池田屋事件/鳥羽伏見の戦い

六文銭は裏返る 前編

 白状すると、監察方筆頭・山崎烝を、俺は覚えていられなかった。


 これだけなら俺の不義理で片付くが、事実はより異質である。新撰組隊士、幹部連中にしても、一目見て山崎を特定できる奴はほとんどいない。


 覇気はなく、特徴もなく、あまりに存在感が希薄。故に山崎は隠密行動の天才だった。


 京に潜伏する不逞浪士を取り締まる、新撰組。浅葱のだんだら羽織が街を歩けば、甘味処でさえ暖簾を下げる。過剰に警戒されると斬り込み甲斐がある、なんて笑っていたのは土方さんと沖田だけだった。


 食事処、旅籠屋、質屋、遊郭。叩けば攘夷浪士が出てくる場所へ、山崎は東へ西へと奔走している。大坂の針医者の倅として育った山崎は、人を観ることと人に成ることに長けていた。


 医者の元には、あらゆる立場と性質の人間がやってくる。奴らの恨み辛みを施術の最中に耳に挟んでいるだけでも、山崎の人間への審美眼は磨かれ、二十にもなれば仙人じみていたらしい。


 そして山崎は、蓄積した人間像を材料に、任務に適した人格を作り上げる。算盤を忍ばせれば渉り上手の商人に、簪を咥えれば艶やかな遊女にすら化けて見せた。際限のない仮面を使い分ける山崎烝は、間違いなく新撰組の根幹を担っていた。


 光の当たらない仕事ぶりに気づけない隊士連中は山崎を軽視しているが、断言しよう。

 新撰組最大の功績は、山崎によって成り立ったのだ。




 旅籠・池田屋。俺が暖簾を潜ると、石畳の血溜まりに足を突っ込んだ。


「遅れたっても、ここまでかよ……」


 唾を吐きつけようとした先に、骸。

 喉仏が裂けているが、既に血は止まっている辺り、斬り潰されてから随分と時間が経っていることが見て取れる。階段から転がり落ちたのか、浴衣ははだけて褌が情けなく覗いていた。右腕は肘から外側に曲がり、石に擦れた顔は眼底から顎にかけて体液と砂粒に汚れている。


「……永倉組長」


 男の影から名前を呼ばれる。潜めた声音には聞き覚えがあった。


「山崎か?」

「は」


 山崎は臙脂色を基調とした着物姿で、俺の前に片膝をついた。


「今回は、中居か。様になってらぁ」

「もったいない言葉です」


 冗句には応えないのがこいつの流儀だった。俺もそこに合わせて、顎を引く。


「戦況は」

「新撰組の優勢です。潜んでいた攘夷浪士は三十。近藤局長、沖田組長、斎藤組長、藤堂組長の四名が先陣を切り、八を斬り伏せました。土方副長率いる別働隊も合流後、およそ十を捕縛。逃走は視認した限りで二。原田組長以下十番組が捜索のため池田屋から離脱。浪士残り十の段階で、今、永倉組長以下二番組が合流しました」


