と何がどう違うんですか?」


 沖田が尋ねてきたが、俺はすぐに言葉を返せなかった。

 これまでに捕らえた攘夷志士や過激派から、坂本龍馬の名が出ることは少なかった。外夷を排する、天誅、だのと宣う輩とは一線を画しているようで、むしろ血の気の多い奴らからは、異端児扱いすらされていた。


「『有象無象と坂本君の違いは、啜った泥の濃さと、目の広さ』……」

「新八さん?」

「昔、山南さんが言っていたことだ。俺も、詳しくはしらねぇけど」

「……なんですか、それ」


 沖田はふへっと鼻を鳴らした。

 今は亡き新撰組総長・山南敬助は、江戸の道場で坂本と同門だったらしい。その時に奴の剣の腕と思想に触れたようだが、俺たちに詳しい話をしてくれなかった。


 坂本龍馬は何を成す? どんな危険があって、俺たちの前に立ちはだかるのか?


 窺う沖田の視線に俺が耐えられなくなると、横から左之助が枝で背中を引っ掻きながら言った。


「じゃあ、本人に聞きゃあいいんじゃねぇか?」

「はぁ?」


 左之助はくるっと後ろを向く。今まで奴が眠りこけていた賽銭箱に、声を飛ばす。


「出てこいよ! まだ、俺たちゃお前を斬れねぇからよ!」


 影から、男がぬるりと現れた。

 癖っ毛をまとめることもなく、顔は土色に汚れている。くたびれた着物の家紋と腰の業物がなければ、物乞いにさえ見えるみすぼらしい男だった。


 男は俺と沖田を見て、眉を下げる。


「原田さん、そいつァ本当ですか? 信じますよ」

「一、二番の組頭の折り紙付きだ。安心しろよ、龍馬!」


 左之助は、男をそう呼んだ。俺は一歩たじろぐが、沖田は一歩踏み出して、刀の鍔に指を置いた。


 これが、坂本龍馬。京を揺るがす尋ね者は、虱を飛ばして笑っていた。


「初めまして。沖田さんに永倉さん、で、間違いないですかね? お噂だけはちらほら聞いちゃァいましたが、こうしてお会いできるとは」


 坂本はへにゃへにゃと締まりのない顔をして、言葉が終わると頭を下げてくる。その様子はあまりに無防備で、俺は毒気が抜かれてしまった。


「熨斗つけて返しますよ、その台詞」


 キュ、と鯉口が鳴る。沖田は既に臨戦態勢を敷いている。坂本の体を貫けるだけの距離を測り、喧嘩剣法特有の蛇のような下段の構えを崩さない。


「おい、総司……」


 俺が沖田を静止するより先に、左之助が間合いに入って沖田の鼻を摘んだ。


「総司ぃ。お前はどうしてそう、血の気が多い? 慎み深くって言葉を知らねぇよなぁ」

「や、めてくださいっ」


 沖田は小さく首を振って、左之助の指から逃れる。


「慎みって、それ、新撰組に必要ですか?」

「お前にゃあ、ちっとは必要だぜ? 可愛げがなくなっちまう」

「もっと要りません」


 やり取りの間、沖田は坂本から意識を外さない。左之助も沖田の前に立ちふさがって、坂本を守っている。

 俺もいつまでも呆けているわけにはいかない。ここで優先すべきは、一つ。


「総司。柄から手ぇ離せ」

「……永倉さんまで、なんですか」

「標的を捉えたら、逃さないよう牽制。俺たちの独断先行が組織の存続に直結する。堪えることも仕事のうちだ」


 はッ、と、沖田は笑う。童の前と同じ顔で、しかし発した声はずっと乾いていた。


「永倉さん、丸くなりました。以前までは私を押しのけて殴りこんでいたのに、大人ですね、ええ」

「お前がいつまで経っても餓鬼なだけだ、総司。ここは天子の膝下で、俺たちは新撰組だ」


 沖田は俺を睨めあげる。体を坂本に向けながら、視線だけを俺に寄越す。

 停止。俺も沖田も、左之助も動かない。張り詰めた空気を破ったのは、呑気な拍手の音だった。


「……いやァ、なに。こいつが聞きしに勝る新撰組の剣豪ですか! 小競り合いでもこの闘気、舞台じゃこうはいかない」


 ふぅ、なんて感嘆のため息をこぼす、坂本龍馬。髪を掻いて、白い歯を見せてまた、笑う。


「お前、自分の立場が分かってんのか?」


 つい、俺は尋ねてしまう。


「もちろんです、永倉さん」

「気安く呼ぶな」

「あァ、申し訳ない。こういう距離の詰め方が、俺の性根に染み付いた生き方です。少しの間、堪えてもらえりゃァ重畳です」


 言って、坂本は沖田の前に躍り出る。沖田の突きの範囲内にいる坂本は、いつ死んでもおかしくない。

 とうとう沖田が刀身を滑らせた、瞬間。


 沖田の刀は、坂本に届かなかった。


 剣を抜くよりも早く、奴は左之助が持っていた枝をすくい上げて、それを沖田の刀のカシラに突きつけた。まるで栓でもするように、坂本は沖田の剣を止めてみせた。


「ッ……!」


 俺以上に沖田は動揺したようで、今度は跳ねるように飛び退いて坂本から距離をとった。


「沖田さん。あんたの猛進ぶりは間違っちゃいないですよ、きっと」


 坂本は枝をぶんと振って、肩に乗せる。


「俺の友と同じだ。信じるものがあるから、考える過程をすっ飛ばして剣に手が伸びる。首を落とせば、そいつが何者で、何を考えているかなど、わざわざ思い巡らせることもなくなりますからね」


 なので。そう繋いで、坂本は胸に手を当てて浅く腰を曲げた。


「俺があなたと『ねごしえいと』しましょう。俺は、俺の命が欲しい。代わりに、あなたがたに提供するのは……新しい世界。さァ、どうでしょう?」


 また、坂本は笑う。その笑顔を沖田は軽薄だと吐き捨てたが、思えば俺はその時点で、坂本への警戒を完全に解いていた。

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