 以上です。締めくくるまで山崎は息を継がなかった。

 この報告を全て聞き取る必要はない。山崎はいつも、頭と尻に重要な情報を置く。


「こちらの被害は?」

「死亡は三。幹部では、藤堂組長が頭部への刀傷で戦線離脱。近藤局長、土方副長、斎藤組長には裂傷多数。そして沖田組長は喀血、戦い続けるのは危険な状態です」


 山崎がつらつらと言った。こいつは、吉報と凶報に差をつけない。監察としてそれは正しいのだろうが、憎たらしいことに変わりはなかった。


「なら、山崎。俺がすべきことは、何だ?」


 俺が尋ねて、山崎は即答する。


「二つです。沖田組長を前線から退かせること。敵の首魁を燻り出すこと」

「承知」


 俺は連なる隊士に、池田屋周辺の包囲と捕縛した浪士の監視を命じる。二番組組長として身軽になってから、鯉口を切った。


「山崎。俺と来てくれ」

「私が、ですか」


 山崎は意外そうに瞬きをした。鉄臭い空気からかけ離れた雰囲気に笑えてしまう。

 一つ咳払いをして、俺は脇差を山崎に寄越す。


「こいつを預ける。これでお前は池田屋の給仕じゃねぇ。新撰組の山崎だ。御用改、斬捨御免。手向かう輩に容赦はいらねぇ」

「新撰組の、山崎。新撰組の、山崎……」


 山崎は唱えて、目を瞑る。次に目を開けた時、瞳に温度がなくなった。


「ここから地獄に向かうわけ、ですね」

「新撰組の後ろが、地獄になるだけだ。山崎」


 俺が溢した軽口に、やはり山崎は応えない。ただ一度、奴は上唇を舐めていた。


「…………」


 山崎が一度、骸を見下ろした。


「行くぞ」

「は」




宮部鼎蔵みやべていぞう。攘夷論者の中でも武力行使を推し進める過激派の一角。強硬手段を唱えるだけの豪胆さは、長州の高杉にも評価されていたようです。その宮部を中心に集まった浪士が今回の相手であり、残党十と言えど、手練れが生き延びています」


 中居の待ち部屋で、俺は山崎の言葉に耳を傾ける。障子を破いた隙間から目を外へ向け、息を殺す。


「それが、上にいるってか」


 応えるように天井から音がする。ごん、と、首か腕のどちらかが落ちたのだろう。味方でないことを、頭の片隅で祈っておく。


「浪士どもが逃げる隙間はない。上も頭数は足りている。まず、じゃじゃ馬に手綱をつけて括る。手ぇ借りるぞ、山崎」


 俺の言った意味を、山崎は尋ねない。与えられた任務に愚直で、不要な部分をそもそも取り合わないのが、奴の処世術だった。

 奥から庭へ、足音が二つ通った。かかとをつけずに軽やかに下がっていくものと、板を踏み抜かんばかりの粗暴なもの。前者に油断して、何度も道場の床を舐めたものだ。


「総司だ。……抜け」


 山崎が脇差を抜き、鞘を袖に入れる。俺は香を焚いていた着物を二枚ひったくる。


「行くぞ」

「は」


 障子を蹴破って、月明かりの強い方へ忍ぶ。浅葱のだんだら羽織の隊士が一人、砂利の上に転がっていた。枯れ草色の小袖の男は上段に構えて、縁側から飛び降りようとしている。

 抱えた着物の一つを男に被せた。背後から視界を奪われて、男はくぐもった怒号を発していた。

 そのまま庭に降りて、俺は隊士に近づく。神経をとがらせて、剣を構えながら。


「っぎぃ……!」


 うずくまっていた新撰組隊士は、螻蛄けらのように飛び上がって俺に斬りかかってくる。顎めがけて襲ってくる刀を、仰け反りながら受け止める。


「派手にやってんなぁ。総司」


 互いの息がかかる距離になって、やっと沖田は俺を認識した。


「新八さん、ですか……なんだぁ」

「なんだじゃねぇ」

「今ので首を飛ばせない柘榴鼻の不逞浪士なんて、いませんから」

「……違いねぇな」


 俺の背骨に汗が伝う。剣を受け止められたのは、長年こいつと稽古をしていたからに過ぎない。


「ひでぇ顔色だな、おい」


 沖田はようやく刀を腰にしまった。それだけの動作さえ鈍く、沖田が疲弊しきっているのは火を見るより明らかだった。


「どこかの二番組組長が遅いから、働きづめなんです」

「あぁそうか。悪かったな、えぇ?」


 沖田は肩を揺らす。そこに、俺はもう一枚の着物を引っ掛けてやる。牡丹の柄は沖田に似合わなかった。


「なんですか。これ」

「こいつ被ってろ。ハラワタくせぇぞ、お前」


 俺が努めて軽々しく言う。

 沖田はその場に唾を吐いた。一瞬、月光に映ったその液体は紅を溶かしたような色だった。


「どうも、です」


 沖田は襟を内側から掴んで、着物に包まった。


「新八さんが言うなら、えぇ。大人しくしてます。それに……、うわ」


 沖田は俺の背後に視線を飛ばす。

 山崎が、男の背に膝を押し付ける姿勢で拘束している。

 俺が被せた着物の上から縄を咥えさせて、追い打ちに、奴は脇差を男の膝に突き立てていた。まるで地面に釘を打つかのように、関節の骨を砕いていた。


「……これで動けません。沖田組長、あとは」

「はいはい。私が見張っておきましょう。敵わないね、山崎には」


 沖田は一度夜空を仰いでから、そのまま池田屋二階に顎をしゃくった。


「新八さん、土方さんたちの方に向かってください。まだ終わらないみたいです」

「執念深いもんだな、宮部ってのは」

「宮部? それがやっこさんの頭領ですか。……そんな大物、まだいましたっけ?」

「生き汚く残っているから、おさまらねぇんだろ」


 そこで、俺は山崎に視線を投げかける。


「宮部が沈めば、浪士の士気は無くなることは自明です。宮部の首でこの騒動は終結します」


 山崎の言に頷いて、沖田は自分の腰の脇差を鞘ごと引き抜いた。


「新八さん。あとのことはお任せします。山崎も」

「……は」




 畳が血を吸っている。じゅわり、と水分を含んだイグサの踏み心地に顔をしかめる。


「……これぁ、だめだ」


 俺がつぶやいても、誰かに届くことはない。

 罵声と叫びが飛び交う池田屋二階の客間は、例えるまでもなく地獄絵図だった。

 四方八方で頑強な男たちがうずくまり、呻きを重ねている。つま先で蹴飛ばしたのは、敵か味方かの小指と耳だった。


「山崎」

「は」


 背後から声だけがする。もう、眼前から意識を外せない。


「俺とお前で、宮部を仕留める。これ以上戦うと両方負ける。一秒でも早く終わらせねぇと、新撰組が壊滅する」

「…………」

「目標は、示し合わせた通り。他に構うな。迅速に片付ける」

「…………」

「いいな? やまざ」


 いなかった。


 俺の背中にくっついていた筈の着物姿の隊士は、忽然と消えていた。


「……ちっ」


 舌打ちも、誰かに聞こえることはない。この戦場を生きて帰ることができた時、俺は山崎を殴ってやろうと誓った。


 一度血が頭に上ると冷静になるのが早い。

 右斜め前方、足元に転がっている刀を蹴りあげる、鬼の副長を発見する。


「土方さん!」


 死骸を飛びこえて、鉢金を巻いた土方さんの前に躍りでる。鋼の下の瞳も、鈍色をしている。


「新八、どけ」

「副長。新撰組は勝ちました。これ以上、益は無いです」


 土方さんは俺を力づくで押しのけようと、首を掴んできた。


「まだ、生き残ってやがる。進め、止まるな」


 うわ言のように吐き捨てるが、息は今にも絶えてしまいそうだ。緊張の糸が切れかかっている。

 俺は自分の首から土方さんの指を解く。手を払って、土方さんを睨めあげる。


「もう進むんじゃねぇ、土方さん。逃げた残党だっている。ここで勝ち過ぎるな。後処理に頭を回すのが、副長の仕事だろうが」

「それは、目の前の獲物を叩っ斬らねぇだけの理由になるか?」


 興奮に血が巡ったのか、土方さんの左目の瞼で傷が開く。しかし土方さんは瞬きよりも敵に睨みを利かせることを優先させる。今は俺の制止さえ、目に入らない。


 俺の横に足を出して、土方さんは地獄にまた一歩浸かりに行く。

 俺は、鍔を親指で抑えた。


「残らず、掃討する。例外は認めね、ぇ……ッ!」


 俺が、土方さんの宣言を言い切らせなかった。土方さんが踏み込んだ足を刈るように払って、ぽっかり空いた鳩尾に刀のカシラを打ち込む。肋骨をほじくるような角度で、深く。


「て、めぇ……!」

「寝てろ、土方さん。俺が終わらせる」


 倒れまいと子鹿のように立つ土方さん。その頚椎に、肘を下ろした。

 土方さんは鉢金から畳に突っ伏す。ズン、と、足伝いの衝撃に、新撰組隊士も不逞浪士も何事かと筋肉を硬直させる。


 俺は、部屋中に行き渡る声量で咆える。


「土方をとった! 土方をとったぞぉ!」


 全員が固まった。副長の土方さんが膝をついたとなると、新撰組は窮地に立たされる。対して不逞浪士は形勢逆転に望みをかけることになる。

 それぞれが正反対の意味から、動きを止めた。


 静寂。そして、足音が一つ。俺は弾けるように飛び出した。


 大男が壁に張り付く恰好で、廊下につま先を向けていた。体勢を整えるためか、逃亡するためか。どちらにせよ、なぁ。

 戦況が傾いた瞬間に最も早く動くのが、首魁の習性だろう?


「宮部……!」


 突っ込む俺が見たのは、奴が脇差をこちらに突き出す姿。避ける暇も惜しい。腕ぐらいなら、くれてやる。


 抜き身の刀を、奴に突き立てた。派手に紅色が飛び散るよう、俺は奴を戸板に磔にする。

 奴は痙攣し、顎を持ち上げる。器から溢れるように、上向きの口から紅色の液体が垂れて……首を折ってうつむく。その姿勢で、奴は動かなくなった。


「……新撰組二番組組長、永倉新八。宮部鼎蔵を討ち取った! これで、終いだ。残りは神妙に縄につけ!」


 俺の勝鬨に、新撰組が応える。崩れ落ちたのが、池田屋に潜伏していた残党。こうなれば、わかりやすいものだった。


 空は薄い藍色。新撰組の最も長い夜は、俺が奴と共に終止符を打った。




「ねんね、こ、仔猫が、とうろとろ、とうにおやねに帰りゃった」


 階下から、消え入りそうな歌声が聞こえる。


「新八さん? どうしましたか」

「聞こえないか、総司。子守唄か……」

「はい? こんな血の海で、ですか?」


 周囲をぐるりと見渡しながら牡丹の着物を振り回す、沖田。軽やかなその足元に、畳の色の残っている場所は少ない。新撰組か浪士か、どちらかの血がそこかしこに染み込んでいた。


「明け方になって、やっとこさ会津藩の皆々様がお着きになりました。捕縛した浪士どもは引き渡し、怪我人も藩邸に運んでもらいました」

「屯所じゃあ、満足な治療はできねぇよな」

「ですね。今日なんて、きっと皆さん祝い酒だって床を汚すでしょうし」

「あぁ。違いねぇ」


 鉄錆の臭いの中で、俺は沖田と談笑していた。平隊士が味方の残骸を全て拾い上げるまで、待ちぼうけを食らっている。

 ようやく全て回収した隊士たちは、足早に客間を後にする。残るは、奴だけ。

 貼り付けられたままの宮部を、沖田はさめざめと眺める。


「……よくやりましたね、ここまで。新八さんだって、利き腕に傷が入ったらしいじゃないですか」

「まぁ、な。腱までは届かなかった。お前のせいだぞ、総司」

「なんでわたしが」

「見ろよ」


 俺がしゃがんで、足元に突き刺さっている脇差を畳から抜く。沖田は、これでもかと目を見開いていた。


「これが、宮部の脇差、ですか……?」

「あぁ。返すぜ、総司」


 俺の手の中にある脇差は、沖田が任務で愛用しているものだった。剣豪沖田の御眼鏡にかなう代物、切れ味は身を以て知ることになった。


「なんで、宮部がわたしの脇差を使っているんです?」

「お前が自分で手渡しただろう」

「そんなわけ……」


 そこで、宮部が動く。


 奴は自らに突き立てられている刀の柄を握って、ゆっくりと引き抜く。俯いていた顔を上げ、一つ大きく伸びをした。


「なにが、起きてます?」


 顔を引きつらせる沖田。生き返った宮部はそして、沖田の前に膝をつく。


「沖田組長。脇差の鞘、ご返却します」


 次に顔を上げた時、奴は岩のような宮部の顔を剥ぎ捨て、涼しい顔をしていた。


「……山崎?」

「は」


 山崎烝は潜入捜査、情報収集、暗躍の達人にして、変装の名人。奴は俺の動きに合わせて、あの戦場で俺に殺されるという任務を完遂した。


 熱に浮かされた新撰組と、決死の覚悟で戦う不逞浪士。どちらかの肝である人物が倒れなければ、あの場が収束することはなかった。俺たちにとって今回は土方さんで、奴等にとって今回は宮部だった。しかし、宮部は一向に姿を現さない。


 ならば、敵の首魁をでっち上げる。それが、俺と山崎の打った策略だった。


 変装した山崎の首をも躊躇なく落としそうだった土方さんを昏倒させ、新撰組の足を止める。

 その隙に乗じて宮部を演じる山崎がおどり出て、それを俺が突き殺す……ふりをした。宮部より三寸は小柄な山崎は大男の小袖と袴を着込むことで、俺が刀を突き立てた部分を実際の急所から外す結果となった。


 血は、身を潜めていた中居の控え部屋にあった紅を水に溶かしただけ。あの血生臭さの中で赤を見れば、疑う者などいなかった。


「山崎。大役、ご苦労だった」

「永倉組長の指示の通り、動いただけです」


 山崎は淡白に答える。こいつは褒め甲斐がない。


「あれ、あれ。じゃあ、まずくないです?」


 今までぽかんと口を開けていた沖田が、我に返って俺に首を回す。


「これが騒動を鎮火するための芝居だったら、本物の宮部はどこにいるんですか? まさか、逃した残党がそうなら……!」

「宮部の位置は、私が把握しています」


 沖田を遮ったのは、山崎だった。その視線は、沖田の腰を指している。


「沖田組長。その脇差は」

「あ、これは新八さんのですよ。庭で捕縛した浪士は会津藩の方に引き渡しましたし、返そうと思って」


 沖田が鞘ごと袴から俺の脇差を引っこ抜く。そこで、山崎は両手を沖田に向けていた。


「永倉組長。最後にあと一度、私に脇差を貸していただきたく」

「なにを仕留める?」

「は。此度の騒動の首謀者……宮部鼎蔵を、始末します」




 階段を降りて、山崎は池田屋の裏口から外に出る。屋敷の隙間、日の入らない細い裏路地には猫と、浴衣姿の大男が座っていた。

 俺が池田屋で初めて見たのは、こいつの潰れた顔だった。


「こいつぁ、入り口でくたばっていた……」

「は。この者こそ、宮部鼎蔵です」


 山崎はやはり涼しい顔で言ってのけた。これが、首魁の宮部? 俺が到着した時にはすでに無様に転がっていた、これが?


「……宮部は、私を故郷のきょうだいに重ねました」


 山崎は宮部の口元に手を当てながら、平坦に語る。


「中居として客間で配膳を行なっていると、酒を浴びていた宮部は店主に怒鳴りつけ、私を側に置かせました。酒を注がせるのはもちろんですが、反対に、自分の食事を私に食べさせようともしました」

「えらく、気に入られたもんだな……」

「情報を引き抜くために部屋から連れ出すと、宮部は階段に座り、私の膝に頭を乗せてきました」


 山崎は言いながら、路地に正座をする。ぽん、ぽん、と二度、山崎は自分の太腿を叩いた。


「故郷の姉によくやってもらった、そうです。弟たちとの取り合いが日常茶飯事で、姉の膝を勝ちとるために稽古に励んだ、と」


 宮部はもう自力で動くことができない。その顔を両手で包む山崎は、割れ物を扱うよりも丁寧に、彼の首を自分の膝に乗せる。


「私は任務のため、男にも女にもなります。その仮面の多さを宮部は察知したのでしょう。兄の強さを、姉の温かさを、弟の快活さを、妹の柔らかさを、私に感じ取った。そして、私の前で……涙を流して見せた」


 冷たい土の上で、宮部は山崎の膝を枕にして、温もりの中にいる。

 まだ、息がある。


「勤皇、攘夷、開国。自分はどれも望んではいない。それらに命を賭すのは、ただその先にきょうだいたちと暮らせる生活があるから、と……」

「山崎。これ以上立ち入ったら、戻れねぇぞ」


 俺が語りを終わらせる。山崎はそこで、初めて微笑んだ。


「はい。彼をここで終わらせます。だから、永倉組長に脇差をお借りしました」


 山崎は尻に隠す形で脇差を忍ばせている。さらに、宮部は生きているが、生きながらえることはできない。それだけの状態で、しかし宮部は目を開けた。


「ねぇやん……いてぇ。浅葱色のでっけぇお武家様が、おらをいじめんだぁ」


 声は震えている。不貞腐れる童のような大男に、山崎は感情を込めた声をよこす。


「そうかぃ、ひどいねぇ。したら、痛いの、なくしてやっからね」

「うん、うん……」

「あんたは寝りゃえぇ。次に起きりゃ、痛いのも苦しいのも、ねぇやんが飛ばしてやってっから」

「うん……」


 すぅ。山崎は息を継ぐ。


「ねんね、こ、仔猫が、とうろとろ、とうにおやねに帰りゃった。

 おやね、こ、小鳥が、ちゅうるちゅる、ようけおそらに飛んでった。

 おそら、に、お星が、せいらせら、せっせこおつきに道しるべ。

 しるし、て、お月が、ゆうらゆら、ゆめゆめ起きちゃあいけません。」


 三度繰り返す頃に、宮部は目を閉じていた。寝息まで、聞こえてくる。


「山崎……」


 俺が名前を呼んだところで、山崎は脇差を逆手に握る。顎の洞に刃を立てて、刺身をさばくように一筋、宮部の首を斬った。


「……宮部鼎蔵、討ち取りました。永倉組長」


 言って俺を見上げた山崎と、目が合う。

 そこに温度はもうなかった。奴は、新撰組監察方筆頭・山崎烝だった。

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